12 フジ、走って帰る
翌日、仕事を終え帰宅した俺は晩の食事もそこそこに、いや、ほとんど食べずにパムルゴニアの世界へログインした。
ゲームが起動するまでの数秒、真っ黒な画面を見つめながら様々な考えが頭を回る。
思えばこれまでに何度この画面を見ただろうか。三年前に何気なくはじめたこのゲームが今ではもうすっかり日常の一部になっていた。
最初にパムルゴニアの地に降り立ったあの時の興奮は忘れない。見たこともない壮大な景色、大地を踏みしめる感触、大空を舞う巨大な翼竜の群れ、頬を撫でる湿った風、そして異形の魔物たち。
スタート地点の辺境の村からほど近い丘陵で見た光景は今でも脳裏に焼き付いている。
ずっと遠く、夜明けに霞む霧の向こうを闊歩する巨大な竜の影。
その恐ろしさに畏怖を覚えると同時に、いつかはあんな相手と戦うことができるのかも知れないという思いに胸が熱くなった。思えば俺の冒険はあの時に始まったのかもしれない。
大都市カリアにやっとこさと辿り着き、ごった返すたくさんの冒険者を初めて見た時は、また別の感動があった。多くの冒険者がこの場所に生きている。それはまさに俺の知らないもう一つの世界だった。
冒険にも慣れてきた頃、道行く冒険者に声を掛けられ、成り行きで初めて人とパーティーを組んだドキドキは忘れない。職の連携、ヘイトの概念、そして何より誰かと一緒に冒険することの楽しさを知り、この世界で生きる奥深さを知った。
そしてそのうちレドさんたちと出会い、なんやかんやと以下省略であるが、今ではヘッドギアを着けたまま器用にトイレに行けるほどには一端の冒険者をしている。
それらは決して現実の生活では得られない体験だったと思う。文字通りの『敵』を相手に力を合わせて戦って世界を救ってるんだ。そんな仲間はリアルで出会えるわけもない。
おそらく、この世界にいる無数の冒険者たちもそんな体験に魅いられて、今日もせっせとログインしている。
しかし、昨日の出来事はそれらの体験とはまったく別のものだった。
俺達が出会った謎のNPC、ニア。
超威力のパムルゴニアの光。
昨晩の騒ぎの後、結局俺達は夜も遅いということでニアを廃墟と化したギルドハウスに置いたままログアウトした。
家を破壊されたレドさんは放心し、ガブはぎゃあぎゃあと文句をわめき、ベルさんはわけがわからずおろおろし、ミレイは興奮して騒ぎ立て、八丁さんは興味深そうにニアをジロジロと観察していたが、当のニア本人は変わらぬ様子で物言わず、ただただ虚空を眺めていた。
謎の少女。謎の庭園。謎の玉。
わけのわからないことだらけだった。苦労してやっとノースピークを攻略できた喜びもどこへやら。あれから一晩がたち、眠い目をこすりながら今日も日常と非日常を行き来する。
こんなのはおかしい。普通じゃない。
でも──
仕事終わりの帰り道、特別な事が始まったような予感に俺は自然と早足になっていた。
◇
ログアウトしたギルドハウスで目覚めるとそこにニアの姿は無かった。
昨日のまま、破壊された床の木片と割れた瓶の欠片が散乱している。壁には大穴が開き、入り込んだすきま風が床に落ちたレドさんの錬金書をめくり上げパラパラと静かに音を立てていた。すべて昨日のまま。家の中は空っぽだ。
誰もいない。
肩透かしを食らったような気がして、俺はしばらくその場に立ち尽くす。
何となく予想はしていたけど。まあこんなもんだ。ニアはきっと消えてしまった。そりゃそうだ。うん、特別なことなんてそうそう起こるわけもない。わかってた。なんとなく、わかっていた。
俺は手近に倒れていた椅子を元に戻し腰掛ける。ギルドメンバー分の椅子が用意されていたが、そのどれもが床に倒れ、まるで嵐が通り過ぎ去った後のような空虚さが漂っていた。
なんだか急に眠気が襲う。思えば連日徹夜だ。ここしばらくはノースピーク攻略にかかりっきりだったし、昨日は特に寝るのが遅かった。年末も迫り仕事も忙しいし、今日はこのままログアウトして寝るのもいいかもしれない。ほっとしたのか気が抜けたのか、ずっしりとした重い疲れが体を覆った。
そのまま机に顔を伏せて目を閉じる。昨日は寝落ちし損なった。あの庭園。結局ニアとはなんだったのか。まあ今となってはどうでもいいか。
あの光、昨日ガブを貫いたあの光。閃光の眩しさがまだ瞼の裏に残っているような気がする。パムルゴニアの光とはなんだったんだろう。世界の名前を冠する光。あんな威力の攻撃はみたことがなかった。あの庭園。あの通路。世界の裏側。暗黒空間。それからあの夢。
夢?どんな夢だっけ?
