第十二話 聖騎士マリアンナ・カーティス
序
アペニンの首都ルーマには聖導教の本部がある。聖導教は世界四大宗教の一つであり、その信徒は、すべての宗派を含めれば、世界人口の四割を占める。特にユーロピア大陸においては殆どの人が聖導教に入信しており、国教と定める国が多い。どの町や村に行っても、司祭はおり、現世の苦しみから救済される道を教えている。そのため、政財界に強い影響力を持つ宗教である。
聖導教には信徒を守るために構成された武装組織、聖騎士協会が存在する。表向きの活動は、法王の警護、災害救助支援を行なっている。他にも暴力沙汰の仲介など行なっており、警察や司法機関よりも、人々はその判断を重視する。これは、ユーロピア大陸において聖騎士協会の前身である聖騎士十字軍が、古来より司法機関の役割を果たしていたと歴史があり、人々の意識の中に聖騎士十字軍の判断は、すべて神のお導きであるという概念を植え付けられていたからだろう。
聖導教本部、聖騎士協会副総長執務室でマリアンナ・カーティスは部下の報告を聞き、憤慨した。
「ロゼッタを逃した!? しかも、行き先が大和ですって!!」
「はい……」
聖導教の僧衣を着た部下は、マリアンナよりも二周りも上の年齢に見える。その男の端的な返答にマリアンナはいつもながら危機感の無いと腹を立てる。
金色の長い髪に青い瞳が男を睨みつけ、男は体温が二度ほど下がる思いをした。
「あなた! 分かっているのですか!? ロゼッタは死を司る大天使サリエルの力を持つ者なのですよ!?」
「分かっています……。ですが、白銀騎士では歯が立ちません――」
マリアンナは男の言葉を無視しながら、自分の言葉を被せていた。
「それに、何故、大和に追いやったのですか!? あそこは私達の影響力が最も弱いところではないですか!!」
「だからではないでしょうか――」
「政治的なカードも効きにくい島国でどうやって彼女を見つけ出し、捕まえるのですか!?」
「私に言われても――」
「そもそも、私はここへ連れてきなさいと言ったはずよ。なぜ彼女と交戦するようなマネをしたのです?」
「仕掛けてきたのはあちらからです」
そこでマリアンナはやっと冷静さを取り戻しつつあった。
「それで、これからどうするつもりです?」
「まずは外交的な力を使って、サリエルの居場所を――」
「それでは遅すぎます。すぐにでも大和に人を派遣しなさい」
「ですが、サリエルを捕縛するにも、白銀騎士が束になっても――」
「だったら、聖騎士を使えばいいでしょ! 空いている者は?」
「全員出払っています」
マリアンナは聞くまでもなかったと自分を攻める。
「…………ユーグ・ソナクは如何でしょう?」
その名前を聞いて、マリアンナは苦々しい顔になり、直ぐに反対する。
「ですが、サリエルを止められるのは聖騎士のみ…………ハッ!!」
男が何かに気づいたのか、マリアンナをマジマジと見る。
「どうしたのよ?」
「一人だけいます。聖騎士の力を持ち、空いている者が……」
「誰よ?」
「ミカエル、あなたです」
マリアンナは体を翻し、窓から外を見る。そこから大きな鐘楼が見えた。
「私にロゼッタを殺せと言ってるの?」
マリアンナの言葉に男は謝りながら、後退る。
「け、けして、そのようなことは――」
「出ていきなさい……」
マリアンナの声は男に聞こえるかどうかの小さいものだった。男は聞き返す。
「出ていけと言ってるのです!」
「は、はい」
「早く!」
「は、はいー!!」
男はアタフタと慌てて部屋から出ていく。
執務室に一人残ったマリアンナは自分の机に戻り、椅子に座った。机に肘を付きながら手を組む。目を閉じながら、手の甲に頭を載せて、深い息を吐く。
「どうして……ロゼ……」
しばらくして、顔を上げると、飄々とした、いかにも軟派師の顔つきをしたユーグ・ソナクという男の幻影を見る。麻色の髪に緑の瞳の美男子は白い歯を見せて、自分に酔っているのではないかと思わせる。ただ、それがマリアンナにとっては精神安定剤のようなものだった。
ユーグの幻影は徐に応対用のソファーに座り、この神聖な場所で行儀が悪く寛ぎ始めた。
「やるしかないだろう?」
「あなたはいつもそんなことを言って……」
「ロゼは俺達と同じ神の御使いだ。止めるのは俺達にしかできない」
「分かってるわよ! でも、ロゼは――」
「親の居ない俺達にとって姉弟だった……」
「そうよ」
マリアンナの顔は暗い。
「だとしても、あいつが大和で事件を起こせば戦争になりかねない」
「分かってるわ!」
「俺に言えよ。まあ、ソフィアちゃんのことは頼むけど」
「イヤよ。私はあの子の面倒を絶対に見ないわ」
ユーグの幻影は苦笑いしながら消えていく。
「ねえ、ユーグ。私……もう一人なの……」
マリアンナの頬に濡れ始めているのが光の反射で辛うじて見えた。
マリアンナは机にある受話器を取り上げる。
「はい、総長」
受話器からさっき報告に来た男の声がした。
「大和行きのチケットを用意しなさい。後、必要な衣服も。今日立つわ」
