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ツクヨミ様は中間管理職~三貴神の真ん中ですが、今日も神話の尻拭いをしています~  作者: まるちーるだ


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第8話 やっと静かになったと思ったのだ


八柱が、それぞれ伴侶を得た。


ホミミは、穏やかな姫を迎えた。


ホヒも、ヒコネも、イクツも、クスビも。


タキリも、イチキも、タギツも。


それぞれの場所を持ち、それぞれの役目を持ち、それぞれの宮を持った。


月の宮は、久しぶりに静かになった。


本当に、静かだった。


朝、廊下を走る足音がしない。


「行ってきます!」という声もない。


夕方になって、「ただいま帰りました!」と八柱が並んで帰ってくることもない。


食卓の器は少ない。


布団も、畳まれたまま。


書庫の本も、元の場所にある。


庭の水面も、タギツが覗き込まないので揺れない。


窓辺に座るタキリもいない。


明かりの具合を気にするイチキもいない。


寝る前に明日の予定を確認するヒコネもいない。


端の影に座るクスビもいない。


ホヒの寝息も聞こえない。


イクツを「座れ」と叱る必要もない。


ホミミの布団を、右から三番目に直す必要もない。


静かである。


非常に静かである。


私は、茶を飲んだ。


温かい。


静かだ。


平和だ。


……平和、なのだが。


少しだけ、広い。


月の宮とは、こんなに広かっただろうか。


「寂しい?」


背後から声がした。


私は振り返らずに言った。


「オモイカネ」


「うん」


「勝手に入るな」


「昔から入っているでしょ」


「開き直るな」


オモイカネは、当然のように私の向かいへ座った。


思金神オモイカネ


高天原の知恵袋。


私の数少ない友人であり、勝手に月の宮へ来て茶を飲む困った神である。


「静かになったね」


「そうだな」


「よかったね」


「そうだな」


「本当に?」


私は茶を見た。


「静かでよい」


「うん」


「私は夜を治める神である。静かな方がよい」


「うん」


「八柱も、それぞれの場所を得た。よいことだ」


「うん」


「よいことだ」


「二回言ったね」


「うるさい」


オモイカネは笑った。


嫌な友人である。


だが、今日はいつものように軽い笑みを浮かべているのに、どこか疲れて見えた。


私は目を細めた。


「オモイカネ」


「何?」


「お前がその顔をする時は、大体ろくなことがない」


「さすがツクヨミ。よく分かってる」


「褒めるな。不吉だ」


「褒めたのに」


「何があった」


オモイカネは茶を一口飲み、深く息を吐いた。


珍しい。


本当に珍しい。


この男が本気で疲れた顔をする時は、大体、知恵で止められなかった何かが起きた時である。


「止めたんだけどね」


「何を」


「天孫降臨」


私は、茶碗を置いた。


音が、やけに大きく響いた。


「……今、何と言った」


「天孫降臨」


「姉上が、葦原中国へ天つ神を遣わす話か」


「そう」


ついに来たか。


姉上が、葦原中国を本格的に治めることを考え始めた。


規模が大きい。


姉上の案件は、いつも規模が大きい。


「それで」


私は静かに尋ねた。


「誰が選ばれた」


オモイカネは、一瞬だけ黙った。


その沈黙で、嫌な予感がした。


非常に嫌な予感がした。


「|天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命《あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと》」


