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12:花々の結末

 七夕も既に過ぎ去って、雨による肌寒さがすっかり湿気た蒸し暑さと入れ替わり、汗ばむような強い日差しが空から降り注いでいる。梅雨明けの発表がされる日も近いだろう。今はもう、花開いているものよりも、青々とした葉を茂らせているだけの薔薇の株が多数を占めている薔薇園の、日陰になっている場所に腰を下ろして見上げた青空は、夏の色濃い気配を纏っていた。薔薇園の西側に隣接する廃教会は、夏の西日から薔薇を守ってはくれるみたいだが、頭上の日差しは流石に防げないようだ。庭園の所々に見える、他の花よりも少し遅れて開花した夏の薔薇は、消える前の蝋燭よりもずっと華々しく情熱的にその花弁を太陽へ向けている。――夏の訪れを感じさせる植物達の光景は、この庭園以外でも見る事が出来る。例えば、校舎から見える中庭では、咲き終えた紫陽花の後を継ぐようにして向日葵がすくすくと成長しているのを見掛けた。

 夏のシンボルとも言える黄金の花が咲く頃には、学内の生徒達は夏休みの真っ最中で、中庭の花壇を眺める人は普段よりずっと少ないだろう。かく言う私も、夏休みは隣県にある実家へと里帰りする予定だ。その間も、この薔薇園や中庭に植えられた植物は庭師達や用務員さん達に世話をされ、秋にはまた何かの花が美しく咲き誇っている筈だ。以前薔薇園(ここ)で会話した事のある庭師のおじいさんが、中庭に何かの種を植えている姿を午前中の教室移動の際に校舎から見掛けたから、何が咲くのか楽しみだ。予想では、コスモス辺りかなと思っている。と言うか、それ以外に秋の花が思い付かない。残念ながら、私は花に詳しい訳ではないのだ。


 空へと向けていた視線と意識を膝の上に戻し、数日前に図書室で借りたばかりの、祖父のお気に入りの作家の本を捲った。短編集であるこの文庫本は、橙色をまとう『攻略対象』が勝手に私名義で貸出予約を入れていたものの中の一冊だ。――七夕の翌日であると同時に期末考査の最終日でもあった今週の月曜日、試験が終わった開放感を胸に図書室で予約していた3冊に、ついでに推薦図書のコーナーにあったもので気になった本を足して合計4冊を借り、静かな図書室を一歩出た途端に橙音と出くわしてしまった時は驚いた。前の週に寮の談話室を出たところで桃辺に睨まれた事を思い出したが、私をあからさまに嫌っているらしい桃辺と違って橙音の瞳には何も含まれていない。目付きは鋭いが、感情の含まれていない視線を向けて来た橙音は、「忘れないで、送って」とだけ言い残し、欠伸をしながら立ち去った。相変わらず、色々と読めない『攻略対象』だ。忘れないように釘を刺したいだけなら、メールでいいと思うぞ。

 ……それにしても、短編集の場合、短編毎に感想を書いた方がよいのだろうか。そうだとしたら正直面倒臭いな。そんな風に思いながら、一つの短編を読み終える。最後の段落の終わりの文を読み切って、残る空白に感嘆の息を吐き出し、栞を挟んで本を閉じた。文庫本の巻末にある解説は、全て読み終えてから目を通すつもりである。


 書庫に埋もれていたものにしては綺麗な状態の本と、購買部で買った昼食のパンとジュースのゴミが入ったビニール袋を手にして立ち上がり、私は校舎の方へと歩き始めた。確か、今日の昼休み中に期末考査の成績優秀者――要するに試験の上位者の順位表と、赤点を取ってしまった補習対象者のリストが職員室前に貼り出される筈だ。昼休みになって直ぐに貼り出されるとは限らないし、早めに行っても混雑しているだろうから、先に昼食を終えてから帰りの足で見に行くつもりだったのだ。人気のない裏庭から、校舎の方へと移動する。


