26:女の子
光の粒が寄り集まり、人の形を成した。
この光景を見るのも既に三度目で、驚きは既になかったが、しかし感慨というのは僕の中から消えなかった。
「全てを話そう。何を言ったところで、君の心は既に僕のものなのだから」
エリアの唇から漏れ出た声のひとつひとつが僕の鼓膜から脳を揺さ振り、いくらでも脳から汁が滲み出てきた。
心地いい綺麗な音がもたらす快楽に夢中になり、あまり言葉の意味は入ってこない。
「まずは些細な事……君の勘違いから正しておこうかな。呪術は誰にでも使えるものではないという事、スキルとしたものは『魂を削って刻んだ回路』にエーテルを通して行使するものである事。まあ呪術には回路が不要ではあるし、結局スキルの行使にはイメージが重要だというのも嘘ではない。これ以上異界種を殺す必要などないのだから、本当にどうでもいい話だ」
誰にでも使えるものではないが、僕には使えたらしい。エリアに魂を拡張された人間だからだろうか? だとすれば志木にでも使えるはずなので、訂正するほど範囲がずれているとは思えない。
どうでもいいらしいので、考えるのをやめる。
「与えた籠手の他、君が特定の異界種を殺すために僕が直接植え付けた回路……延命、結界破壊、精気吸収。例えば結界を壊さなければシアエガを分解などできなかったはずだが……それらももう終わったことである以上、今となってはどうでもいいことだ。もっと君にとって重要なことを話そう。例えば、神なんてものが本当は存在しないとか」
神がいない?
エリアは神だったはずだ。
嘘を吐いていたということだろうか。
いや、これもどうでもいい。エリアは結局のところ何よりも僕の心を満たしてくれる存在であったという認識が実感と共にあり、神かどうかなど僕にとって問題ではない。
「僕のモデルは確かに神であり、それは星の防衛機構であるものだ。そこに嘘はない。意図的に君に伏せていた情報はあるが」
エリアがその神秘的な白く長い髪を靡かせて、辺りを歩きながら語る。
それを目で追うと、浅く呼吸をする肉塊が視界に入る。
あれはなんだったか。
「異界種というものの根本はね、信仰に寄生する精神体なんだよ」
寄生。
あまり聞こえの良くない言葉だ。
僕が先程殺したアリスという異界種は、人間が持つ『アリス』のイメージ、それに寄生して成り立っていたものだということだろうか。
「それによってエーテル体としてこのように、特殊な場所に限るが、顕現することが可能になるわけだ。君が今まで相手をしてきたもののモチーフは、バフォメット、シアエガ、アリスといったところかな。それぞれ歪んではいるが、それらへの意識と信仰を元に成り立ったものたちであったはずだ」
シアエガというものについては聞いたことがないが、ヒトデのような化け物なのだろうか。
「つまるところ、僕も神などではなく、異界種だということだ」
異界種。
僕達にとって信仰がどうこうなどという部分はどうでもよく、結局のところそれが意味するのは人の魂を食らう化け物でしかない。
「エリアも、僕達を食べるのか?」
エリアに食べられる。
悪くない。
きっとそれは、一つの幸せの形でもあるだろう。
蟷螂の雄は雌に食われるために生きている。きっとそれは、それが何にも代え難い快楽であるからなのだろう。
一生物の至上目的になり得るような行為を、拒む理由などどこにもない。
「まさか。あんな低俗な連中と一緒にしないでくれ。異界種と言っても僕の場合は成り立ちが特殊だしね、そういったことに興味はないんだ」
異界種ではあるが、魂を喰らうものではないらしい。
やはり彼らにとっての魂とは精々嗜好品のようなものでしかないのだろうか。
「君と僕は、特異点なんだ」
特異点。
エリアについてはわかる。今までの言動から明らかだ。
僕はなんだ?
