11.隠者
食事を終えると、本当にせわしなくカイルは洞窟に向かう準備に追い立てられた。
エドガーとロックに洞窟からジュノーの村までの道程を告げ、見せられた地図でおおよその場所を特定すると、再びロックに案内され、カイルは屋敷の裏へと連れていかれた。
屋敷の裏では既に十数名の黒装束をまとい武装したエドガーの部下と、人数分の馬が待機していた。
一台だけ小さな荷車があったが、それにはいくつかの小さい木箱が積まれていた。
あまりの物々しさに驚くカイルに、同じく着替えて武装したエドガーが馬に乗れるか問う。
カイルが大丈夫だと答えると、あっという間に馬をあてがわれ乗せられた。
後はエドガーの「出発」の一言で、屋敷を出、全員が馬を駆って村の側にある小川を伝い、さかのぼっていく。
一応案内役、という事でカイルが先頭に立ち、馬を駆る。
昼間たっぷり歩いていたカイルは疲れていたが先導役である事と、この後の事を考えるとそうもいってはいられなかった。
後ろから続いて付いてくるエドガー達に一瞬、ちらと目をやりカイルは小さくため息をついた。
(まるで戦に行くみたいじゃないか)
胸中で毒づく。
人物については場所を特定する際にエドガーに問われ、十二、三くらいの少女であったとは答えた。もしかしたら、仲間がいたかもしれない、とも。
ドゥルー、雷獣の仔がいた事を話すべきかカイルが迷っていると、エドガーに分かった、早く出発しましょうと話を切り上げられ、言わず仕舞いのままだった。
不測の事態に備えてとはいえ、カイルは全身を黒装束に包み、覆面で顔を隠したエドガーの部下達に不信感を抱いていた。
だが今更、進む事をやめる事も出来ない。カイルは気を引き締めて手綱を握り直す。
馬を走らせ続け上空の満月が天頂より西へ傾く頃に、カイル達はマルレーネの洞窟の入り口が遠目に見える所までやって来た。
カイルはエドガーと打ち合わせていた通り、片手を上げて合図を出すと馬を止めた。
カイルの合図に、後続は皆見事に揃って馬を止める。
カイルはエドガーに向かって振り返り、洞窟を指さす。
「あそこです」
その一言にエドガーは目を細めて洞窟を確認し、にやりと笑うと言う。
「蹄の音で気付かれて逃げられても困ります。
ここからは全員馬を降りて、そっと近づきましょう」
「解りました」
小声で話し、全員が馬から降りると音をたてないように姿勢を低くし、森の木々の間をすり抜け洞窟へ近付く。
洞窟前の開けた広場と森の境にまでたどり着くと、エドガーが部下に向かって手を横に振った。
合図に黒装束の部下達は夜闇に紛れて素早く散開し、洞窟を取り囲むように輪を描いて配置についた。
カイルの側に残ったエドガーとロックが、カイルに視線を向ける。
「カイル君、ここからは君の出番です。
君はこれから洞窟の中へ入り、中にいる君を助けた人物を外へ連れて来て下さい。
そこで私がその方と交渉します。いいですね?」
「はい。行ってきます」
エドガーの指示にカイルは頷き、立ち上がろうとした。しかし、すぐにロックがカイルの腕を掴み、ぐいと乱暴に引き下げた。
腰を浮かせていたカイルは突然の事に抵抗できず、ひっくり返りそうになりながら、またしゃがみこんだ。
「何をするーー」
「黙れ、人が出て来た」
抗議するカイルにロックは視線を洞窟に向けたまま、短く必要な事だけ言う。それを聞いてカイルは顔を上げ、茂みの向こうの洞窟を見た。
洞窟の中から月明かりに照らされ輝く銀の髪を揺らしながら、マルレーネが歩いて出て来ていた。
相変わらずの黒装束で、何かを抱いている。色はドゥルーのようだが違った。
マルレーネの腕の中にいたのは、カイルが時々洞窟内で出会った確かラナンと呼ばれていたキツネだった。
マルレーネは林の手前で立ち止まると、キツネを地面に下ろした。
「さぁ、森に帰りなさい。元気でね」
遠いため微かであったが、カイルにもマルレーネの声が聞こえた。
