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2.洞窟にて

 どれほど経ったのだろうか。判らないまま、ただカイルの意識は目覚めた。

(胸が温かい……)

 その事に妙な安堵感を覚えながら、カイルは目を開けた。

 ギョロ目の黄虎猫の顔が、眼前フレームいっぱいにあった。

 目が合った途端、カイルは息を止める。

「ニュヒッ」

 猫が歯を見せてニンマリ笑う。その呼気は魚臭かった。

「目、覚めたかニャ?」

「うわああぁっ!?」

 猫が人の言葉で問いかけてきたことで、カイルは我に返り腕で胸に乗っていた猫を払いのけ、上半身を起こした。

「ニャ、ニャニャーッ?!」

 ずいぶん太って丸々していた猫は、弾みながら転がっていく。やがて壁に当たって止まると「マムー!」と叫びながら、部屋から出て行った。

「ここは……どこだ?」

 カイルは薄暗い室内を見回して呟いた。天井も壁もごつごつした岩であちこち苔に覆われている。

 どうやら洞窟の中の一角で、そこそこの広さがある部屋だった。

 地に手をつくと、冷たい岩の感触ではなくぼったりした布に触れる。見てみるとカイルの体の下には黄土色の布が敷かれていた。

 近くの岩の上に小さな油灯りが置かれていた。カイルの座っている正面に、先ほど猫が逃げていった出入口がある。そこへ人影が現れた。

 カイルは思わず身構える。

 現れたのは十二、三歳の少女だった。

 銀髪を後ろで一つに束ねた愛らしい顔立ちで、将来は美人になりそうな容貌だ。だが、カイルを見る深い紫色の瞳は半分まぶたが落ちている。

 とろんとした目で、なんだか茫洋とした印象を受ける。

 全身を黒のローブとマントで包んだ少女は、先ほどの黄虎猫を抱いていた。

「君は、誰だ?」

 歩み寄ってくる少女に、緊張した声で問いかける。

 少女は小さくため息をつくと、足を止めた。

「誰だとは、随分ね。

 まあ、目覚めたばかりで混乱しているでしょうから、無理もないけれど。

 一応は恩人よ、貴方の命の」

 鈴が鳴るような声で、冷ややかに告げる。

「恩人……?」

 言われて、カイルは己があの夜、矢を受け崖から転落したことを思い出した。

 自分の右胸を見下ろすと、上半身ははだけていて胸には包帯が巻かれていた。痛みは全く無い。

「右胸の傷は貴方が気絶している二日間の内に一応の治療はさせてもらったわ。あちこちの小さい傷も。

 王国軍に追われて、崖から落ちていたわね」

 少女は淡々と説明をして、最後に思い出したように付け加える。

「見ていたのか!?」

 それで敵から匿って助けてくれたのか。とカイルが感動している目の前で、少女は無表情のまま首を横に振った。

「いいえ。

 食料調達に森に出たら、崖下の木に貴方が逆さ吊りで引っ掛かっていたから。

 あの日は王国軍がうろついていたし、多分そうだろうなって」

 と、のたまう。

 カイルはその言い草に、苦い思いをのせて短い呻きを漏らす。

 しかし、彼女に助けられたのは現状からみて事実だ。

「とにかく、助けてくれてありがとう。

 えっと……君、名前は?」

「この場合、礼儀に乗っ取ってそちらから名乗るべきではないの?

 それとも帝国の兵は、礼儀を捨ててしまっているのかしら?」

 少女は言いながら、猫のあご下を掻いてやる。猫はうっとりと目を細め、喉を鳴らし始める。

(このクソガキ……)

