27:覚醒
「う……ん」
何かとても、悪い夢を見ていたような気がする。
「目……覚めたの?」
すぐ近くから、女の子の声が聞こえる。
視界がぼやけていて、それが誰であるのかは確認できない。
「……ここは……」
「えっと……『聖域』、って言うとかっこいいけど、まあファミレス」
落ち着いてあたりを見回せば、ずらりと並んだテーブルと仕切り、観葉植物などが目に入る。なるほどここはファミレスの内部に違いなかった。
どのくらいの時間か、どうやら僕はソファーに横たえるようにして寝かされていたようだ。
「ああ……本当によかった。正直もう二度と目覚めないんじゃないかって思ってたんだよね」
「……僕、いつから眠ってた?」
「一ヶ月くらい前からかな。正確には、えーっと、三十と四日前から」
一ヶ月以上の睡眠。普通じゃない。
「どうもいまいちよく見えないんだけど、君は栞ちゃんで合ってる?」
「合ってるよー。視力が一時的に落ちてるのは、多分聖域の影響だね。良し悪しとか関係なしに消してっちゃうから」
消してっちゃう、とは、僕がダンジョンで得た力を、だろうか。
一ヶ月以上も眠っていたなら僕の力はほとんど常人程度になっているのかもしれない。視力など元通り、つまり常人以下だ。
体もめちゃくちゃに重い。
「聖域、っていうのは」
「ここみたいな、結合崩壊が比較的少ない場所のこと。そう呼ぶようになったの」
「結合崩壊?」
「世界が融合……もとい結合された影響で起きた物理的だったり霊子的だったりする崩壊現象。突発的に起きたり、変な表現だけど、持続的に崩壊してたり。そういうのが起きにくいのがこういう聖域。私達側の世界の常識に寄ってるみたいで、中にダンジョン産の物とか呪われたものとかを置いとくと段々と消えたり解呪されたりしていくんだよねー。────ユウくんみたいに」
「……僕、呪われてたんだ?」
「多分ね。聖域に寝かせておいたら目が覚めたってことは、そういうこと」
「聖域だなんて言う割に、他に誰もいないみたいだけど」
「私達、結構評判悪いからね。最初はみんなで使ってたんだけど、誰も寄り付かなくなっちゃった」
「……何やらかしたの?」
「私達としては真摯な態度で過ごしてたつもりだったんだけど、志木君の顔だとちょっと話しかけただけで恫喝になっちゃうみたいでさー。なまじエリア様に改造されて力を持ってるのもあって、相当怖がられてるんだよねえ」
「ああ……っていうか僕ら、改造されたみたいな扱いなんだな」
「そうだよー。こんな世界になって一ヶ月も経てば私達の知識も否応なしに増えてくんだけど、その知識に基づいて私達をカテゴライズすれば、改造人間っていうのが一番適切かな」
「改造人間、ね……」
随分と物騒な、しかしそれでいてどこか滑稽でもある言葉。
悪の科学者でも出てきそうな響きだ。
「まあ、他にも気になることはあると思うんだけど……先に確かめさせてもらうよ。『詠唱』『我が瞳はあらゆる偽証を赦さない────審判の瞳』」
詠唱を完了した瞬間、銀色に輝く焔が栞ちゃんの左目を覆う。
「いっ、やっぱり聖域でこれやるのはきついなー」
呪文の行使に痛みが伴う様子だ。
「……ええっと」
「あんまり深く考えなくていいよー、すぐに終わるから。じゃあ質問するね」
栞ちゃんはその焔に隠れた瞳で、僕を冷たく見据える。
「ユウくん、君さ────本物?」
「……質問の意図が分からないな」
「まだ教えられない。分かる範囲で答えてくれていいよ」
「……本物。少なくとも、僕からしたらこの僕は紛れもなく本物だ」
「嘘じゃない、ね。じゃあもう一つ。人類に危害を加えようって意思は?」
「……多分、ない」
「……うん、これも嘘じゃない」
当然だ。
栞ちゃんが片目を閉じると、最初から存在しなかったかのように銀色の焔はかき消えた。
「質問の意図は?本物かどうかなんて、まるで僕が僕の偽物である可能性が存在するかのような口振りだけど」
「突然現れたんだよね」
「?」
「アリスに殺されかけた私達が目覚めた後────数分して、何もないところからユウくんが現れたの」
「……ダンジョンからの送還にラグがあった?」
「そう。私達の記憶を辿るとユウくんが一番最後まで倒れずにいて、だとすると瀕死の状態だった私達が五体満足で帰れた理由はユウくんがあのアリスを倒してエリア様の組んだ帰還用のシステムが起動した以外にあり得ないはずなんだけど……そうだ、そこはどう? ユウくんの記憶はどうなってる?」
「記憶……」
アリスの事を思い出そうとすると、頭にズキリと痛みが走った。
しかし徐々に、徐々にだがその記憶が鮮明さを取り戻していっている。
「そうだ。僕は、君たちが全員倒れた後……アリスを、呪い殺した」
記憶が途切れる直前のことまでを、全て思い出した。
アリスを殺した直後。そこが記憶の断面だ。
何故記憶に靄がかかっていたのだろう。一ヶ月も寝ていたためか、あるいはよくわからない聖域とやらは異界種に関する記憶さえ薄れさせてしまうのか。
「呪い殺した?」
「そうだ……呪術でもって殺したんだ。誰にでも扱えるようなものでこそないけど、呪術というのは単純な呪いとは異なる体系化された超常現象で、……あれ?」
この知識は、なんだ。
どこで得たものだ? 正しいものなのか?
