背中を押す力
チヒロが光の奔流に巻き込まれるのを、タクトは少し離れたところで見つめていた。
その瞬間も、決して油断していたわけではない。
ただ、ほんのわずかな……一瞬の意識の隙間のようなものがタクトの動きを止めた。
「灰嶋くん!!」
カナタの声でハッとする。
星斬りの影響で、あたりの蒸気が吹き飛んでいた。
そして、トモエの放った猛炎がタクトの視界を紅く染め上げた——
「——危ないっ!」
ドンッ。
身体が横から突き飛ばされ、景色が流れていく。
転がる身体を押し留め、なんとか顔を起こす。
タクトが目線を上げた時——その瞳は、カナタが炎槍に飲み込まれる瞬間をとらえていた。
声を上げることすら忘れ、反射的に右手を伸ばす。
しかし、その手はカナタに届かなかった。
——散り際、カナタの顔に浮かんでいたのは笑顔だった。
曇りのないその水色の瞳が、タクトを真っ直ぐに見つめている。
「——あとは任せたっ!」
親指を立てながら、からっとした夏空のような笑顔を咲かせた彼女は——
炎槍の着弾とともに、光の粒子となって消えた。
「——っ!」
タクトは俯きながら、自分に出せる精一杯の速さで走りだした。
噛み締めた唇からわずかに血が滲む。
後悔している暇はない。
トモエは既に次弾の詠唱に入っている。
先手を取られた今、普通に詠唱しても間に合わない。
一発はなんとかやり過ごす必要があった。
疲労と痛みで悲鳴を上げるタクトの身体を、カナタの言葉が動かしていた。
「……無駄ですわ」
トモエの詠唱が完結する。
いくらタクトが頑張って走ろうとも、その程度で照準がズレることはない。
「これで、チェックメイト」
炎槍が放たれた。
寸分の狂いもなく、タクトの元へ。
「ああああっ!!」
着弾する直前、タクトは迷いなく飛び込んだ。
——カナタの星斬りが切り裂いた、地面の隙間へ。
「ぐぁっ!」
直後、炎槍が弾けた。
隙間に入り込んだことで直撃はなんとか避けたが、炎槍の余波は確かにタクトにダメージを与える。
擦り傷や火傷を確認することもせず、彼はとにかく詠唱を紡ぐ。
「……しぶといですわね」
トモエも再度詠唱を始める。
しかし今回は、タクトが先に詠唱を完結させた。
タクトの前に現れる巨大な土塊。
攻撃力はない。
速度もない。
ただ、盾にすることにしか使えない。
その代わりに堅さだけを持っている。
トモエが放った炎槍が、土塊を吹き飛ばす。
タクトは身を小さくしてなんとか衝撃に耐えながら、次の詠唱を紡ぐ。
再び土塊を展開する。
しかしこれもまた、トモエの炎によって吹き飛ばされた。
「ぐっ……」
弾かれた土がタクトの身体に無数の細かな傷を作る。
目はほとんど開けられない。
口の中にも、砂のジャリジャリとした感触がある。
それでも、詠唱だけは止めなかった。
「……しつこい、ですわ!」
攻めたてるトモエは埃一つ被っていない。
対するタクトは、全身傷だらけで呼吸も乱れている。
しかし、実は追い込まれているのはトモエだった。
圧倒的な、魔力保有量の差。
タクトは自分にあるアドバンテージをよく理解していた。
炎槍が攻め、土塊が守る。
そんな攻防を数度繰り返した時。
——突然、ふらりとトモエの身体が揺れた。
「なん、ですの……?」
手が震える。
冷や汗が背を伝う。
「まさか……魔力が……?」
ここまでの戦闘で、トモエは序盤から惜しむことなく中級魔法を連発した。
それがこの終盤戦で自らの首を絞め始める。
「一体いつまで……耐えるつもりですの?!」
放った炎槍がタクトを襲うが、結果は同じ。
土塊を壊し、再展開されるだけ。
その間隙に、トモエの目にタクトの顔が映った。
泥だらけだ。
血もかなり流しているだろう。
——しかし、詠唱を紡ぐ口元だけは澱みなく動き続けていた。
「なんですの……その魔力量は……」
そこで気づく。
タクトが水壁を使えば、炎槍の熱を利用して再び水蒸気の目隠しを張れたはず。
しかし、タクトが選んだのは土塊。
「なるほど……誘われていた、ということですわね」
土塊は炎槍で壊せる。
連発すれば倒せる。
そう思い込まされていたことに、今更気がついた。
「そう、そうなのね」
トモエは自嘲した。
魔力切れ寸前の頭では、ここからの勝ち目は見えなかった。
「ここまでですわね……」
——トモエの詠唱が止まった。
中級魔法を撃てるだけの魔力が、自分の中に残っていなかった。
ならば無駄に足掻くより、潔く。
「——降参です」
そうトモエの口が動こうとした。
——その時。
「トモエー!!諦めてんじゃねえー!!」
観客席から声が聞こえた。
聴き間違えるはずのない、幼馴染の声。
少しだけ、トモエの背筋が伸びた。
「……うるさいわね。誰も諦めてなんていませんわよ」
再び詠唱を紡ぐ。
頭にはモヤがかかり、身体は高熱を出した時のように重い。
正確とは言えない詠唱……これで魔法が発現するかどうかすら、トモエにはもうわからなかった。
ただ……諦めたくなかった。
その気持ちをそのまま塗り固めるように、詠唱する。
それに応えるかのように、炎槍が姿を現した。
「でき……ましたの……?」
なんとか作り上げたそれは、今までのような美しい円錐状ではなかった。
ところどころ歪で、赤と青が不恰好に混じり合っている。
それでも、その槍は今までで一番の熱を持っていた。
「これで……最後ですわ」
いつのまにか、彼女の瞳の揺らぎは止まっていた。
見つめるはただ一点。
灰嶋タクトのみ。
「——はぁっ!!」
裂帛の気合いと共に放たれた極大の炎槍が、土塊ごとタクトを飲み込んだ。