「はい、総長。護衛はどうされますか?」
「必要ない。それから、梁山泊の劉秀英に連絡を取りなさい」
「よろしいのですか?」
「仕方ないでしょう。外交特権を使えば騒ぎになる。今回の件を大和に知られず処理するには、あの男の力を借りるしかないわ」
「分かりました。直ぐに折り返します」
「ええ、お願い」
マリアンナは受話器を置き、部屋に飾ってある細剣を取る。鞘から剣を抜くと、剣は独りでに輝きを放つ。
剣は綺麗に磨かれており、マリアンナの顔を映し出していた。
「マリアンナ。あなたは、役目を果たすのよ。そう、私は神の御使い、ミカエルなのだから」
マリアンナはその剣を振り下ろす。空気は裂け、部屋に舞うホコリが散っていく。ホコリが落ちきるぐらいで、剣を鞘に納め、執務用の椅子に座る。
マリアンナが焦れったさそうにしていると、古びた機械式電話のベルが鳴る。
「はい、マリアンナです」
「ごきげんよう。ミカエル殿」
マリアンナは今すぐにでも受話器を叩き壊したくなるが、それをグッと抑える。
「久しぶりね、劉秀英」
「君からの電話とは珍しい。最初の一声でまた電話を壊されるんじゃないかと思ったが……」
「ええ、今にでもこの受話器を叩き壊したいぐらいだわ」
「そうできなくて、残念だな」
「私もよ。時間はないわ、要件だけ言う」
「何かね?」
「大和で人を探しなさい」
「頼み方を知らないのか?」
「【赤い月】には借りがあったはずよ」
「それはゆん様が自分で返した。そのお陰で事件は解決、アペニンあるユグドラシル機関の一つを壊滅できたはず。お前たちが恩返ししても、私達から恩返しをする必要はない。そもそもあれは吸魔種の王が借りを作ったはずだ。私達ではない」
「それが余計な置き土産というものよ?」
「道理を分からない人間とはこれ以上取引をする必要はないな」
マリアンナは深い息を吐く。
「分かったわ。何が望みなの?」
「ひとつ、君たちの力でチケットを用意してくれ」
「チケット?」
「ああ、大陸鉄道のだよ」
マリアンナは近くにあったメモに書き留める。
「人数は?」
「二人」
「発着は?」
「マスクーヴァからウラジヴァーナ」
それを聞いて、頭に浮かんだのは月影ゆんの顔だった。たしか一ヶ月前にルーマニアの方でユーグとともに吸血鬼を討伐したとき聞いている。
「何をするつもり?」
「君が知る必要はない」
「そうね。私が知る必要はないわね……」
吸血鬼が作る城から生き残ったのはユーグや黒太子が居たからで、彼女自身に力はない。ここは変に交渉が拗れることを避けるべきだとマリアンナは考えた。
「そのチケット、用意させるわ。チケットは月影ゆんに渡せばいいのよね?」
「話が早くて助かるよ。それで、君の人探しは誰かな?」
「ロゼッタ・カランドラ」
受話器からでも秀英が笑みを浮かべているのが分かる。
「なるほど、ついに堕天したか」
「あなたには関係ないことよ」
「そうだな、そちらの問題だからな。だが、情報としてロゼッタが大和のどの空港に降り立ったかくらいは欲しい」
「当たり前よ」
「情報はどこに伝えればいいかな?」
「ここでいいわ」
「分かった。ミカエルどの、大和に来るなら一つ助言しておこう」
マリアンナは賢しいやつと心の中で吐き捨てる。
「必要はないわ」
「まあ、聞くといい。ユーグには我が主が世話になったからな」
マリアンナはため息を吐く。
「呪いには気をつけ給え」
「あなた、私に呪いが効くとでも?」
「ミカエル殿も知ってのとおり、大和ではそちらにいるより神聖術が弱体する。ミカエルほどの神の御使いであればさほど問題ではないが、東洋の呪いは西洋とは違うと考えたほうがいい。侮れば君の足は掬われる。こと、大和は呪いと共生する風土を持つ。呪いは彼らの根本思想である偶像崇拝と同じく、数多に存在する。一筋縄ではいかないものだよ」
「ご忠告ありがとう。あなたも手を焼かされているみたいね」
「ああ。だからこそ面白い」
マリアンナは眉間にシワを寄せる。
「あー、そうそう。近々に天谷という場所で店を開く。明日から大晦日までプレオープンをする。もし、暇だったら寄るといい。君をおもてなししよう」
「貴方からのおもてなしは結構。毒を盛られるに違いないわ」
「そんなことはしないさ。お前を潰すのに毒など要らぬ。俺が興味があるのは、店の味が外国人の口に合うかどうかだ」
マリアンナは鼻で笑う。
「それでは、ミカエル殿。当、劉商会のご利用ありがとうございます。またのご利用をお待ちしておりま――」
マリアンナは受話器を乱暴に置き、通話を切った。
「バカにするのもいい加減にしなさい!!」
部屋の扉をノックする音がした。
「はい!」
さっきまでいた男が顔を覗かせる。
「副総長、お声が高うございます。外まで漏れ出ていますよ」
マリアンナは顔を真っ赤にして、怒鳴りつける。
「うるさい! ささっと支度をしない!」
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