6.水上流星
どうやら向こうもすぐに私たちに気が付いたらしく、足を止めてこちらを待っている。おそらく行き先が同じなんだろう。
「リュウちゃあん、もう終わったの?」
「…… はあ、まあ、まだ途中ですけど……」
「小櫻ちゃん、こちらアナタの上に住んでる水上流星、通称リュウちゃんよ。リュウちゃん? こちらのかわいい子が新しく入居した佐倉小櫻ちゃん、ドタバタして迷惑かけないようにね」
同じ佐倉荘の住人が紹介されるだなんて、私はまったく想定していなかった出来事にあわててしまい。とっさに深々とお辞儀をしてしまった。
「佐倉小櫻、十七歳です! ご挨拶遅れましたがヨロシクお願いします!」
「―――― えっと、水上です、よろしく…… え? こういう時って年齢も言うものでしたっけ? 僕は四十二歳……」
四十二歳ってことはお父さんと大差ないけどこの人はもっと上に見える。白髪が目立つぼさぼさの髪と猫背のせいでそう見えるんだろうか。
「いいこと、リュウちゃん? 小櫻ちゃんはまだろくに世間のことを知らない純粋ないい子なんだから変なことに誘ったりしないようにね? もし変なことに巻き込んだら、種イモと一緒に埋めちゃうんだから」
「…… 埋められるのは困るなあ。よく覚えておきますよ……」
なんかどうしていいかわからないけどただ立っているのも失礼かと思い、私はぺこりと軽く頭を下げる。すると釣られたのか水上さんも同じように会釈を返してきた。
それにしてもこの水上と言う人の覇気の無さはなんだろう。とてもこれから農園に行き農作業をするようには見えない。
だがその理由はすぐに分かった。
「どうせまた寝てないんでしょ? いくら好きだからって根詰めすぎたら体壊してしまうわよ? ほどほどにね」
「いああ、今まで寝てたので大丈夫ですよ…… 二時間くらいは寝たと思うし……」
「せめて六時間は寝なさいな。あとお風呂にも入りなさいよ。着替えて洗濯もしないと落ちなくなっちゃうわ」
「―― これは作業用だから構わないんですよ。作業前に手くらいはちゃんと洗いますから……」
言われてみると青い模様のエプロンだと思っていたのが汚れのようだし、手先も青く染まっている。いったいなにをしたらこんな風に色がつくんだろう。
「小櫻ちゃん、リュウちゃんはね、普段はここで絵を描いているのよ。佐倉荘の中だと絵具が床や壁に着いちゃって迷惑だからこの廃ピルをアトリエにしてるってわけ」
「えー! 水上さんって画家さんなんですか!? すっごー! 現代にも芸術家の方なんているんですね!」
「…… いや、まあね。芸術家だなんて言ってもただ好きで描いているだけ。昔の偉人たちの足元にも及ばないよ……」
「それでも絵が描けるだけですごいと思います! 私、絵画なんて教科書でしか見たことないですもん。水上さんはどんな絵を描かれるんですか? 見てみたいです!」
「―― っ! そんな大したものじゃないんだけど…… トラさん、時間はまだ平気ですか? 五分くらいなら構いませんかね?」
「全然問題ないわよ。今日は小櫻ちゃんの初日だからゆっくりのつもりだったし。アタシも久しぶりに見たいからちょうどいいかもー」
どうやら今ここで立ち寄っていくと言うことになったようだ。それにしても自分の手で直接絵を描くなんてすごいことだ。昔は一般の人でも紙とペンを自由に使えたらしいけど、今は許可されていない。
学校でも普段の生活でもメモを取るならすべて電子端末だし、そもそも紙が手に入らない。さっきトラちゃんさんが言っていたことを踏まえて考えてみると、きっと電子端末ならすべて記録して監視できるからだろう。
私は一人で勝手に納得しながら二人の後について、アトリエと言う名の廃ビルへと入っていった。
「こっ、これって!?」
「…… だから言ったじゃないか。大したものじゃないと。まったく…… 恥かいちゃったな……」
「なあに、リュウちゃん? それってダジャレかしら? 絵を描かないで恥をかくだなんてうまいこというわねえ」
「…… 違いますって…… 余計に恥ずかしくなるようなこと言うのやめてください。ほら、えっと―― 佐倉さんも絶句してるし……」
部屋の様子に驚いて声も出なかったが、名前を出されてハッと我に返った。まさかこれは想像以上だった。
「この壁、全部水上さんが描いたんですか? 真ん中にある板も?」
「―― あ、ああそうだよ。期待外れだったろう? がっかりさせたね。まったく…… トラさんが大げさに言うもんだから……」
「いえいえ、そうじゃなくてすごいなって声も出ませんでした! こんな風に壁が青くなってるなんて! 私こんな部屋を見たの初めてです、感動しました!」
「そうかな? あはは、そう言ってもらえるとお世辞でもうれしいよ」
「お世辞なんかじゃありませんよ! 端末越しにしか見たことなかったけど、絵画の青ってこういう感じなんですね。なんていうかムラがあると言うか手間がかかってると言うか、とにかく温かみを感じます!」
「――っそ! そうなんだよ! 工場でつくられる青い布や画面で見る青いものとはかなり違うだろう? これは筆で何度も重ねながら塗っているからこうなるのさ」
「ふ、で? そう言う道具があるんですかね? 手で書くものと言ったらペンしか知らないので…… 学校ではそういうの習いませんし」
「うむ、昔は人間だって自分たちで文字を書き絵を描いていたんだ。今はすべて政府に取り上げられてしまったけれどね。だからこの青い色も自分で探し出して絵具を作っているんだ。もちろん筆も手作りだよ」
「へええ! 水上さんって―― 器用なんですね」
「見た目によらず、だろ? 正直に言ってくれて構わない。僕はそう言うの気にしないし、むしろ意外性があって面白いじゃないか」
「あっ、は、はい、スイマセン…… それにしても自分で色が作れるなんて考えたことありませんでした。すごいですねえ」
「すごいのは僕じゃない。自然や人間がすごいのさ。政府のやつらみたいに血が通ってない機械どもにはわからないことさ。大体だね、人間を――」
『パンパンパン』
「はいはい、じゃあ今日はここまで。時間が押してるから早足で行くわよ。今日も農作業がんばってね。自分の畑はノルマをこなしてからにしてちょうだい」
トラちゃんさんは手を叩きながら唐突に話を切って私たちをせかした。どうやら時間いっぱいになったらしい。
それにしても水上さんが自分の畑まで持ってるとは驚きだ。農園で働くことでそういう仕組みに与れるのかもしれない。ということは私もいずれ畑を貰えるのかも? それとも買うのかな? とか考えてみる。
まあとにかく初日だから行ってみないことには始まらず、何もわからないままだ。
私はたった今見たばかりの青い縞々模様を頭に浮かべながら、意気揚々と農園への道を歩きはじめた。
しかし――
『それにしてもあの縞々は何だったんだろう。青色はステキだったけど何が描いてあるのかはさっぱりわからなかったなあ』
ほんの少し、しかし一番重要かもしれない疑問は残るのだった。