エリアに魅入られたというだけの、ただの人間に過ぎないはずだ。
どこに特異点たり得る要素があるのだろう。
「君はある種の信仰の対象になっている。都市伝説『代行者』。君に力を与える偶像だ。信仰と意識が力となる、このダンジョンという局所的な異世界において、君が強い力を持っていた理由の一つがそれ」
初めてダンジョンに入った時に、確かに力が溢れるような感覚を得た。
僕の記憶と一致する。
「もう一つ。一番重要な部分だ。君は、小さい頃に呪いをかけられていた」
「……覚えがないな」
「それも当然だ。異界種に喰われた者の記憶は、この世界のあらゆる魂から綺麗さっぱり消え去ってしまうのだから」
僕に呪いをかけた人間が、異界種に喰われたと言うのか。
「バフォメットの使った呪術、掌握。あれは一度君が名乗ったものでさえあれば偽名であっても効果を発揮するんだ。もちろん効力は弱まるがね。例えば佐藤マイケルという名を縛られても、君は本来身動きを取れなくなっていたはずなんだ。そうならなかったのは、ひとえに君がその半生を呪われて過ごしていたがために生まれた免疫、呪術耐性が故。この呪いが、君の根本であり、僕の根本なんだ」
少し間を空けて、ゆっくりと口を開く。
「その呪いをかけた人物の名前は、望月瑛理」
望月。その姓が意味する事。
「君の、姉だった存在だ」
エリアはにこりと微笑んだ。
「最早同一存在だと言ってもいいだろう。望月瑛理を『私』と呼ぶことにする」
つまり、エリアは、僕の姉そのものでもあるらしい。
「私はかつてモノリスに誘引され、ダンジョンを彷徨った。そして異界種に喰われようとするその直前、溺愛していた君に呪いをかけた。呪術ではなく、呪い。単に強い想いの力が為した奇跡の業だ。ダンジョン内であればそういう事も起こりうる。その呪いは、君から女性を遠ざけ、そして君の中に居座り続けた」
僕にまともに彼女が出来なかった理由が今判明したわけだが、憤りなどは微塵もなかった。
「そして、居座り続けるうち、最高の媒体を見つけた。バフォメットへの意識に寄生した異界種、ニェリリウム……君が言うところの山羊目玉の、残滓だ。あれは呪いという私の本質と非常に相性が良く、そして木っ端の異界種たる僕の力となり、星の防衛機構たる存在への信仰に寄生するに足るエネルギーを持っていた」
言って、エリアは、あたりを舞う光の粒を操ってみせる。
光の渦が一時的にエリアを取り囲み、そして低い位置に滞空する。
「君達に力を与えるシステムを用意したのは確かに僕だ。力を持って踏ん反り返ってる高位の異界種どもを潰すために星の防衛機構に寄生するなんて無謀な真似をした。単に嫉妬のような感情からだ。僕に力はなかったのに。身の丈に合わない事をしてほとんど意識がない中、システムが構築されたのはそれもまた奇跡と言う他ないだろう……あの時点で全てのモノリスを改竄したわけではなく、君が触れたモノリスに限ったものではあったのだが。その後、僕は混濁した意識の中を彷徨っていた────君が山羊目玉を殺すまで。その曖昧な意識の中で必死に君に山羊目玉を殺す手段を与えていたわけだ」
ローブとその長い髪をはためかせ、エリアが翻り、こちらを向く。
「僕は、私であり、僕だ。僕本来の欲求たる魂の捕食は、星の防衛機構という異界種の根本と相反するものに寄生した事で相殺されている。残ったのは私の欲求のみだ。それは最早僕の欲求でもある」
エリアが僕の方へと歩み寄り、間近で顔を見上げる。
この、上目遣いというものは、どうしてこうも魅力的なのだろう。
「ユウくん。死ぬまで一緒にいよう。君も僕も、もう死なない体になるけれど」
儚げでありながら、底知れぬ愉悦と狂気を孕んだ笑顔を僕に向ける。
「実行に必要なだけのエーテルは既に集まった。僕と君の存在情報を改竄しつつ、現実に、僕という存在を引き込む。それと同時にあらゆるダンジョンや異界種も現実に顕現する事になるだろうが、まあ僕らには関係のない事だ」
あまりよくわからないが、これもやはり僕らに関係ないらしいので、わからなくていいのだろう。
「ユウくん。僕は、間違いなく、君のことを────愛しているよ。ああ、これは、確かに、愛なのだろう」
何が先走っているのか。感情なのか、それとも、呪いや、存在に引っ張られているのか。エリアはどこか不確かなものを抱えながら確証を求めているようでもあった。
僕は、応えるべきだし、素直にこの感情を、この惹かれる心を、歪められることに流された心を、愛とするべきなのだろう。
「僕も……僕も、君を愛している。エリア」
エリアはまた微笑んだ。
「……君の言葉は、確かに僕に届いた。さあ、創ろう、僕達の世界を────」
大きめのボールを持つかのように、エリアが両手を器の形にした。
その中心に、赤い光球が生まれる。
エリアが手を上に掲げると、その光球は宙に浮き、全てを呑み込むように膨らみ────僕は現実に引き戻されていた。
本来なら路地に立っているはずだが、僕の前に立つエリアの背後には西洋風の城がある。
アリスの城だろうか。
エリアは未だに自分が起こした事を信じられていないかのような表情を作っていた。
「ああ、ユウくん、僕達は、私たちはまた、二人で現実の、この世界に立っている……! ユウくん、これからはずっと、一緒にいられるんだ……!」
目の前に立ったエリアは、笑みを浮かべ、顔を真っ赤にして、その真紅の瞳を湛える目の端から涙を流した。
この光景は、目の前の神様……異界種……いや、女の子にとっての、悲願であるようであった。
少し遠くで、破壊音と悲鳴が聞こえた。
巨大な触手のようなものが視界の右端に映る。
「ユウくん……」
左のほうで、爆発音がした。
人の腕のようなものが視界の奥を飛んでいったように見えたが、僕に関係のある事ではない。
僕は既に人ではなく、そんな事は千切れた蟻の脚を見るのとなんら変わりなかった。
僕には、エリアさえいればいい。
僕は、体を寄せてくるエリアを抱きしめた。
「ああ、一緒になろう……エリア」
僕は今、心の奥底から指先までが満たされているという感覚を得ていた。
夕陽に照らされたエリアの顔を眺め、その柔らかそうな唇に、僕の唇を重ねた。




