8.陰謀論
初日の農作業は大した量でもなかったこともあって全く疲れなかった。どちらかと言えば農園までの道のりを歩くほうが大変だったくらいだ。多分三十分は歩いただろう。
今までは学校まではスクールバスだし買い物へ行くとしても自宅前からバスに乗っていた。身体を動かすことなんて体育の授業か買い物中に歩くかだけだ。
つまりこうして往復一時間なんて初めての経験なわけで、佐倉荘の前までたどり着いたころにはすっかりバテバテで、疲れがどっと押し寄せてきた。
「どうだった? と言っても水やりして雑草抜くくらいだからなんてことなかったわよね? これを一日おきにやってもらえると助かるわ」
「はい、余裕でやって行けそうです。まさか自分たちで育てている野菜を食べることになるなんて想像したこともありませんでしたし、なんか楽しいです。通うのは大変だけど……」
「そう言ってもらえるとホッとするわ。でもほかにいい仕事が見つかったら乗り換えていいんだからね? 小櫻ちゃんほど頭脳明晰なら引っ張りだこになるかもしれない。たとえば学校の先生とかどうかしらね」
「教師ですか!? どちらかと言うと私まだ学校へ通ってる年齢なんですけど、誰かを教えるなんてできるはずありませんよ」
「たとえばってことだけどそう言ったことも頭に入れておいてね。人には適材適所ってもんがあるはず。だから賢い子を農作業に縛るつもりはないのよ」
「そんなものですかねえ? 私には自分のことはよくわかりません。でもなにかやりたいことが見つかったら相談しますね。あー、今日はよく歩いたからおなかすきました。それにお風呂にも入りたーい」
「それはホントごめんなさいね。なんといっても水道が通ってないからどうにもできないのよ。パウダーソープのオートバスだけじゃ疲れは取れないわよね?」
「確かに湯船が恋しくないわけじゃありませんけど無いものは仕方ありません。水が貴重なのは理解してますから。オートバスが毎日使えるだけで十分です」
「梅雨時期になれば地下タンクがいっぱいになるからそれまでのガマンね。雨の日にはお風呂入れるようになるわ。逆にどんどん使わないとあふれっぱなしよ?」
「それは楽しみですね! 畑を耕してたら温泉が出たらいいのになあ。でもそんな浅いところからは出るはずないですね、あはっ」
「そうよねえ、深く掘れるような場所があれば試す価値はあるけど、この辺り一帯には昔の名残でシェルターがあって、そのための地下タンクもあるから掘っても無駄なのよ。せめて川の水が使えたら良かったけどねえ」
「確かにー! 汚染っていつまで続くんですかね? 箱根にいたときも川も湖も立ち入り禁止地区だったし、近くにあったはずですけど見たこともないんですよ?」
「そうよねえ、アタシも自分の目で見たことは無いわ。何十年も前に川や海の周りにはあんな高い壁が作られてたらしいし。水は人間が生きるために絶対必要だってのにさ。まったく機械頭の考えることは理解不能だわ」
「世界政府で独占しててもまさか飲むわけないですしね。きっと嫌がらせですよ。自由を制限するためとかの」
今まではそんな深く考えてこなかったけど、こうして話していると疑問が湧いてくるものだ。何のために水場に近寄れないようにしてるんだろう。
そりゃ人間にはわからない深い考えがあって相してるんだろうけど、地球にはすごい量の水があるってことくらいは知ってる。それを独占する理由なんて嫌がらせ以外にあるとも思えない。
「なんだ、僕には余計なことしないようにとか言っておいて、二人で難しい話をしているんじゃないか。えっと、佐倉さんはやつらの秘密に興味があるのかい?」
てっきりアトリエに行ったんだと思っていた水上さんが、さっぱりした顔で佐倉荘から出てきた。お風呂に入って着替えて身ぎれいになってもやっぱり老けて見えるのは猫背のせいなんだろう。
「あーら、自分だけ先にさっぱりしちゃってズルいんだから。でもどうせまたアトリエに行くんでしょ? ちゃんと寝ないと体壊すわよ?」
