第4話 もう面倒なので、神産みで潔白証明してください
「アマテラス様とスサノオ様が!」
廊下の向こうから、悲鳴に近い声が響いた。
私は、茶碗に触れた指を止めた。
……今度は何だ。
「目を覚ましたのか」
「はい!」
「喧嘩しているのか」
「はい!」
「縛ってあるだろう」
「はい!」
「ならば、なぜ大地が荒れている」
報告に来た神は、顔面蒼白で叫んだ。
「縛られたまま喧嘩しておられます!」
私は、ゆっくりと目を開けた。
縛られたまま。
喧嘩。
大地が荒れる。
意味が分からない。
いや、分かる。
姉上とスサノオだからである。
私は深く息を吐き、現場へ向かった。
そこには、清めた注連縄で木の杭に固定された姉上とスサノオがいた。
姉上は右。
スサノオは左。
どちらも座らされている。
間には、ある程度の距離。
そして、その間に私。
後世では、この時、姉上とスサノオは川を挟んで向かい合ったことになっているらしい。
なるほど。
天の安河を挟み、太陽神と嵐の神が対峙する。
神話としては美しい。
実に絵になる。
だが、ひとつだけ訂正しておきたい。
実際に挟んだのは、川ではない。
私である。
私が、挟んだ。
物理的に。
たしかに川はあった。
清らかである。
神聖である。
境界としても申し分ない。
だが、川だけでは不安だった。
弟はたぶん川を越える。
姉上はたぶん川ごと照らす。
よって、足りない。
必要だったのは、川ではない。
監視である。
もっと言えば、私である。
「ツクヨミ!」
姉上が私を見た。
声が低い。
まだ怒っている。
「この縄を解きなさい」
「嫌です」
「即答ですか」
「解いたら焼くでしょう」
「焼きません」
「では、照らしますか」
「必要であれば」
「それを世間では焼くと言います」
隣でスサノオが叫んだ。
「兄上! 俺は挨拶に来ただけだって言ってるだろ!」
「その挨拶で大地を震わせるな」
「気合いだ!」
「気合いを抜け」
「無理だ!」
「なぜだ」
「姉上に誠意を見せるには、全力で行くしかないだろ!」
「だから、それが侵攻に見えると言っている」
「侵攻じゃねぇ!」
スサノオが叫ぶたびに、風が唸る。
姉上が目を細めるたびに、光が鋭くなる。
二柱とも縛られている。
縛られているはずである。
なのに、空気が荒れる。
地が震える。
川面が波打つ。
神々が逃げる。
私は額を押さえた。
何なのだ。
縛っても駄目なのか。
「スサノオ」
姉上が静かに言った。
「あなたが高天原を奪うつもりでないと、どう証明するのです」
「だから、俺は姉上に別れを言いに来ただけだって言ってるだろ!」
「言葉だけでは分かりません」
「俺の目を見ろ!」
「見ています」
「なら分かるだろ!」
「気迫が強すぎて、余計に怪しいです」
「兄上!」
「私を見るな。姉上の言う通りだ」
「兄上まで!?」
私は深く息を吐いた。
姉上は高天原を守ろうとしている。
スサノオは本当に、別れの挨拶へ来ただけのつもりである。
どちらの言い分も、分からなくはない。
だが、姉上は殺す気と書いてヤル気だった。
スサノオは挨拶と書いて威圧だった。
このまま口論を続けても、また国が壊れかける。
というか、すでに少し壊れかけている。
私は、もう一度深く息を吐いた。
「もう面倒くさいので」
姉上とスサノオが、同時にこちらを見た。
「神産みで潔白証明してください」
沈黙。
姉上が眉を寄せた。
スサノオが首を傾げた。
「神産み?」
「そうだ。誓約だ」
私は淡々と言った。
「互いの持ち物を交換し、清め、そこから生まれた神によって、スサノオに邪心があるかどうかを見る」
「それで、スサノオの心が分かると?」
「分かることにします」
「ことにするのですか」
「このまま口論を続けるよりは、はるかにましです」
姉上は沈黙した。
スサノオは、ぱっと顔を明るくした。
「なるほど! 俺の心が清いって証明すればいいんだな!」
「そうだ」
「分かりやすい!」
「分かりやすいかは知らない」
姉上も、やがて小さく頷いた。
「よいでしょう」
スサノオも大きく頷く。
「俺もそれでいい!」
よかった。
これで、ひとまず喧嘩は止まる。
そう思った。
その時だった。
「ツクヨミ様」
背後から、穏やかな声がした。
振り返ると、そこにいたのは思金神である。
高天原の知恵袋。
父は高御産巣日神。
由緒正しい頭脳担当であり、私の数少ない友人でもある。
公の場では、彼は私を「ツクヨミ様」と呼ぶ。
礼儀正しく。
穏やかに。
いかにも高天原の知恵袋らしく。
だが、二人きりになると違う。
「で、ツクヨミ」
オモイカネは、にこやかに言った。
「神産みなんて、絶対やばい気がするよー?」
「急に砕けるな」
「今さらでしょ」
「公私の切り替えが早すぎる」
「君にだけだよ」
「嬉しくない」
私は額を押さえた。
「何がまずい」
「どっちも新しい神、作っちゃうだろうし?」
「そんな簡単に増えるものか?」
「増えると思うよ?」
「何故だ」