どうやら完治したキツネを森に帰してやるところだったのだ。
カイルは彼女がそうだと告げるべきかと視線を戻すと、側にいたエドガーはマルレーネを見つめたまま、笑みを浮かべていた。
「ふっ、ようやく……見つけましたよ」
エドガーのつぶやきが漏れ聞こえカイルが眉をひそめた途端、エドガーは指に口を当て甲高い口笛を吹いた。
刹那、隠れていたエドガーの部下達が茂みから姿を現し、マルレーネに向かって駆け出した。
驚き、身構えるマルレーネ。その前にいたキツネは彼女を庇うように毛を逆立てて唸ったが、あっさりと蹴り飛ばされ悲鳴を上げて転がった。
「ラナン! あぅっ!」
キツネの名を呼びマルレーネは手を差し出そうとしたが、その手を一人に掴まれ、たちまちに後ろ手にされて捕らえられた。残ったエドガーの部下達はマルレーネの周囲を取り囲む。
蹴飛ばされたキツネは生きていたらしく、立ち上がると一目散に森の中へ逃げていった。
エドガー達の唐突な行動に言葉を失うカイルの眼前で、黒のマントをはためかせてエドガーは立ち上がり、ロックを従え悠然と歩み出す。
カイルも慌てて立ち上がり、エドガーに言った。
「エドガーさん、ちょっと待ってくれ! これは一体、どういう事なんだ!?」
荒げたこの声に、マルレーネの視線がカイルの方に向いた。そして横のエドガーに目を止め、たちまちマルレーネの顔に怒りが現れた。
「エドガー・イオニス……」
小さく、だが怒りの滲む声でマルレーネが名を呟く。
カイルはマルレーネがエドガーの名を知っていた事に驚き、彼女の顔を見た。
エドガーはそんな二人の間で大仰に両手を広げ、笑う。
「おや、一度だけしか顔を会わせていないのに、覚えていて下さったとは、光栄です」
言いながらエドガーはマルレーネに歩み寄り、眼前に立つ。
睨み上げるマルレーネの顎に左手をかけ、顔を上に向かせると右手でマントの内に忍ばせていた小刀を抜き取り、マルレーネの細い首に当てた。
「!! やめろ!」
あまりの事にカイルはエドガーを止めようと駆け寄ろうとした。しかし、エドガーの後ろに控えていたロックがカイルの前に立ちはだかり、制した。
後方でのカイルとロックの攻防など無視して、エドガーはマルレーネに言った。
「今まで随分と袖にされましたが、ようやく捕まえましたよ。
子ウサギの英雄様」
エドガーは煌めく白刃をマルレーネの首に押し付け、楽しむようにその怒りに染まった顔を覗き込む。ロックの肩越しに、マルレーネが憎悪の表情でエドガーを睨み付けているのがカイルにも見えた。
(英雄?)
エドガーの発した言葉にカイルは動きを止め、マルレーネの顔を見続ける。
「マルレーネ殿のご慈悲が、我々をここまで導きましたよ。
今まで散々、武具略奪の為に大隊長達を殺した貴女らしくもないミスでした。
彼を生かし、逃がした貴女の敗けです。
こんな結末になるなら、あの時、皇帝陛下の召し上げを蹴らねば良かったでしょうに。クククッ」
「あんな屍山の頂点に立つ忌まわしい残虐皇帝の妻になど、誰がなるものかっ!」
舐め回すようなエドガーの言葉に、即座にマルレーネはカイルが知る以上の怒号を発した。
次の瞬間、エドガーは小刀をさらに強く喉に押し込んだ。
マルレーネは声を上げなかったが、苦しさに顔を歪めた。
「黙りなさい。
陛下を侮辱する資格など、貴女に無いでしょう?
貴女こそ、何よりも硬く鋭く、激しく爆ぜるもので、タレイモア十万の命を奪った張本人なのですから!」
「違う!
私達は、向かってくる者しか殺さなかった!
十万の屍山は、お前達帝国軍の略奪と隷属の果てに築かれたものよ!」
押し当てられた小刀の下から血が滲み伝っても、マルレーネは語気を緩めなかった。
二人の聞き捨てならない会話に、カイルはようやく口を開いた。
「今の話は、どういう事なんだ?
マルレーネが五年前のタレイモアとの大戦に関わっていた?
