9.密談
どこへ向かっているのだろうという不安はあったが、大方、先程兵士達に言っていたエドガーの屋敷に向かっているのだろう、とカイルは考えついていく。
それに逃げようとしても、背後の従者達が逃げさせてはくれないだろうともわかっていた。
家々の窓からこぼれもれる光を頼りにエドガーの背を追い、進む。
夜だというのに兵士たちが未だにうろついていたが、やがて人通りの少ない細道へ入り、ようやくカイルはエドガーに話しかけた。
「……あの、ありがとうございました。
助けていただいて、本当に助かりました」
「礼にはおよびませんよ。あのように愚劣な輩を黙らせるなど、造作も無い事です」
エドガーはカイルの方を見る事無く、前進して淡々と言い放つ。カイルは歩を速め、エドガーの隣に並ぶ。この行動に従者たちがカイルとの間を詰める。
カイルはそれを一瞥しながら訊いた。
「ですが何故、見ず知らずのオレを助けてくれたんですか?」
「なに、ただの親切心で助けたんですよ」
エドガーはにやりと不敵に笑うとカイルに言う。だが、この状況からそうでは無いと悟ったカイルは思わず苦笑し、言った。
「ウソですね」
この一言にエドガーはさながら猛禽のような鋭い眼でカイルを見る。
「そう、嘘ですよ。目的が在って君を助けたんです」
「目的?」
カイルの問いかけに、エドガーは楽しげに髭を弄る。
「ここでは言えません。誰かに聞かれては少々困る話です。
詳しい話は私の家に行って、食事をしながらしましょう。いいですね?
と言っても君に断るという選択肢は在りませんけれどね」
「……解りました」
どうせ行く当ても無いし、ここから逃げた所で帝国の残兵と疑われて王国兵に追い回されるだけだと、カイルは腹をくくりエドガーの誘いに乗った。
カイルの返事にエドガーはふっと鼻で笑う。
しばらくエドガーの案内に従い、道を進むと急に民家が途切れ、眼前に広い庭を有する瀟洒な屋敷が現れる。高い鉄柵に囲まれた屋敷は、村の中では異質な感じをただよわせていた。
門の前にランプを手にした一人の若い男が立っていた。執事なのか、黒い燕尾服を着ている。
ぱっと見た目には黒髪の優男だが、冷たい眼差しにカイルは妙な不快感を覚えた。
エトガーが歩み寄ると、執事の青年は深々と礼をした。
「お帰りなさいませ、旦那様」
その言葉にエドガーは鷹揚に頷き、執事が顔を上げると同時に言った。
「予定通り、客人を招いています。ロック、食事の用意は出来ていますね?」
「はい。既に御用意出来ております」
答えると執事のロックは門扉を開き、流れるような所作で主と客人のカイルを敷地の内へ招く。
エドガーが中に入ったのに続き、カイルは門をくぐってついていく。
「よろしい。
私は少々着替えてきます。先に食堂へ行って待っていてください」
エドガーはカイルの方へ振り返るとそう告げる。カイルが返事をする前にエドガーはロックに視線を戻す。
「ロック、客人の案内は任せましたよ。ウィル、お前も客人に付け」
「はい」
ロックと従者の男が一礼して答えると、エドガーは振り返る事無く、従者の女によって開けられた屋敷の扉をくぐって中に入っていった。
屋敷の中へと入ったエドガーが、付きの者と内に居たメイド達に傅かれながら去っていくのを見送ったカイルに、ロックが振り返る。
「貴方は、こちらにどうぞ」
ロックに促され、カイルは彼の後に続いて屋敷の中に入った。
入ってすぐの広いホールで、その豪華さに思わずカイルは辺りを見回した。
壁や床は栗色の木材で本来なら暗い印象を与える造りだったが、白い家具や黄金の彫金が施された柱時計、彫像などで彩られていた。
何より、夜だというのにこれらを輝かせるほどの照明、ホールの天井に据えられたシャンデリアを見上げてカイルは息を漏らした。
(すごいな、別世界だ。
うちの村にあった金持ちの家なんか、ここの足元にも及ばないな)
などと考え、足を止めているカイルに気付いたのか、先を行っていたロックが振り返る。
「どうされました?」
抑揚の無い声で問いかけられ、カイルは慌てて彼に視線を戻す。
「いえ、何でもありません」
取り繕った返事にロックは冷ややかな眼差しのまま、ついて来て下さい、とだけ告げて再び歩き出す。背後をちらと見ると、先ほどウィルと呼ばれていた男が早く行け、というような顔でカイルを見ていた。
それらにカイルは己の状況を思い出し、気を引き締めてロックの後に続く。
いくつもの扉が左右にある長い廊下を進み、やがて一番奥の、正面扉へとたどり着く。その扉をロックは開けると、扉の脇に身を引いて手で内に入るように示す。
「どうぞ、入って下さい」
愛想の無い言葉に従い、カイルは部屋の中へと歩を進めた。
広い室内は白と青を基調とした落ち着きのある色で整えられ、部屋の中央には十数名は座れる大きなテーブルが在った。
テーブルの上にはいくつもの燭台が置かれ、点けられたロウソクの灯りが室内と調度品を照らしている。花器には色とりどりの花が活けられ、壁にはいくつもの絵が飾られていた。
(食堂っていうより、美術品の収蔵室って言った方がいいんじゃないか?)