 百合森学園の敷地は、結構な広さがある。そして、その敷地の隅っこに建てられた教会と校舎の間には、それなりに距離がある上に、ちょっとした森のように木々が茂っている。森と言うよりは林と表現すべき疎らに植えられた木々は、裏庭を少しだけ薄暗く陰気臭い場所に見せ掛け、校舎から教会の方が見えないように覆い隠してしまっていた。この林もどきには日陰が多いので、夏には地味に人気がある場所であるが、例の噂のせいで薔薇園や廃教会に近付きたがらない生徒も多いので、賑わうまではいかない。夏には蝉も五月蝿く鳴き喚くので、昼寝にも余り向いていない。そもそも、室内ならば冷房が効いているのだから、わざわざ野外で日陰を探して涼むのは物好きな部類の人間か、或いは校舎に居るのを好まない人間だけだろう。――例えば、私みたいに色々な理由から教室に居辛いぼっちとか。

 つらつらと考え事をしながら、裏庭の小さな林を歩く。風に揺られて葉っぱが揺れる音が聞こえ、涼しげな音に心地好さを感じた。もうそろそろ、蝉の鳴き声でこの場所が満たされる時期だ。木の根元で野良猫がお腹を丸出しにして昼寝している姿を見掛け、以前橙音と色李と猫が裏庭付近で眠っていた光景を思い出した。ふと、それはどの辺だっただろうかと疑問に思い、立ち止まって周囲を見回して――木々の間から差し込む光を反射し輝く金色が、草木に隠れるようにして蹲っているのを見つけてしまった。



「……っく……ひッ……く……」



 1年E組に所属する『黄木昴(攻略対象)』の淡く柔らかなプラチナブロンド寄りの金髪と比べると、鮮やかで鮮烈な印象のあるその濃い金色――正に黄金(おうごん)そのものの色をした見事な金髪の持ち主は、この学園でたった一人しか思い浮かばない。そして、それに当て嵌まる人物が、どうして一人で裏庭にやって来て、隠れるように身を縮めながら嗚咽を漏らしているのか。『百合森学園の女王』として自信に満ち溢れた姿が似合う美少女である黄金メイが、取り巻きも連れずに一人ぼっちで泣いているらしい様子に驚きつつも、彼女がこんな風になっている状況には、一応心当たりがあった。


 ――多分、彼女から申し込んだ色李彩との『順位勝負(イベント)』に負けてしまって、悔しくて泣いてしまったのだろう。誰にも見られないように、こんな場所で。


『ゲーム』では、『黄金メイ(ライバルキャラ)』との試験の順位勝負は、『色李彩(ヒロイン)』が負ければ『ライバルキャラ』に嫌味を言われつつも『親友キャラ』や『攻略対象』に慰められて終わる。そして、『ヒロイン』が勝つと、『黄金メイ』は『ヒロイン』の実力を認めながらも「でも、次は負けませんわよ!」と言って直ぐに立ち去り、『ヒロイン』は皆から褒められたりご褒美を貰ったりする事になる。……そして、『ゲーム』ではそんな『ヒロイン』視点でしか話が進まないから分からなかったけれども、『色李彩』と勝負をした相手にだって、彼女なりの事情や感情(ストーリー)があって、『ヒロイン』の知らないところでそれは進んでいるが、その情報は『ヒロイン』視点のものしかない『ゲームの知識』には含まれないのだ。


 つまり、いつも強気な美少女である黄金が、『順位勝負(イベント)』に負けてひっそりと泣いている事を今初めて知った私は、……どうすればいいのだろうか。泣いている女の子の慰め方なんて分からない。『知識』の中で参考になりそうなものはないか必死で考え探ったが、何も浮かんで来なかった。幸いにも周囲には私達以外には誰もいないから、彼女に話し掛けても親衛隊だの抜け駆けだのと言う面倒な事態には多分ならないと思うが、……どう声を掛けるべきか。ひとまず、こちらに背を向けていて私の存在に気付いていない彼女の、丸まった背中に近付いて、自分のポケットの中を探る。ハンカチをちゃんと持って来ていた事を確認し、ハンカチを持った手で彼女の肩を叩いた。驚いたのか、大仰に身体を跳ねさせた黄金が、慌てたようにこちらを振り返り、涙に濡れた碧眼を大きく見開いた。私を見上げて来る青い目は、頭上で澄み渡っている青空に似た、透き通った淡い青だ。蒼海の瞳よりも、水色に近い。そこならとめどなく流れる水分が、目の周りの化粧を落として頬を黒ずませていた。