私は目を閉じた。


長い。


そして、聞き覚えがある。


嫌な方向に。


「……ニニギ?」


「うん。ニニギ」


「ホミミの子の」


「うん」


「ホアカリではなく」


「うん」


「落ち着いていて、話が通じて、書類も読めて、相手の面子も立てられるホアカリではなく」


「うん」


「ニニギ」


「うん」


私は額を押さえた。


よりによって。


よりによって、なぜ。


「なぜ、ホアカリじゃない……」


ホアカリなら、話が通じる。


落ち着いている。


相手の顔も立てられる。


書類も読める。


現地の神々と揉めても、一度持ち帰るくらいの判断はできる。


贈り物の量も、誰かに相談してから決めるだろう。


ホミミでもよい。


ホミミは真面目だ。


礼儀正しい。


責任感が強い。


少し考えすぎるところはあるが、それは悪いことではない。


少なくとも、話を最後まで聞く。


だが、ニニギ。


明るい。


華やか。


勢いがある。


姉上――つまりアマテラスお祖母様が大好き。


お祖母様に言われれば、目を輝かせて飛び出す。


そして、たぶん。


話を最後まで聞かない。


「オモイカネ」


「うん」


「お前は、何と言って止めた」


オモイカネは、少しだけ目を伏せた。


「地上統治となれば、武勇や華やかさだけでは足りないと申し上げたよ」


「正論だな」


「現地の神々との交渉、儀礼、土地の事情、言葉の選び方、退くべき場面の見極めが必要です、と」


「正論だな」


「であれば、まずは父であるホミミ様をお遣わしになるのがよろしいかと」


「正論だな」


「あるいは、補佐としてホアカリ様を、とも」


「それも正論だな」


「でも、通らなかった」


「なぜだ」


「アマテラス様が、ニニギなら大丈夫でしょう、と」


「大丈夫ではない」


その場にいなかった私ですら分かる。


大丈夫ではない。


「ニニギは明るく、まっすぐで、私の言葉をよく聞く子です、と」


「そこが問題なのだ」


「私もそう思った」


オモイカネは、珍しく肩を落とした。


「まっすぐなことと、統治に向くことは別でございます、とも言ったよ」


「よく言った」


「地上には地上の神々がおります。天の理だけで押し通せば、反発も起こりましょう、とも」


「さらによく言った」


「ニニギ様には、まず補佐を付け、段階を踏ませるべきです、とも」


「本当に、よく言った」


「でも、アマテラス様は言った」


「何と」


「だからこそ、ニニギなのです」


私は沈黙した。


なぜ。


なぜ、その結論になる。


「太陽神のお祖母様心は、知恵では止まらないんだよ」


オモイカネが、嫌な名言を吐いた。


私は深く息を吐いた。


「知恵袋だろう」


「知恵があっても、太陽神のお祖母様心は止まらないよ」


「二回言うな」


「大事なことだから」


「嫌な大事さだ」


その時、廊下の向こうから慌ただしい足音が響いた。


ただし、その足音は途中でぴたりと止まった。


月の宮では、廊下を走ってはいけない。


私がそう教えた。


それを守ってから、急ぎ足でやって来たのは、ホミミだった。


「ツクヨミおじ様……!」


顔色が悪い。


本当に悪い。


かつて月の宮で、右から三番目の布団でよく眠っていた子が、今は立派な男神となり、妻を迎え、子を持った。


落ち着き、礼儀を身につけ、話が通じる。


実に良い子に育った。


そのホミミが、今。


半泣きである。


「ホミミ」


「ニニギが……!」


「聞いた」


ホミミは、その場で崩れ落ちそうな顔をした。


「申し訳ありません……!」


「お前は悪くない」


「ですが、息子が……!」


「息子が少しドラ息子なだけだ」


「うっ」


「泣くな。私も泣きたい」


オモイカネが横で静かに頷いた。


「今回は、私も少し泣きたい」


珍しい。


本当にまずい時の反応である。


ホミミは必死に息を整えてから、深く頭を下げた。


「アマテラス様より、葦原中国へ天つ神を遣わすとのお話がありました」


「聞いた」


「そこで選ばれたのが、ニニギで」


「聞いた」


「私は、ホアカリの方がよいのではと申し上げようとしたのですが」


「したのか」


「……言う前に、ニニギが」


嫌な予感がした。


「何をした」


「『お祖母様のために、行ってまいります!』と」


早い。


非常に早い。


「説明は」


「途中でした」


私は、ゆっくりと目を閉じた。


見える。


非常によく見える。


姉上の前で、きらきらした顔のニニギ。


それを微笑ましく見守る姉上。


隣で青ざめるホミミ。


少し離れたところで頭を抱えるオモイカネ。


そして、今、月の宮で頭を抱えている私。


「ホミミ」


「はい」


「ニニギは、どこまで話を聞いた」


「葦原中国へ降り、地上を治める、というところまでは」


「その後は」


「お祖母様のために、と」


「儀礼は」


「まだ」


「現地の神々との調整は」


「まだ」


「持たせるべきものの確認は」


「まだ」


「地上の事情は」


「おそらく、あまり」


「言葉遣いは」


「……勢いで」


私は額を押さえた。


駄目だ。


これは駄目だ。


「ニニギは、悪い子ではないのです」


ホミミが、震える声で言った。


「分かっている」


「明るくて、まっすぐで、アマテラス様を心から慕っていて」


「分かっている」


「ただ、その……少し」


「少し?」


ホミミは、ものすごく言葉を選んだ。


「勢いが、強くて」


私は頷いた。


「つまり、スサノオ寄りだな」


「うっ」


