チヒロの願い
タクトは、誰もいなくなった教室で一人、来るかどうかもわからない相手を待っていた。
少しして、カチャリと音を立てて教室の扉が開く。
「——待っててくれたんだ」
パープルグレーの髪をボブカットに纏めた、どこか飄々とした雰囲気の少女。
安斎チヒロがそこに立っていた。
「あの手紙は安斎さんが?」
タクトの確認に軽く頷くと、チヒロは扉を閉めてタクトの近くまで歩み寄る。
「ちょっと、お願いがあって」
「お願い?」
チヒロはその蜂蜜色の瞳でタクトを見つめ——
「——わたしたちに、勝って欲しい」
そんなお願いを口にした。
「……どういうこと?」
「あなた、初級魔法しか使えないでしょ?」
「……うん」
「だから、そんなあなたに負けたら気づくかなって」
「気づく?」
「トモエが、自分の愚かさに」
その言葉に、タクトは教室の気温が少し落ちたような感覚がした。
「トモエはE組にいるべき人間じゃない。それは戦ったあなたならわかるはず」
「それは……うん」
トモエは中級魔法の炎槍を三回も、ほとんど間を置かずに撃っていた。
中級魔法をあれだけ連発できるなら、D組でも十分戦えるはずだ。
「でも、トモエは無意識に待ってる」
「待ってる?何を?」
「シュン」
「シュンって……山井シュンくん?」
チヒロはこくりと頷く。
山井シュン——E組への入れ替え戦でタクトたちが下したチームの勇者候補生だ。
「二人は幼馴染らしい。口にしたことはないけど、態度でわかる。トモエはシュンを待ってる——たぶん、好きなんだと思う。——そういうの、どう思う?」
「どう思うと言われても」
タクトとしては、個人の好きにしたら良いという感想しかない。
「わたしは、この学園に恋愛感情を持ち込む人が——嫌い」
「……そうなんだ」
「そう。だから、トモエにはそんなくだらないことに構わず先に進んで欲しい。——わたしと、一緒に」
チヒロはどこか遠くを見るような目をしながら、近くにあったトモエの机を、指でなぞった。
「……それが、僕たちに負けることと何の関係が?」
「あなたは初級魔法しか使えない。トモエからしたら明確な格下。一撃姫さんも、あなたが倒れたらただの的」
「……つまり?」
「勝って当たり前の相手に負ける。そうしたら、トモエも現状を問題視するはず。わたしの話にも耳を貸してくれる」
「なるほど」
要はタクトとカナタを利用してパートナーを奮起させたいらしい。
「まぁ、僕たちとしても次は勝つつもりだけど」
「うん、その意気。でも、わたしも自ら負けるつもりはない。それじゃトモエは納得できないかも知れないから」
トモエが自分自身の抱えている問題を自覚して乗り越える。
これがチヒロの願いなのだろう。
「わかった。お互い全力でやろう」
「うん。でも、わたしたちだけ相手のスキルを知ってるのは不公平だから教えてあげる」
チヒロはタクトに背を向けると、軽やかな足取りで教室の扉までたどり着いた。
——そこまで、一切の物音を立てずに。
「これがわたしのスキル。ほんとは教室でスキルを使ったらダメだけど、見なかったことにして。それと……わかってると思うけど、今日の話は他言無用」
そう言うと、チヒロは扉を開けた。
「あ、あと」
「……なに?」
「もしシュンたちが入れ替え戦を挑んできたら……必ず、叩き潰して」
そしてチヒロは、振り返ることなく去っていった。
◇
数日後、中間テストを終えたタクトとカナタは学生ラウンジの隅に陣取り、今後の方針について話し合っていた。
「この間、火谷野さんたちにボコボコにされたじゃん?次は他のチームとやるの?」
「いや、劣化魔法式の実用性を上げないと中級魔法には敵わないとわかったから、まずは研究かな」
「あたしはどうする?なんか新技とか覚えた方がいい系?」
「え、水色は星斬りが規格外すぎるから現状でも十分だと思うけど、なにかアテがあるの?」
カナタはしばらく視線を彷徨わせると、力強く言い切った。
「——ない!」
「……うん。じゃあ僕の実験に付き合って。準備ができたら言うから」
「りょ!」
ビシッと敬礼ポーズを決めるカナタ。
中間テストが終わったからなのか、妙にハイテンションだ。
「ちなみに中間テストの結果はどうだったの?」
「……そっちもボコボコ」
途端に萎れるカナタ。
座学ができなくとも評価にはあまり影響しないはずだが、今後のためカナタに勉強を教えた方が良いかと考えるタクトだった。




