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ツクヨミ様は中間管理職~三貴神の真ん中ですが、今日も神話の尻拭いをしています~  作者: まるちーるだ


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13/15

第13話 崩れた山に、稲穂が立つ


ホアカリは、五日待った。


前回の訪問から、五日である。


本来なら三日に一度と言い張っていたところを、大山津見神と私とで、どうにか五日に一度へ抑えた。


五日。


神にとっては、短い。


だが、恋に浮かれた豊作の神にとっては、かなり長かったらしい。


その五日の間、月の宮の庭は三度ほど季節を間違えた。


一度目は、季節外れの花が咲いた。


二度目は、庭の草がやたら青々と伸びた。


三度目は、なぜか稲穂が実りかけた。


ここは月の宮である。


田ではない。


「ホアカリ」


「はい」


「制御しろ」


「申し訳ございません」


「謝るな。制御しろ」


そのやり取りを三度繰り返したところで、ホミミがまた倒れた。


「父上が?」


ホアカリが青ざめる。


「倒れた」


「申し訳ございません」


「今回はお前のせいだ」


「返す言葉もございません」


もっとも、ホミミは倒れた直後に起き上がり、やはり月の宮へ来ようとしたらしい。


それを、妻に布団へ縛りつけられた。


ホミミの妻からは、簡潔な伝言が届いた。


『夫は連れて行けません。代わりに、ツクヨミ様が止めてくださいませ』


なぜ私が。


そう思ったが、否定できなかった。


あれを野放しにしたら、大山津見神の領域が花畑になる。


いや、ホアカリは豊作の神である。


花畑では済まない。


稲穂畑になる。


どちらにせよ、圧である。


「というわけで、私が同行する」


「よろしくお願いいたします」


ホアカリは、真面目に頭を下げた。


真面目である。


礼儀正しい。


やはり、できた男神である。


ただし、恋になると出力がおかしい。


その背後で、当然のようにオモイカネが立っていた。


「なぜお前がいる」


「面白そうだから」


「帰れ」


「嫌だ」


「見世物ではない」


「でも、君がホアカリ様を止めるんでしょ?」


「そうだ」


「それは見たい」


「見たいではない」


「それに、何かあった時に策を整える神は必要だよ」


正論を混ぜるな。


断りづらくなる。


「オモイカネ」


「うん」


「面白がるな」


「努力する」


「信用できない」


「正しいね」


自覚があるのが、なお悪い。


ともあれ、私とホアカリとオモイカネは、大山津見神の領域へ向かうことになった。


「ホアカリ」


「はい」


「持ち物は」


「菓子を一種類だけにいたしました」


「よい」


「文も、オモイカネ様に整えていただいたものを」


「よい」


「布は持ってきておりません」


「よい」


「髪飾りも」


「よい」


「住まいの図も」


「持ってきていたら、その場で燃やすところだった」


「持ってきておりません」


「よい」


ホアカリは、真面目に頷いた。


草はまだ伸びていない。


よし。


今のところ制御できている。


そうして、私たちは山へ向かった。


本来なら、今日の訪問は簡単なはずだった。


まず大山津見神へ礼を述べる。


次に、ニニギの無礼について改めて詫びる。


その上で、イワナガ姫の心を急かさぬよう、ホアカリが言葉を整える。


返事を迫らない。


贈り物で囲まない。


可愛いと連呼しない。


草木を実らせない。


それだけでよかった。


だが、山に近づくにつれて、空気が重くなった。


怒りの名残はある。


けれど、それだけではない。


沈んでいる。


山そのものが、深く沈んでいる。


「……何かあったな」


私が呟くと、オモイカネも頷いた。


「山の気が乱れているね」


ホアカリの表情が変わった。


先ほどまでの、五日ぶりにイワナガ姫に会えると浮き足立っていた豊作神の顔ではない。


地の異変を感じ取った神の顔だった。


そして、私たちは見た。


崩れた山。


流れた土。


沈んだ田畑。


そこに、泥に膝をついて作業する大山津見神と、イワナガ姫の姿を。


イワナガ姫は、袖を結び、泥にまみれた手で土を退かしていた。


大山津見神もまた、重い岩を動かしていた。


山の神と、その娘。


どちらも、言葉少なに、崩れた地を前に動いていた。


ホアカリが、小さく息を呑んだ。


私は、少しだけ目を細めた。


これは、ただの訪問では済まなくなったらしい。


近づこうとした時、イワナガ姫の声が聞こえた。


「父上」