カイルが室内を一目見て唖然としながら胸中で毒づいていると、ロックとウィルが入ってくる。ウィルは扉を閉めるとそのまま脇へ、ロックはカイルをかわしてテーブルに近付くと、最も下座の椅子を引いた。
「お座りになってお待ちください。じきにご主人様もいらっしゃるでしょう。
それから、荷物はお預かりします」
告げながら歩み寄ってくると、ロックはカイルの持っているザックを見て手を差し出す。だが、カイルはすぐに首を横に振った。
「いえ、構いません……大事な物が入っていますから」
別に大した物は入っていないが、何かあった時には逃げ出さねばならないかもしれない。
カイルの返答に、ロックは表情を変えぬまま言う。
「ですが、会食の場に剣は困ります。お預け下さい」
「いや、しかし……」
「構いません、彼の好きな様にさせてあげなさい、ロック。
事情を説明しない内に身を守る術を取り上げて、信用してもらえなくなっては困ります」
いつの間にか食堂の奥にあった扉から、エドガーが入ってきていた。
先程の緋色の服から、黒字に金刺繍の入ったゆったりとした服に着替えている。
視線を向ける二人の前で、エドガーはテーブル奥の最も上座の席に悠然と座る。
「承知しました」
ロックは主人に向かって一礼し、カイルの前から退いてウィル同様、下座の扉の横に下がる。
再び上座に視線を向けるカイルに、エドガーは言う。
「まあ、席に着いたらどうです。立ったままでは食事もできないでしょう」
言い終えると、エドガーはカイルの反応を待つ事無く、卓上にあった呼び鈴を鳴らす。
するとその合図を待っていたかのように、カイルの背後から扉を開けてメイド達が次々に食事を持って入ってきた。
数名のメイドは手際の良い動きで、あっという間にエドガーとカイルの前に数々の料理を並べる。
温かな湯気を出すポタージュに、鮮やかな赤と瑞々しい緑の野菜を使ったサラダ、厚いステーキに切り分けられた柔らかそうなパン、そしてグラスに赤ワインが注がれる。
豪勢な料理にカイルは唾を飲む。
干し肉でどうにか黙らせた腹の虫が、眼前の料理に騒ぎ始める。だが、それをぐっと抑えると、正面に座るエドガーを見る。
「エドガーさん、食事の前に貴方がオレを助けた目的を話してもらえませんか」
ワインで口を湿らせながら、カイルの要求を聞いたエドガーは口の端を吊り上げて笑う。
「ふむ、なかなか小賢しく、私好みの若者ですね、君は。
そんなに警戒せずとも、料理に毒なんて入っていませんよ。
ですが理由を明かすまでは、君は警戒を解く気は無いのでしょう?