 カイルは怒りを覚えたが、年上としての余裕を見せるべく怒りを飲み込んで、名乗る。

「オレの名はカイル・シンクレア。

 ロシェ帝国軍第四大隊所属だ」

「私はマルレーネ・リアーニ。

 この子はドゥルー」

「ヨロシクニャ!」

 ようやく名乗った少女マルレーネの腕の中から、笑いながらドゥルーと呼ばれた黄虎猫が片手を上げる。

 カイルはその光景に眉間にしわを寄せながら、問う。

「……マルレーネ、ドゥルーは猫なのに、どうして喋れるんだ?」

「ドゥルーは猫じゃない。雷獣の子供」

「雷獣の仔!?」

 カイルは驚愕の声を上げた。

 この世界には多種の幻獣、魔獣と呼ばれる生物が存在している。雷獣とは雷を操る力を持つ、虎に似た巨躯の魔獣だ。

 それならば、ドゥルーが人語を解するのもわかるが、幼い少女が仔供とはいえ雷獣と居るのは普通では無い。

 カイルはマルレーネに鋭い視線を向ける。

「マルレーネ、君は何者だ? 君はフィリナーム王国の者か?」

「いいえ、私はどこにも属さないわ」

「どこにも、属さない?」

 その言い方に、何か引っ掛かるものを感じ、呟くカイルにマルレーネはため息をついて言った。

「私が雷獣と一緒に居るから、何処かの国に仕える獣使いカジャの一族だと疑っているのね」

「ああ」

 カイルは頷いて肯定した。

 獣使いの一族『カジャ』。

 幻獣、魔獣を捕獲、育成して従え、戦争の武器とする能力に長けた一族だ。

 昔から人間より古き血筋の種『古種』と呼ばれているが、国を持たぬ彼らはどこからともなく現れ、その能力を方々の国に売り込んでいた。

 今や戦争となれば、どの国もカジャが率いる獣の部隊を擁している。

 カイルもどこかの国が、国庫の大部分をカジャとの契約、獣の大部隊編成のために割いたという噂話を聞いていた。

 マルレーネがカジャの一族であるならば、雷獣の仔を育成していてもおかしくはない。

「……貴方がそう思うのなら、そういう事にしておくわ」

 マルレーネはどうでもいいといった感じで言う。その口ぶりからして本当はカジャの一族では無さそうだが、己の事を話したくないのだろう。

 人を煙に巻く彼女の態度に、とうとうカイルは切れた。

「いい加減にしろ!

 助けてくれたのは感謝するが、素性も何も明かさない奴を信用できるか!

 一体お前は何の目的でオレを助けたんだ!?」

 怒声を浴びせられても、マルレーネは動じることなく答える。

「私の目的は貴方が持っていたソレよ。

 もたもたしていたら、王国軍に奪われてしまいそうだったから」

 マルレーネはカイルの左側を指差した。

 見やれば、敷布のすぐそばに抜き身の剣が置かれていた。

 細かい意匠の施された長剣。 白銀の刀身は冷たく鋭い光を放っている。

「貴方達、帝国軍が先の大戦の英雄である戦龍(いくさりゅう)ギルバルトの遺言によって、戦龍自らの骸を用いて造った武具の一つ。

『戦龍の剣』。

 一歩卒が持つには、出来過ぎた業物ね?」

 僅かに嘲笑を含んだ声音で、マルレーネは言う。

「そうか、だからか……」

 ようやくカイルはあの夜の王国軍の執拗な追撃の理由を悟った。

 幾つもある戦龍の武具は帝国の皇族のみならず、将軍や大隊長にも下賜されている。

 カイルの属していた第四大隊を率いる大隊長ハーマンが、自慢げにこの剣を見せびらかしていたのを思い出す。

「戦龍の剣を持つ、この私に倒せぬものなど無い。お前達は私の指揮に従っていればいい」なんて吹聴していたのも思い出し、カイルは小さく笑った。

(なら、あのザマはなんなんだ?)

 あの奇襲で第四大隊は戦う所か、完全に混乱し統制する者も無く皆逃げ惑うばかり、己の事で精一杯だった。

 カイルも身を守るために、確認もせずに近くにあった剣を拾い、ほうほうの体で逃げ出したのだ。

 まさか拾った剣が戦龍の剣だったとは。

 王国軍が目をつけたのは己でなく、剣の方だったのだ。

「理解して貰えたかしら?」

 薄く微笑むマルレーネに視線を戻し、カイルは言う。

「戦龍の剣が目当てで、オレはついでと言う訳か」

「ついでとは言わないわ。人の命も大事でしょう?」

「よく言うぜ」

 言いながら、カイルは傍らに在った剣を手にした。

 次の瞬間立ち上がり、身構えて剣の切っ先をマルレーネの鼻先に突きつける。

 マルレーネは全く身じろぎせず、冷ややかに切っ先を見ていた。代わりに抱いているドゥルーが、毛を逆立てて唸り声を上げる。

「考えなかったのか?

 オレを助けて、その近くに剣を置けば、こういう事態を招くという事を」

 自分でも不思議なほど、静かな声で諭すように告げた。眼前のマルレーネは不敵に笑う。

「そんな事をすれば困るのは貴方よ。

 自分でも解っているんじゃないの?