意識と無意識の境目が曖昧になる。あ、ヤバい、このまま寝てしまう。俺は毎日寝るためにゲームしてるんじゃないだろうかとたまに思う。今日もみんなインするだろうか。ああ、俺達ノースピークの悪魔に勝ったんだった。みんな揃ったら極点に出発するかもしれないな。
そういえば帰り道、早足になってたな俺。いや、早足なんてもんじゃない。あれはほとんど走ってた。いい大人がゲームやりたさに走ってた。そんなこといつぶりだろうか。子供じゃないんだし恥ずかしい。まあでも、なんか、なんか、
面白かったな。
フジくん。
フジくん。
「フジくん!」
その声に無理矢理眠りの淵から引き戻された。顔を上げるとレドさんが怪訝な様子で俺の顔を覗き込んでいる。その隣にはベルさんもいて、同じように俺を見ていた。
「インしていきなり寝落ちとは、君も図太くなったもんだね。しかも人の家で。」
「疲れてるんだよね。お仕事お疲れ様」
部屋が昨晩のままだからてっきり居ないものかと思っていたが、二人ともしっかりログインしていたらしい。呆けている俺の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「ってフジくんヨダレ出てんじゃん!きたねっ!」
「ヨダレくらいでるよね~。寝落ちする瞬間が一番気持ちいいし。どうしてかな?」
「やっぱそれはさ、寝てはいけない、という意思を放棄する瞬間の解放感というかさ。ほら、おしっこ漏らすときと一緒だよ」
「えーなんかやだ〜」
「いやいや、それは科学的に証明されていてだね」
二人のどうでもいい会話はほとんど耳に入っていなかった。俺はその時二人の背後、ギルドハウスの入口に立つ、変な格好をした人影に目を奪われていたからだ。
ヘルメット姿に大きな丸メガネ。おもらしの開放感について熱弁している横の人に格好は似ているが違う。俺は椅子から立ち上がり、その哀れな姿に歩み寄った。
「ニア、なんでこんな……」
そのメガネの奥の瞳は俺を見ていない。ずっと遠くの何かを見ているような視線。ヘルメットの中に束ねられているが、はみ出した銀色の髪はまるで自ら発光するように輝いている。間違いない。
「ひどい……誰がこんな……」
「でしょ、可哀想だよね~」とベルさんが同意する。
「可哀想とはなんだい。ニアが可哀想なら僕はずっと可哀想ということになるんですけど」
「レド君がね、自分も着せ替えして写真撮りたいって言ってね、外の噴水まで行ってきたんだけど誰かに見られたら恥ずかしいからすぐ帰ってきちゃった」
「恥ずかしいからじゃないよ。誰かにニアを見られたら怪しまれるからだよ。故に変装も兼ねてこの格好をしてるんだよ」
もっともらしいことを並べ立てているが、何と言うことはない。昨日はおあずけになった着せ替え遊びがしたかっただけだろう。
「じゃあわざわざ外行かなきゃいいじゃないですか……」
「それは、その、検証さ。我々にはこの家出娘の仕様を正しく理解する必要があるのでね」
「で、なんかわかりました?」
「全然、忠犬のように大人しく後ろを着いてくるってことくらいかな」
「そうですか……」
「あ、犬の格好もいいな~。わたし家の倉庫に着ぐるみ置いてあるから後で取ってこよ~」
ニアはそんなやりとりを理解しているのかいないのか、変な格好をさせられたまま立ち尽くしている。確かにこうしてみると注意深く観察しなければ、俺達冒険者とほとんど見分けがつかなかった。変装の効果は少なからずあるのかも知れない。
俺はニアの前にしゃがみ込み、声をかけてみた。
「ニアこんばんは」
「……」
昨日同様の沈黙。まあ別に何かを期待して話かけているわけでもない。消えてしまったと思ったニアがまだ存在していることが何となく嬉しかったからだ。
ニアの沈黙とは対照的に、「あ、やべっ」と呟いたレドさんはバタバタと何か身支度をはじめる。部屋中に散らばったアイテムたちを拾い上げ、吟味し、道具袋の中に詰め込み出した。
「あれ?レドさんどっか行くんですか?」
「どっか、って君……今日は……」
その時、タイミングよくピンポンパーンとチャイムが鳴り、どこからともなく天の声が聞こえた。全世界に響き渡る運営からのお知らせ。そうだ、今日は──
『本日、リアル時間21時より、公式イベント『大襲撃の夜』が開催されます。冒険者の皆様は、城塞都市カリマ入口、凱旋門広場にお集まりください。繰り返します。本日リアル時間21時より……』
イベントの日だ。忘れてたけど。
「やべ!もう30分しかないよ!フジくんも行くよね?」
レドさんが慌てた様子でそこらに散らばった錬金道具たちをカバンに積める。
『大襲撃の夜』とはこれまでにも数回開催されている、定例のイベントだった。普段は城壁に守られているこの城塞都市カリマに魔物の群れが押し寄せる。カリマの入口付近にある凱旋門広場を舞台にこれでもかと敵を倒しまくる防衛イベントだ。
参加者にはアイテムが支給される上、討伐ランキングに入ればさらに銀貨等の報酬が貰えるため行かなければ損だ。俺達がランクインするなど夢のまた夢だが……。しかしニアのことが気がかりだった。まさかたくさんの冒険者が集まるイベントに連れて行くわけにもいかない。かと言ってこのまま置いていくのは忍びない。
そんな俺の迷いを察したのかベルさんがニアの手を引く。
「あ、わたしニアちゃんとお留守番してるから大丈夫だよ。わたしどうせ行ってもお荷物だし」
ベルさんのヘッドギアのスペックでは、いつも以上に人が集まる広場に赴くのは無理がある。すぐにフリーズして強制ログアウトだ。とは言えそれは便宜上の理由で、本音はニアの着せ替え遊びに興じたいということだろう。
お姉さんといい子でお留守番してましょうね〜、とニアに話しかけるベルさんの目は怪しく輝いていた。
ニア御愁傷様……と俺は心の中で呟き、レドさんに習って急ぎ身支度を始めた。
レド「僕の装備を紹介しよう。ででん!」
【神童のヘルメット】ランク:S
将来有望、才気煥発のお子様の頭を守りましょう。母の愛で頭部ダメージ20%カット。
レド「僕も昔は神童と呼ばれたものだよ。将来は大物になるぞって可愛がられてさ。このフレーバーテキストを見るたび胸が締め付けられるのは何故だろうね……」