「だって、アマテラス様とスサノオ様だよ?」
私は姉上を見た。
完全武装の名残を残した太陽神。
私はスサノオを見た。
誠意と気合いの区別がついていない嵐の神。
そして、もう一度オモイカネを見た。
「……増えるか」
「増えると思う」
「どれくらいだ」
「少なくとも、書類が面倒になるくらいには」
「やめろ」
「現実から目を逸らしても、神名録は埋まらないよ」
「まだ増えていない」
「今から増えるよ」
「縁起でもない」
そう言った直後。
誓約は始まった。
姉上は、スサノオの十拳剣を受け取った。
清め、折り、天の真名井で振りすすぎ、噛み砕く。
そして、息を吹いた。
その息より、女神が三柱、生まれた。
私は無言になった。
オモイカネが、隣で小さく言った。
「まず三柱」
「黙れ」
次に、スサノオは姉上の勾玉を受け取った。
清め、同じように天の真名井で振りすすぎ、噛み砕く。
そして、息を吹いた。
その息より、男神が五柱、生まれた。
合計、八柱。
「ほら」
オモイカネが言った。
私は無言で八柱を見た。
生まれたばかりの神々は、きらきらした目でこちらを見ている。
「……」
「ね?」
「……」
「言ったでしょ?」
「黙れ、オモイカネ」
「神名録、作る?」
「作れ」
「素直だね」
「必要だからだ」
「はいはい」
オモイカネは、楽しそうに筆を取り出した。
楽しそうにするな。
こちらはすでに胃が痛い。
姉上は、どこか満足げに八柱を見ている。
スサノオは、なぜか得意げに胸を張っている。
誇るな。
お前は何も分かっていない。
八柱は、そんな二柱を見てから、私を見た。
なぜ私を見る。
「ツクヨミ」
オモイカネが言った。
「とりあえず、名を記録しないと」
「分かっている」
「八柱分だよ」
「分かっている」
「正式名称で」
「……分かっている」
嫌な予感がした。
非常に嫌な予感がした。
オモイカネは、まず生まれた女神たちを見た。
「まずは三柱の女神からだね」
その言葉に、三柱の女神がそろって背筋を伸ばした。
まだ幼い気配を残しているが、その目は澄んでいる。
どこか、海の匂いがした。
風を読むような。
波を聞くような。
夜の潮を見つめるような。
不思議な瞳だった。
「多紀理毘売命」
オモイカネがさらりと書く。
「市寸島比売命」
さらに書く。
「多岐都比売命」
三柱。
思ったよりは、短い。
いや、十分長いが、まだ書ける。
まだ、耐えられる。
私は少しだけ安堵した。
その安堵が、甘かった。
「では、男神五柱だね」
オモイカネが、にこりと笑った。
やめろ。
その顔をするな。
「一柱目」
オモイカネは筆を構え、すらすらと書き始めた。
「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」
私は、筆を止めた。
「……長い」
「うん。長いね」
「今、何と言った」
「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」
「もう一度」
「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」
「……長い」
「二回目だね、それ」
長いものは長い。
私は神名録を見下ろした。
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命。
字面からして強い。
名前の中に勝が多い。
勝ちすぎである。
誰の気配だ。
姉上か。
スサノオか。
どちらもか。
その男神は、私の視線に気づいたのか、少しだけ首を傾げた。
真面目そうな顔をしている。
よい。
話が通じそうである。
それだけが救いである。
「オモイカネ」
「何?」
「あと何柱だ」
「七柱」
分かっていた。
分かっていたが、聞きたくなかった。
「この調子でか」
「この調子かもしれないね」
「略称は」
「それは次に考えようか」
「次」
「うん。正式名称を書くだけで、今日の君は疲れているから」
「誰のせいだと思っている」
「神産みを提案した君かな」
私は黙った。
痛いところを刺すな。
友人とは、時に残酷である。
八柱は、相変わらずきらきらした目でこちらを見ている。
姉上は少し落ち着きを取り戻している。
スサノオはまだ得意げである。
オモイカネは楽しそうに神名録を整えている。
私は、深く息を吐いた。
本日の姉上と弟。
縛られたまま喧嘩。
なお、大地が荒れた。
縛っても駄目だった。
本日の私。
面倒になったため、誓約という名の神産みを提案。
結果。
神が八柱増えた。
神名録を作ることになった。
一柱目の男神。
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命。
長い。
非常に長い。
追伸。
川を挟んで向かい合ったことになっているらしいが、実際に挟んだのは私である。
物理的に。
さらに追伸。
父上。
夜とは。
名簿作成も含むのか。