声は静かだった。


だが、泥に濡れた手は止まっていない。


「いっそ、私の身柄を天つ神へ受け渡す代わりに、一年の猶予を頂いたらどうでしょうか」


大山津見神の手が止まった。


山の気配が、びりりと震える。


「イワナガ」


「私は一度、返された身です」


イワナガ姫は、淡々と言った。


淡々と言えてしまうところが、痛ましかった。


「ならば、今さら惜しまれるものでもありません。天に仕える身となることで、神酒の件を一年待っていただけるなら――」


「そんなことをさせるわけなかろう!」


大山津見神の怒声に、山が震えた。


しかし、その声はニニギへの怒りとは違っていた。


娘を失うことへの恐れ。


自分の怒りが山を崩したことへの悔い。


そして、どうにもならない現実への苛立ち。


それらが、混ざっていた。


私は、オモイカネを見た。


「神酒か」


「おそらくね」


オモイカネは小さく頷く。


「天つ神へ納める約束の神酒。そのための稲を育てる田が、崩れた土で沈んだんだろう」


「姉上へのものか」


「直接か、天への儀礼か。どちらにせよ、軽い話ではないね」


軽くない。


まったく軽くない。


ニニギの無礼。


大山津見神の怒り。


山崩れ。


神酒の不履行。


そして、イワナガ姫が自分の身を差し出そうとしている。


胃が痛い。


かなり痛い。


「イワナガ」


大山津見神は低く言った。


「お前がすることではない」


「では、誰がするのですか」


イワナガ姫は振り返らなかった。


「父上が嘆いている間にも、田は沈んでおります」


大山津見神は、しばらく黙っていた。


やがて、重い足音が響いた。


山の神は、娘の隣に膝をつき、再び崩れた土に手をかけた。


「……そうだな」


その声は、少し掠れていた。


「嘆いている場合ではないな」


山の者たちも、少しずつ動き始めた。


石を運ぶ者。


倒れた木をどかす者。


沈んだ田の水を抜こうとする者。


だが、崩れた田は重かった。


一度沈んだ場所は、そう簡単には起きない。


ホアカリが、一歩前へ出た。


「イワナガ姫」


イワナガ姫が顔を上げる。


泥に濡れた手。


結ばれた袖。


土のついた膝。


本来なら、座敷で迎えられるはずの姫の姿ではない。


だが、ホアカリの目は揺れなかった。


「……お見苦しいところを」


イワナガ姫がそう言いかけるより先に、ホアカリは沈んだ田を見た。


崩れた山を見た。


土に埋もれた稲を見た。


そして、少しだけ目を細めた。


「何でしょう」


場違いなほど、穏やかな声だった。


「力強い場所ですね」


イワナガ姫が、言葉を失った。


大山津見神も、こちらを見た。


私も、思わずホアカリを見た。


そう見るか。


崩れた場所。


沈んだ田。


神酒を造れなくなった失敗の跡。


それを、この男神は、力強い場所だと言った。


「……力強い、ですか」


イワナガ姫が、かすかに尋ねる。


「はい」


ホアカリは、泥など気にする様子もなく膝をついた。


白い衣が泥に触れる。


イワナガ姫が息を呑んだ。


「ホアカリ殿、衣が」


「あとで洗えばよいでしょう」


ホアカリは、地面へ手を当てる。


「土の奥に、まだ力があります。水も悪くありません。根も、すべて死んだわけではない」


イワナガ姫の目が、わずかに揺れた。


彼女は見られている。


崩れたという結果だけではなく。


沈んだという失敗だけではなく。


その奥に残っているものを。


ホアカリは見ている。


「ホアカリ殿」


「はい」


イワナガ姫は、少し迷うように唇を引き結んだ。


それから、経緯を話した。


ニニギのこと。


父の怒りのこと。


山が崩れ、田が沈んだこと。


天つ神へ納めるはずの神酒が造れないこと。


そして、自分の身柄を差し出すことで、一年の猶予を得ようとしたこと。


ホアカリは黙って聞いていた。


私も、オモイカネも、口を挟まなかった。


大山津見神は、苦しそうに顔を伏せていた。


やがて、イワナガ姫は泥に汚れた手を握った。


「ホアカリ様」


「はい」


「貴方と婚姻を結べば、神酒を一年、待っていただけるでしょうか」


ホアカリが、初めて目を見開いた。


驚きだった。


だが、不快ではない。


怒りでもない。


ただ、ひどく悲しそうな顔をした。


「イワナガ姫」


「はい」


「それは、あなたが望む婚姻ですか」


イワナガ姫は答えなかった。


答えられなかったのだろう。


ホアカリは、それ以上問い詰めなかった。


代わりに、沈んだ田の前へ膝をついた。


「ホアカリ」


私は低く名を呼んだ。


「はい」


「分かっているな」


「やりすぎるな、ということですね」