「……あ、え、……緋空様、どうしてこんなところに、……うぅ、わたくしはてっきり、誰もいらっしゃないとばかり……」

「――これは、返さなくていい」


 悔恨と敬服と自嘲を覆う動揺と羞恥が、金髪の彼女の濡れた碧眼を揺らしているのを見下ろしつつ、私は自分のハンカチを彼女に押し付けた。後々何か起こったらお互いに困るだろうから、渡したハンカチは返さなくて言いと告げ、それから更に何か言おうかと思ったが、下手で安っぽい慰めしか浮かばない。そもそも、彼女の涙の理由が本当に『順位勝負(イベント)』関係かも断定出来ないし、実際にそうであったとしても私はそれとは関わりのない人間だ。互いに恋愛感情があって恋人同士だとかならば幾らでも慰めようがあっただろうが、そんな事はない。それよりも、『攻略対象』である私のハンカチを本当に受け取っても良いのか迷って遠慮しようとしている目の前の少女が早く顔を拭けるように、ハンカチを押し付けたままさっさと立ち去るのが良いだろうか。――ヘタレ過ぎるとは思うが、慰めの言葉も持たない人間がいつまでも傍に居るより、感情の密かな発露を邪魔しないで去る方が良い気もする。黙って傍に居るのが正解である可能性もあるが、泣いている女の子相手に空気を読める程私のコミュニケーション能力は高くない。突然知り合いの頭を無遠慮に撫でるような人間でもないので、私はハンカチを返そうとする彼女に背を向けて、走り去った。正直、自分でも格好悪いと思う。






 黄金の元を逃げるように去った後、私は元々の予定通りに西校舎の一階にある職員室の方へと向かった。校舎の中は、試験結果や順位について話している生徒や、もうすぐやって来る夏休みをどう過ごすかで盛り上がる生徒の影響で、どこか浮き足立った空気に包まれている。そんな彼らの間を通り過ぎ、制服の集団で混雑している掲示板付近へ到着した。こちらに気付いた人間が顔を逸らしながら逃げるように場所を譲ってくれたので、ありがたく張り紙の前へ陣取らせてもらった。そして、全科目の合計点の順位が書かれた紙にある、自分の名前を探す。


 ――5位、緋空樹。


『ゲームの緋空樹』の1学期末考査の総合順位が4位だった事を念頭に置いて、上から自身の名を探した結果、私は密かに行っていた自分自身との勝負に負けてしまったようだ。……やっぱり、数学でケアレスミスを連発したのが響いたのだろうか。今朝の数学の授業で返された答案用紙上のミスを思い出し、目を細める。息を吐いてから、今度は自分以外の人物(キャラクター)の順位を見る事にした。


 とは言っても、二人分の順位は既に目を通したようなものだ。――2年生の学期末総合順位は、2位が色李彩(ヒロイン)、3位が黄金メイ(ライバル)。順位表の上から順に見ていけば、彼女達の名前が直ぐに目に入る。やっぱり、黄金は色李に負けてしまったから泣いたのだろうなと、今もまだ裏庭で泣いているかも知れない元クラスメイトの顔を思い出し、彼女達の名前を暫く見詰めた。それから、今度は先日の男子寮での『攻略対象』同士の会話を思い出して、正反対な二人の順位勝負の行方を知るべく順位表に素早く視線を走らせた。