そんな事、無理だろう?」
現在のマルレーネを見た目通りの十二、三歳とすると、五年前は七、八歳だ。
戦に参加するなど到底無理だとカイルは考え、口にしていた。
問いかけに、エドガーはカイルの方を向いて目を細めて笑った。
それは今まで見た人の好さそうな笑みではなく、陰湿で薄気味の悪い笑みだと、カイルは腹の底から思った。
「無知とは、可愛らしいものですね。ねぇ、英雄様。
貴女を見かけ通りの歳と思っているのですよ。
ああ、だからこそ、彼は毒牙にかけず逃がしてあげたのですね」
エドガーの嫌味な言葉にマルレーネは彼を睨み付けたまま口を閉ざした。
エドガーは低く歪んだ笑いを漏らすと、続けた。
「カイル君、よく聞きなさい。
君は聞いていないはずです、彼女の真の名を。
この方の名は、マルレーネ・リアーニ・ゼノクーラ。
獣使いカジャと並ぶ古種、命紡ぐ者クーラ族なのですよ」
「なっ……!?」
エドガーの告げた真実に、カイルはマルレーネを見た。マルレーネも視線を少しカイルの方に向けたが、すぐに逸らした。
「マルレーネが古種、クーラ族……!?」
「そうです。
いくら下級の者でも、クーラの伝承を一度は聞いたことがあるでしょう。
クーラの血族は長命で人の倍の寿命を持ち、命を与え繋ぎ、延命蘇生の術に長ける。
猛きカジャとは正反対の慈悲深い古種。
この少女とて、クーラに属する故にこんな子供の姿でも、中身はこの倍の歳なのですよ。
ククッ、全く年若い見目で人をたぶらかす魔性の者ですね。
そして、妃も戦の話も故に成り立つのです。
このマルレーネこそが戦龍ギルバルトを繰りて、タレイモアとの大戦を勝利に導いた、影の英雄様なのですよ!!」
エドガーは楽しくてたまらないのか、まるで自慢するかのようにマルレーネに関する事を暴露する。
明かされた事実に驚愕し、カイルは言葉を失いマルレーネを見つめた。
未だ視線を逸らしたままの彼女に向き直ると、エドガーはふっと鼻で嘲笑った。
「しかし、今更軍の大隊長を殺して戦龍の武具を奪うなどと、帝国を救った英雄ともあろう方が情けないですね。
まあ、貴女の最大の武器だったギルバルトが居ない今、手駒の少ない貴女に出来るのはあの程度の奇襲でしょうね。
全くもったいない。
貴女は皇帝陛下との盟約通りに帝国守護の為に、その力を使うべきだったんですよ」
「黙れ!」
執拗に続くエドガーの嘲りを、マルレーネは怒号で打ち切った。
嘲笑が彼女の逆鱗に触れたのだろう。マルレーネは再びエドガーを睨み上げて言う。
「守るべき約束を違え、道を踏み外したのはお前達の方だ!
私は己の欲望の為に戦争を引き起こし、争う為政者と関わるつもりは無かった。
けれど、私は皇帝と不運にも出会い、そして憐れんでしまった。
大国に蹂躙されるままの小さな国、それが明白だったから。
あの頃の皇帝は、無力な小国の王で己の国の民を救えぬ自身の非力さを嘆いていた。
私は人々を護る為に戦争を止めようとギルバルトに言ってしまった。
ギルバルト自身もあの大戦を期に己の忌み名『戦龍』を捨てようとしていたのよ!」
「ふっ、戦いを好み、戦場に現れ、さらなる破滅の戦争を人間にもたらす災厄の龍。
故に古き伝承の時代、戦龍と称された。
その忌み名が一度や二度、人間を護ったとて消えるものではないでしょうに」
「それでも、自分の命が残り僅かだと悟っていたギルバルトはそれを望んでいた!
だから私はギルバルトと共に、彼と戦に巻き込まれた人々の為にタレイモアとの大戦に参加した。
大戦に勝利し、最後の一年を穏やかに過ごした後、ギルバルトは満足して天上へと逝ったのよ。
『やっと戦の血塗られた記憶を抜け出て、安らかに眠れる』と……。
ギルバルトが亡くなった後、愚かにも私は皇帝となったあの男に報せてしまった。
すぐに皇帝は葬列のふりをして、軍を率いてやって来たわ。
一度といえど、共に戦い、敗戦必至だった戦を逆転させ国と民人を救ったギルバルトの亡骸を、皇帝は弔辞すら無くただの武具素材として私達から奪い取ったのよ!
そして彼の亡骸を辱めて武具に造り替え、安らかに眠るはずだったギルバルトの体をまた戦場に持ち込んで、血で汚した!!
そんな……そんな非道が許されてなるものか!!」
マルレーネの悲憤の叫びが、夜の森に響く。
怒りで興奮しすぎたのか、はたまた悔しさによるものか、マルレーネの目から涙がこぼれていた。
(そうか、だから戦龍の武具を取り戻そうと……。
帝国をあんなに憎んでいたのか)
カイルは理解し、考える。
帝国はやはり、すべてが嘘だったのだ。
ギルバルトを皇帝が従えていた事に始まり、ギルバルトの遺言も戦をする為だけにでっち上げて、民を騙していたのだ。
(マルレーネを助けないと)
カイルは決心した。
まだ大隊長殺しの件ははっきりしないが、帝国、皇帝のやり方には賛同できない。何より、今のエドガーの言動が帝国そのものを反映していて、歪んでいると思った。
エドガーはマルレーネの叫びを鼻先で笑うと、言う。
「いずれ非道ではなく、正道として帝国栄光の歴史になりますよ。
その為にも、貴女が今まで奪った戦龍の武具の隠し場所に案内してもらいましょうか?」
エドガーが話す間カイルはどう動くべきか、エドガーの部下達をどう避けようかと考える。
そんなカイルの周囲から、ふっと月明かりが消えた。
雲が満月を隠したのだろうと思ったカイルに対し、眼前にいたロックが弾かれたように顔を上に向けた。