「そうだ」


「努めます」


「努めるではなく、制御しろ」


「はい」


ホアカリは、地面に手を当てた。


次の瞬間。


光が、土の中へ染み込んだ。


眩しい光ではない。


温かな、朝のような光だった。


凍えた土を起こし、沈んだ根を呼び、眠っていた命を揺り起こす光。


崩れた田から、芽が出た。


一つ。


二つ。


いくつも。


それは瞬く間に伸び、青々と葉を広げ、やがて黄金の稲穂となって頭を垂れた。


誰も、しばらく言葉を発しなかった。


沈んだはずの田に、稲が立っている。


立派な稲が。


風に揺れている。


「……やはり、天つ神か」


大山津見神は小さく呟いた。


その横で、オモイカネがさらりと言った。


「ホアカリ様は、腐っても天孫ですからね」


沈黙が落ちた。


ホアカリが、少しだけ困ったように笑う。


「オモイカネ様」


「褒めていますよ」


「腐っても、は褒め言葉でしょうか」


「この場合は、かなり」


「言葉を選べ、オモイカネ」


私が言うと、オモイカネは平然とした顔で頷いた。


「選んだ結果だよ」


「なお悪い」


オモイカネは、黄金の稲穂を見た。


「地がまだ力を持っていた。そこへ天孫の豊作の神が手を添えた。立ち上がらない方がおかしいでしょう」


「理屈は分かる」


「でしょう?」


「だが、言い方が悪い」


「ツクヨミなら、もっとひどい言い方をするかと思って」


「しない」


「本当に?」


「……たぶん」


大山津見神は、黄金の田を見つめていた。


イワナガ姫もまた、稲穂を見ていた。


泥に濡れた手が、わずかに震えている。


「元々、力強い場所ですからね」


ホアカリは、泥のついた手を見ながら、穏やかに言った。


「少しの力で、立ち上がりました」


少しの力。


それは、もちろん少しではない。


天つ神の力。


豊作をもたらす神の力。


だが、ホアカリは、この場所が元々力強かったからだと言った。


崩れても。


沈んでも。


駄目になったわけではないと。


イワナガ姫が、ゆっくりと立ち上がった。


次の瞬間。


彼女は、ホアカリに抱きついていた。


「ありがとうございます」


声が震えていた。


「ありがとうございます、ホアカリ様」


ホアカリの身体が、ぴたりと固まる。


それから、恐る恐るイワナガ姫の背に手が添えられた。


「いいえ」


その声は、少しだけ上ずっていた。


「貴女の暗い顔は見たくありませんので、このぐらいお安い御用ですよ」


その瞬間。


周囲の稲穂が、さらに実った。


ざわり、と黄金の波が広がる。


「ホアカリ」


私は低く呼んだ。


「はい」


「制御しろ」


「……はい」


稲の実りが、少しだけ落ち着く。


だが、イワナガ姫が顔を上げると、ホアカリの耳が赤かった。


また、稲穂が揺れた。


「ホアカリ」


「申し訳ございません」


「謝るな。制御しろ」


私は額を押さえた。


隣で、大山津見神も額を押さえていた。


山の神と月の神が、同じ顔をしている。


かなり珍しい光景である。


イワナガ姫が、小さく笑った。


本当に、小さく。


けれど、確かに笑った。


ホアカリが、イワナガ姫を見る。


「イワナガ姫」


「はい」


「今、笑っておられましたか」


「……笑いました」


「そうですか」


ホアカリの顔が、ぱっと明るくなった。


稲穂が、また実りかける。


「ホアカリ」


「はい」


「喜ぶなとは言わん。だが、実らせるな」


「申し訳ございません」


「謝るなと言っている」


ホアカリは、真面目に頭を下げた。


イワナガ姫は、また少し笑った。


大山津見神は、しばらく黄金の田を見ていた。


崩れた山。


沈んだ田。


失われたはずの神酒。


それが、今、目の前で戻りつつある。


それも、娘を代償にしてではない。


娘を見た男神の手によって。


「……イワナガ」


大山津見神が、低く言った。


イワナガ姫は、慌ててホアカリから離れた。


離れたつもりだった。


だが、ホアカリの袖を掴んだままだった。


気づいて、慌てて手を離す。


ホアカリが少しだけ残念そうな顔をした。


稲穂が揺れた。


「ホアカリ殿」


大山津見神が重々しく言った。


「それ以上、実らせるな」


「申し訳ございません」


「「謝るな、制御しろ」」


私と大山津見神の声が重なった。


オモイカネが、肩を震わせている。


笑うな。


「イワナガ」


大山津見神は、娘を見た。


「お前は、どうしたい」


今度は、山のためではなかった。


天との約束のためでもなかった。


父神の怒りを鎮めるためでもなかった。


イワナガ姫自身へ向けられた問いだった。