では、話を先にしましょうか。
私はフィリナーム王国軍将軍と懇意の武器商であると同時に、裏では君と同じくロシェ帝国に仕える密偵なのですよ」
「!!」
エドガーの口から告げられた事実に、カイルは息を飲んだ。
まさか王国の深部と繋がりのある人物が、帝国の密偵であるなど想像していなかったのだ。
「私は元々は王国の者でしたが、数年前から帝国と取引をしていましてね。
王国の内情を伝える他に、帝国の侵攻を進めやすくする為に王国軍に偽の情報を流したりしています」
エドガーはそこまで言うと、テーブルに両肘をついて手を組み、鋭い眼差しでカイルを見る。
その視線に身をこわばらせてカイルは言う。
「だから、帝国の残兵とおぼしき俺を助けた、と?」
「ふっ、まだとぼけますか?
帝国第四大隊所属の歩卒、カイル・シンクレア君」
「!!」
突然己の名を言い当てられ、カイルはたじろいだ。
エドガーは目を細め、満足そうにワインを含む。そして黙ったままのカイルに続けた。
「どうして私が君の名を知っているのか?
簡単ですよ。この五日間、我々はずっと君を捜していたんですから」
「オレを捜していた?」
おうむ返しに問うカイルに、エドガーは頷いた。
「言ったでしょう、私は帝国の密偵ですからね。帝国と王国、両軍の動きも把握しています。
五日前の夜、ガウパ森にいる第四大隊を発見した王国軍が、奇襲をかけると知って、我々は第四大隊にそれを知らせようと動いたのですが、間に合いませんでした。
壊滅、四散した第四大隊の兵士を王国軍から、密かに助けて回ったのですよ。いや、随分骨の折れる仕事でした。
生き残った者は数少ないとはいえ、王国軍の眼を盗んで負傷した者を助けなければなりませんでしたから。
あの時、我々が最も重要として最優先に助けるべき人物は、皇帝陛下より『戦龍の剣』を下賜された大隊長のハーマンでしたが、彼は奇襲直後に王国軍兵士に討ち取られていました。
救出した兵士達に話を訊いた所、ハーマンはあの夜、愚かにも酒で酩酊していたらしく、奇襲に対して素早く対応出来ず、混乱のさなか戦龍の剣を失い、丸腰のまま逃げまどっている所を討たれたのです。
戦龍の剣は帝国の至宝。
それを王国軍に奪われてはならないと、我々は兵士を助けると共に戦龍の剣を捜し出すこととなったのです。
そうこうしている内に王国軍の兵士が、戦龍の剣を持って逃げる帝国兵に気付き、動き出しました。
我々も先回りしようとしましたが、すぐにその帝国兵は剣と共に崖から転落したと報せが入りました。王国軍と我々は遠回りをして崖下へ下り、落ちた帝国兵と剣を捜しましたが見つかりません。
まだ生きていた帝国兵が戦龍の剣を持って逃走した、と王国軍は判断して残兵狩りを始めました。
我々は助けた兵士達に話を訊いていく内、幸いにも君が剣を拾い、逃げる所を見た者を発見しましてね。彼から君の特徴を詳しく訊いて他の兵士に尋ねると、君の名を覚えている者が居たのですよ、カイル君。
そうして我々が君を必死に捜している所へ、君はひょっこりこの村へやって来てくれました。
君の特徴は知っていましたからね。
村に駐屯している王国軍の動きを見張っていた私の部下が、君だと気付いて報せたのです。
そして私が君を確認、保護しようと出向いた所、あんな場面に出くわし、君をあの野蛮な兵士達から助けた次第です。
解ってもらえましたか?」
エドガーの長々とした説明を聞いて、カイルは自分がマルレーネの洞窟内で過ごした五日の間に起きていた事を理解した。
マルレーネに助けられて姿を消している間に、帝国、王国の両軍が血眼になって己と戦龍の剣を捜していたのだ。
王国軍はある程度予想していたが、帝国軍側に自分の事が伝わりお尋ね者にされているとは考えてもいなかった。
(……最初から、オレに逃げ道は無かったんじゃないか)
胸中で毒づいて、故郷に帰る希望が潰えた事に落ち込む。
しかし、悔いた所で今の危うい己の状況が打破できる訳では無い。
カイルは深く息を吸い込み、腹に力を込めてエドガーを見る。
どうしても避けられない事に触れねばならなかった。
「確かにその通りです。オレが、カイル・シンクレアです。
ですが、既にーー」
「戦龍の剣は持っていない。
一体、何処でどうしたんですか?」