「いや、今日は定例集会があるんで出かけます。まあ帰りは明日になるのは同じですけど。興味があるなら連れて行ってもいいですが?」
集会とはなんだろうか。でも政府の秘密とか言ってたから反体制に関係する集会だろうと目星はつく。私はそんなことに興味はないしデモに参加するつもりもない。
そう言って断ろうとする前に、トラちゃんさんが釘を刺してくれた。
「だからさっきも言ったでしょ? 小櫻ちゃんを誘わないでって。この子は賢いからどんなことにでも自分なりに答えを見つけたいだけなのよ。だからこうしてお話ししてアレコレ考察するだけで十分なの。ね? そうよね?」
「あっ、はい、そうです。集会とかデモとかは全く興味ないです!」
「そこまで力強く断られるとはね。まあ僕らも政府を転覆できるとか考えているわけじゃない。ただ黙っているだけじゃ納得いかないから声を上げて発散してるだけさ」
「でも何年か前にすごい暴動があったじゃないですか。あ、箱根自治区の出来事だから知りませんよね?」
「いや、話だけは知っているよ。ずいぶん大勢が捕まって収容所やF施設送りになったらしいね。あれも噂では、暴動が起きるよう扇動する役を政府が仕込んでいたって話さ」
「またそういう陰謀論に染まるのはやめておきなさいな。あんまり思い込みが激しくなると妄想と現実の区別がつかなくなるわよ? 子供たちにも悪影響だからおやめなさいって言ってるでしょうに」
子供たちと言うのは私たちのことだろうか。それともトラちゃんさんには実の子がいるとか? そんなことを考えてはみたものの現実的には難しいだろう。
だからこそ佐倉荘の住民を家族だと思って大切にしてくれるのかもしれない。それ自体はありがたいことだけど、少し恥ずかしかった。
かといって”家族”間だからすべてうまくいくとは限らないのも本当の家族同様らしい。
「いやいやトラさん? いつも言っているようにこれは陰謀論ではないですよ。僕たちのグループでは実際に扇動者を見つけて追い払ったメンバーがいるのですからね」
『それって言いがかりとか冤罪とかだったりしないのかな……』
「ん? どうやら佐倉さんも疑っているようですね? まさかと思いますが政府の息がかかっているなんてことはありませんか? 自覚していなくてもここへ来るように仕向けられたとか、なにかの条件を満たせば厚遇で戻れる約束がされ――」
「ちょっともう、いい加減にしなさい! いくらリュウちゃんだからって言い過ぎだわよ? 小櫻ちゃんは何代かさかのぼればもともとこの佐倉荘のオーナーだったんだからね? そんな怪しげな子じゃないの!」
「―― じゃあどちらかと言うと権力者側に近いじゃないですか……」
「本気で怒るわよ。いいから早く行ってきなさい。遅刻しちゃったら立場も悪くなるんでしょ? ちゃんと”アレ”も連れて行ってよね。ずっと飛び回れてもうっとおしいからちょうどいいわ」
そう言いながらトラちゃんさんが少し離れたところに浮遊している監視ボットに目をやった。なるほど、あれは水上さんを監視するためについて回っているのか。
道理でずっと私たちの近くにいるなあと思っていたんだ。私的にはやましいことは何一つないので、アレコレ言われようが監視されていようが構わない。お風呂とトイレの時以外は…… だけど。
結局水上さんは追い立てられるように出かけて行った。最後まで首をかしげてはいたが、どうやらこれもしばしば起こるやり取りらしい。
「ごめんね小櫻ちゃん、気分悪くしたでしょう? 彼って悪い人じゃないんだけど、どうにも反権力反体制に染まっていて思い込みが激しいのよ。それに否定されるとすぐムキになっちゃうからうるさくて仕方ないわ」
「いいえ、私には思い当たることが無いので何言われても平気です。それより陰謀論だなんて思いつくのが面白いです。そんなのないと思いますし、こうしてそんな話をしていても取り締まられないんだから心配しすぎなんでしょうね」
「まあでも気持ちはわからなくないわね。思い当たることが無いわけじゃないし」
楽観的にとらえた私と違って、トラちゃんさんはなんだか含みを持たせたまま佐倉荘へと入っていった。