イワナガ姫は、ホアカリを見た。


泥のついた衣。


赤い耳。


けれど、まっすぐに彼女を見る目。


「私は」


その声は、まだ少し震えていた。


けれど、先ほどよりずっと確かだった。


「この方の隣で、この稲が酒になるところを見てみたいです」


ホアカリの周囲の稲が、また少し実った。


「ホアカリ」


私の声が飛ぶ。


「申し訳ございません」


「もはや返事の前に制御しろ」


「はい」


大山津見神は、深く息を吐いた。


「……ならば、認めるしかあるまい」


その言葉に、イワナガ姫が息を呑んだ。


ホアカリもまた、静かに目を見開いた。


「ただし」


大山津見神の声が低くなる。


「我が娘は、山のための代償ではない」


「はい」


ホアカリはすぐに頭を下げた。


「天との約束の穴埋めでもない」


「承知しております」


「返された姫を拾うのでもない」


「もちろんです」


ホアカリは、顔を上げた。


その目は真剣だった。


「私は、イワナガ姫を妻に望みます」


稲穂が、静かに揺れた。


今度は、暴走ではなかった。


穏やかな風のようだった。


「この方の強さも、賢さも、静かに立つ姿も、笑った顔も」


ホアカリは、一つずつ言葉を置くように言った。


「すべて、私が見て、望みました」


イワナガ姫の顔が赤くなる。


大山津見神は、目を閉じた。


私は、小さく息を吐いた。


「正式な婚姻として、天つ神の側も礼を尽くす」


私は言った。


「ニニギの無礼とは分けて扱う。イワナガ姫の意志を第一とする。よいな、ホアカリ」


「はい」


「喜びすぎるな」


「……はい」


「婚礼準備を今すぐ始めるな」


「……はい」


「返事が遅い」


「申し訳ございません」


「まずは、父神への正式な申し入れと、イワナガ姫への礼を整える」


「はい」


「贈り物で山を埋めるな」


「はい」


「布を積むな」


「はい」


「髪飾りは一つだ」


「……はい」


「返事が遅い」


「申し訳ございません」


イワナガ姫が、とうとう小さく笑った。


ホアカリは少しだけ困った顔をした。


「イワナガ姫」


「はい」


「笑われましたか」


「はい」


「……そうですか」


嬉しそうだった。


とても嬉しそうだった。


稲穂が、また少しだけ実る。


「ホアカリ」


「はい」


「制御」


「はい」


大山津見神は、黄金の田を見ていた。


その顔は、まだ完全に晴れてはいない。


ニニギの無礼が消えたわけではない。


山が崩れた事実も、イワナガ姫が傷ついたことも、なかったことにはならない。


だが、少なくとも田は立ち上がった。


神酒の約束は、果たせるかもしれない。


そしてイワナガ姫は、自分の意思でホアカリの隣に立つと言った。


それは、大きい。


非常に大きい。


「ツクヨミ」


オモイカネが、横から小さく言った。


「何だ」


「よかったね」


「まだ婚礼準備という山がある」


「山の神の前で言う?」


「今のは比喩だ」


大山津見神が、少しだけ笑った。


本当に、少しだけ。


山が、ようやく息をついたようだった。


本日のホアカリ。


五日待った。


その反動で、また月の宮の庭を実らせかけた。


ホミミはそれを聞いて卒倒。


現在、妻によって布団に縛りつけられている。


本日の私。


ホミミの代わりに、ホアカリのストッパーとして同行。


オモイカネは面白がってついてきた。


帰れと言ったが、帰らなかった。


本日の大山津見神とイワナガ姫。


崩れた山で、泥にまみれて作業していた。


神酒のための田が沈み、イワナガ姫は自分の身柄を差し出して一年の猶予を得ようとしていた。


それは、駄目だ。


絶対に駄目だ。


本日のホアカリ。


沈んだ田を見て、力強い場所ですね、と言う。


地に手を当て、稲を立ち上がらせる。


オモイカネ曰く。


「ホアカリ様は、腐っても天孫ですからね」


言葉は悪い。


非常に悪い。


だが、事実ではある。


腐ってはいないが。


むしろ、恋で実りすぎているが。


追伸。


イワナガ姫が、ホアカリに抱きついた。


ホアカリの周囲の稲が、さらに実った。


制御しろ。


さらに追伸。


大山津見神が、婚姻を認めた。


イワナガ姫自身が、ホアカリの隣で稲が酒になるところを見たいと言ったからである。


よいことだ。


非常によいことだ。


さらにさらに追伸。


婚礼準備が始まる。


ホアカリを止めねばならない。


父上。


夜とは。


婚礼準備で暴走する豊作神の手綱を取ることも含むのか。


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