ホミミが胸を押さえた。


すまない。


刺さったらしい。


だが、事実である。


ニニギは、スサノオのように荒ぶるわけではない。


だが、勢いで押す。


明るい。


華やか。


自信がある。


そして、お祖母様の期待を背負って突っ走る。


危険である。


非常に危険である。


「ホアカリはどうしている」


「弟の荷造りを手伝っています」


「できた兄だ」


「はい」


「泣きそうか」


「少し」


「お前が?」


「私もですし、ホアカリも少し」


「そうか」


私は深く息を吐いた。


兄は、弟の尻拭いをする。


私も。


ホアカリも。


どうやら、神代の摂理らしい。


「ツクヨミ」


オモイカネが、にこにこと言った。


「大変だね」


「楽しそうだな」


「半分くらいは」


「友人とは、時に殴ってよいものか」


「ハリセンならいいんじゃない?」


「お前も寝るか」


「冗談だよ」


私はホミミに向き直った。


「ホミミ」


「はい」


「まず、ニニギに持たせるものを整理しろ。儀礼品、護り、地上で必要な物。余計なものは減らせ」


「はい」


「ホアカリには、ニニギの言動を確認させろ。出立前に、最低限の言葉遣いと挨拶を叩き込め」


「はい」


「姉上には、私が話す」


ホミミが顔を上げた。


「よろしいのですか?」


「よくない」


私は即答した。


「よくないが、このまま行かせるよりはましだ」


ホミミの目が潤んだ。


「ツクヨミおじ様……」


「泣くな」


「はい……」


「お前は悪くない」


「ですが、息子が……」


「息子が少しドラ息子なだけだ」


「うっ」


「泣くな。私も泣きたい」


オモイカネが横で肩を震わせている。


笑うな。


いや、少し泣きたいと言ったばかりではないのか。


「オモイカネ」


「何?」


「お前も来い」


「アマテラス様のところ?」


「そうだ」


「私、もう止めたよ」


「今度は止めるのではない」


私は深く息を吐いた。


「通ってしまった話を、被害が少ない形に整える」


オモイカネは、少しだけ真面目な顔になった。


「つまり、後始末だね」


「始まる前から後始末とは何だ」


「ニニギだからね」


嫌な説得力である。


ホミミが、申し訳なさそうに小さくなった。


「ホミミ」


「はい」


「お前は、ホアカリとともにニニギの支度を進めろ」


「はい」


「ただし、ホアカリに無理をさせすぎるな」


「はい」


「兄だからといって、すべて背負わせるな」


ホミミは少し目を見開いた。


それから、深く頷いた。


「はい」


「兄は、弟の尻拭いをするものだ」


「はい」


「だが、尻拭いだけが兄の役目ではない」


ホミミは、静かに目を伏せた。


「肝に銘じます」


よい。


本当に、よい子に育った。


なのに、なぜ息子がニニギなのか。


いや、ニニギも悪い子ではない。


悪い子ではないのだ。


ただ、突っ走るだけである。


それが一番困る。


その時、廊下の向こうから、さらに別の声が聞こえた。


「父上!」


明るい声だった。


嫌な予感がした。


ホミミの顔色が、さらに悪くなった。


オモイカネが「あ」と言った。


私は、ゆっくりと目を閉じた。


「まさか」


「その、ニニギが……」


ホミミが小さく言った。


「ツクヨミおじ様にご挨拶を、と」


足音が近づいてくる。


軽い。


明るい。


勢いがある。


廊下は走っていない。


走ってはいないが、気配が走っている。


やがて、入口に若い男神が現れた。


華やかで、明るく、目がきらきらしている。


「あっ、ツクヨミ大おじ様!」


大おじ様。


私は額を押さえた。


やめろ。


その呼び方は、少し刺さる。


ニニギは勢いよく頭を下げた。


「お祖母様の命により、葦原中国へ行ってまいります!」


「待て」


私は片手を上げた。


「はい!」


「まだ、行くな」


「はい!」


返事はよい。


非常によい。


だが、目はもう地上を見ている。


これは、駄目なやつである。


「ニニギ」


「はい!」


「話は、最後まで聞け」


「はい!」


「返事をする前に、内容を理解しろ」


「はい!」


「その返事も、一度止めろ」


「はい!」


「止まっていない」


「申し訳ありません!」


ホミミが隣で小さく震えている。


ホアカリがいれば、きっと静かに頭を下げていたことだろう。


オモイカネは笑いを堪えている。


私は、深く息を吐いた。


月の宮は、静かになった。


八柱は巣立った。


これで、ようやく平穏が訪れる。


そう思っていた。


思っていたのだ。


本日の報告。


姉上、葦原中国へ天つ神を遣わすことを決める。


オモイカネ、止める。


ホミミ案を出す。


ホアカリ案も出す。


通らず。


選ばれたのは、|天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命《あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと》。


通称、ニニギ。


よりによって、ニニギ。


追伸。


ホミミが泣きそうだった。


気持ちは分かる。


非常に分かる。


さらに追伸。


ニニギ本人が月の宮へ挨拶に来た。


返事はよい。


勢いもよい。


話を聞いているかは怪しい。


父上。


夜とは。


天孫降臨の事前指導も含むのか。


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