 貴方の右胸の傷は、肺にまで達していた。

 それをさっき言った通り二日の間に一応の治療で、何とかくっつけて塞いだだけ。

 今、長く動いたりしたら塞いだ穴が開いて呼吸困難か、肺から上った血で窒息して死んでしまうわ。

 それに、一思いに今、私を殺してしまえば良かったのに、止めたのは何故?」

 逆に問い返され、カイルは小さく息を漏らすと、剣を下ろした。

「一応は命の恩人だからな。

 オレだって血も涙もない人間じゃない。信用できないとはいえ、子供を手にかけるつもりは無いさ」

「軍人のくせに、随分と甘い考えね」

「なりたくて軍人になった訳じゃない。

 帝国の徴兵令で駆り出されただけさ」

 答えて、カイルは握っている剣を見下ろす。

「その元凶は戦龍の遺した武具」

 カイルの心の内を見透かしたように、マルレーネは言った。

「そうだな。

 五年前の英雄、戦龍ギルバルトの遺骸から造られたこいつは、帝国を勢い付かせ、更なる戦争を振り撒き、招いている。

 良いだろう。

 オレは本来の持ち主じゃないが、剣をお前にやるよ」

 カイルの返答に、マルレーネはドゥルーを下ろし、マントの下から白く小さな掌を差し出した。剣を渡せと催促しているのだ。

 だが、カイルは剣を引っ込めた。マルレーネの柳眉が吊り上がる。

「今はまだダメだ。

 まだ、お前を完全に信用した訳じゃない。

 治療が終わって、ここを出ていく時に、礼として渡す」

 マルレーネはその返答に大きくため息をつくと、手をマントの下にしまった。

 不満げな顔ではあったが、告げる。

「いいわ。それで契約成立」

「それじゃ、ヨロシクな。

 ……つ、イテテ……」

 不意に胸が痛み、カイルは傷を押さえる。

「痛み止めが切れたみたいね。

 そろそろ切れるから飲ませに来たのだけど、余計なおしゃべりをしすぎたみたい」

 マルレーネの説明の間にも、あまりの激痛にあっという間に脂汗がにじむ。

 手の力が緩み、剣を取り落とす。乾いた音をたてて、剣は床を転がった。

 呻くカイルの顔を、マルレーネは覗き込んでくる。

「横になって、大人しくしなさい」

 言葉に従い、カイルは敷布の上に戻ると、体を倒し楽な体勢で横向きに寝そべる。

 マルレーネは敷布の傍らに座ると、腰に吊るしていたのだろう小さな革袋をマントの下から取り出した。

 水筒用に造られた革袋には、金属の吸い口が取り付けられている。吸い口の栓を抜くと、カイルの口に当てた。

二口(ふたくち)、吸い上げて飲みなさい。水溶の痛み止めよ」

 カイルは言われた通り、薬を吸い上げた。

 素晴らしく苦い薬に思わずむせかえり、吸い口から顔を背けた。

「飲みなさい。でないと痛みで眠れないわよ」

 マルレーネは言いながら、もう一度吸い口を押し当ててくる。

 半ば自棄になってカイルは苦い薬を吸い上げ、喉へと流し込む。

 薬を飲み終えると、カイルはもうぐったりしていた。

 マルレーネはそんなカイルを引き倒して仰向けに寝かせると、ドゥルーをカイルの胸に乗せた。

「じゃあ、ドゥルーよろしくね」

「……おい、こら……」

 わざわざ痛む胸に、重いドゥルーを乗せられ、カイルは掠れた声で抗議する。

「ドゥルーは貴方の胸の音を聞いてくれるわ。

 呼吸に異常があったら、直ぐに私に知らせられるように。

 私は薬を作ったりで、付きっきりで看病してあげられないから。

 だから、目覚めた時のように、ドゥルーを振り落とさないで頂戴」

「……もう、好きに、しろ……」

 カイルが諦めて言うと、マルレーネは床に転がっている戦龍の剣を拾い上げた。

 視界の片隅でそれを見たカイルは、声を上げる。

「待て」

 弱々しいが焦りを含んだその声に、マルレーネはこちらを向いて微笑んだ。

「契約違反はしないわ」

 言って、灯りを乗せた岩の側に剣を立て掛ける。

 そして踵を返して部屋を出て行った。

(あいつは本当に、なんなんだ?)

 マルレーネが居なくなると、カイルは考える。だが、しばらくすると薬が効いてきたのか、痛みが和らいできた。

 痛みが薄らぐと、たちまち睡魔が襲ってきて、カイルは眠りに落ちた。

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