 ――桃辺は28位、そして紅松は順位表に載っていないので、少なくとも30位以内に入っていない。上位30位までの生徒の名前が並ぶ張り紙の、どこにも名前のない硬派な風紀委員長は、軟派なチャラ男との勝負に負けてしまったらしい。普段は両者共に赤点スレスレの点数と言う『設定』の二人の勝負は、私の予想通りの結果で終わったみたいだ。どうせならば紅松に勝って欲しかったけれど、現実はうまくいかない。それに、恐らく桃辺は今回本気を出さずに勝ったのだ。あの『攻略対象』が『ゲームの設定』通りならば、真面目に取り組めば3位以内に入っている筈だ。それだけの実力の持ち主の男は、多分紅松との勝負を「ちょっとだけ本気を出した程度でも勝てる勝負」であると見極めて、桃辺はギリギリ順位表に載る程度の実力を発揮したのではないか。『知識』に基づいて考えると、そうなる。

 何だか微妙な気分になりながら、ついでに他の『攻略対象』達の名前も探してみた。――蒼海は当然のように学年トップを維持している。1年生の黄木と図書委員の橙音は、『知識』と同じく順位表の隣に張られている補習対象者リストの方に名前があった。彼らは『ゲーム』の夏休み中、『補習イベント』の方で顔を合わせる事になる『攻略対象』だ。そして教師である翠乃先生も、赤点を取ってしまった際に発生する『補習イベント』で顔を合わせて好感度を上げられる人物だが、実際には良い順位を取った方が好感度が上がりやすいらしい。


「――お、転校生が女王様に勝ったのか。って、それだと賭けは俺の負けかよー!」

「ギャハハッ! そんじゃ、罰ゲームとして今度駅前のあの店のジャンボラーメン5人前自腹で喰えよなぁ」

「うげぇ、アレ5人前とか腹はち切れて死ぬわ……。ってかよー、この1位の鈴木って誰だっけ」

「あー、確か隣の組の地味な女子。春頃に、『橙音様と同じ図書委員の奴ら羨ましいってかウザイ代われ』ってクラスの女子が騒いでた時に名前挙がってたな、何か成績めっちゃいいからって調子のんなとか言われてたしこいつじゃねーの」


 背後から聞こえて来た声は、聞き覚えがあるようなないような、そんな男子生徒達の声だった。何となく、私の斜め前の席のクラスメイトの後ろ姿を思い出しながら彼らの会話を聞いて、順位表の上の方へと再度視線を向ける。


「……鈴木絵里香」


 同学年で総合順位1位の人物の名前をひっそりと呟いた。――そういえば、割と見覚えのある名前だ。基本的に順位表を見る時は『ゲームの私(自分自身)』との勝負に夢中で他人の順位はそれ程注意して見ていなかったが、何度か視界には入っていたからか、何となく既視感ぽいものがある名前。先程の男子の会話や名前からして、多分女の子だろう。今回、2年生のトップスリーは全員女子だなと比較的どうでもよさそうな事を考えつつ教室へ戻ろうとしたら、近くに居た女生徒が大袈裟に身体を跳ねさせてこちらに視線を向ける気配がした。横目で見やれば、黒髪の女子が人ごみを縫うように走って行く後姿を視界に捉える事になったが、一体どうしたと言うのか。まあ、『攻略対象』の傍に居るだけで緊張してちょっとおかしな言動になる女の子は意外と沢山いる事を知っているので、多分私が近くに居る事に気付いて挙動不審になったのだとでも思って気にしないでおこう。

 ……ナルシストみたいでアレだけど、実際によくあるのだ。『知識』によれば『乙女ゲーム』にて『攻略対象』が『ヒロイン』へと褒め言葉っぽく「変わった子だね」と言って興味を持つ展開は割りとよくあるものらしいが、寧ろ『攻略対象の前で変わった言動をする子』は沢山居るので目新しくないのではないかと最近思うようになった。中には、あからさまにこちらの興味を引こうと目の前で奇抜な行動をする子も稀に居るので、私としては寧ろ『普通の子』に惹かれそうな気がする。――いや、『攻略対象』に対して『普通』な言動を取れる事自体が『変わっている』のか?

 そんな事柄で頭を働かせながら、私はさっさと教室へ戻った。夏休みは家族と会うのが楽しみだ。

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