山羊目玉はこのようなことまで言っていただろうか。
「……まあ、とにかく僕は確かにアリスを殺したよ」
「やっぱりそっか。ありがとう、って言うべきなのかな」
「どうだろうね。ダンジョンで命を救われた場合、なんてページがあるマナー本はお目にかかったことがない」
「んふっ、この先本当にそんなのも出てくるかもしれないけどね」
栞ちゃんは随分と可愛らしく笑った。
先程魔法を使っていた時に見えた緊張は完全に消えているようだ。
「……それで、ダンジョンからちゃんと帰還した時に、その帰還のタイミングがずれるなんてことはなかったから、最悪の可能性……ユウくんが実はアリスに負けていて、人類を滅ぼせるような改造と洗脳を受けて送り返されたって事態、あるいはそもそもユウくんは殺されていて、実はこのユウくんのように見えるものはよく似せて作られた生体爆弾だとか、そういうことをみんなで考えてたんだ」
「……随分とぶっ飛んだ憶測に聞こえるね。普通すんなり受け入れるんじゃない?なんか遅れて出てきたけどまあいっか、ってさ」
「事実呪われてはいたみたいじゃない? 一ヶ月も眠ってるなんて普通じゃないよ。ユウくんの使った呪術の反動とかかもしれないけどさ。それに、世界の現状が現状だからね」
「あー……そうだ、それを聞きたかったんだ。今、この世界ってどうなってるの?」
「壊れたよ」
「また随分乱暴な説明だね。壊れた、っていうと」
「本当に壊れたんだよ。具体的には────多分全てのダンジョンが、こっちの世界に出現した」
全てのダンジョンが、現実に。
それはつまり。
神様が直接手を加えた改造人間である僕らさえ殺し得る存在が、この世界に直接跳梁跋扈しているということか。
「もしかして、人類って絶滅した?」
「絶滅はしてないよ、私とユウくんがまだ生きてるから」
白い歯を見せてそう笑う栞ちゃん。
「……っていうのは冗談なんだけど、まあ実際人はすごい死んだんだよね。世界人口は百分の一になったとか言われてる。世界がめちゃくちゃになってる中で実際の人口なんて確かめようがないから、実際の被害はそこまででもないのかもしれないし、逆にもしかしたらもう千人くらいしかいないのかもしれない」
「……そんな中で、よくこのファミレスは綺麗なままだね」
「言ったでしょ、聖域なんだよ。異界種とその眷属は基本的に聖域に寄ってこない。仮に寄ってきたとしても、ダンジョンの外に出た異界種の力なんてたかが知れてるから、多分私達なら全部倒せるんだけど」
「……ダンジョンの外に出た異界種は衰弱するのか。いや、そうであるならなんでそこまで被害が大きいんだ?」
「衰弱しても一般人じゃとてもかないっこないからねえ。銃なんかもあんまり効かないみたいだし」
「マジかよ」
いや、考えてみればまあ確かに、山羊目玉にもシアエガにもアリスにも、銃が効くとは思えない。山羊目玉は確か体が上下に引きちぎれても普通に動いていたはずだ。
シアエガ?
いや……ヒトデ。そう、海星だ。
「千紗ちゃん達は今どうしてる?」
「結社のお仕事に行ってるよ。あと二時間もしたら帰ってくるんじゃないかなー?」
「……結社ぁ?」
なんだろう、その、身の毛がよだつような小っ恥ずかしい名称は。
聞き覚えがあるような気はしないでもないが。
「……ああ、そういえば、前に殴り倒した奴がそんなこと言ってたな」
以前カルと一緒にお灸を据えてやった相手が確か結社所属だと言っていたはずだ。ガタイのいい男と細身の女の二人組。
「半覚醒者だかのリストを持っているとも言っていたはずだ。この世界でも活動できるだけの力を持っていたから、この災害に乗じて表立って動き始めたわけか」
「まあ大体そんなとこだね。私達は改造人間、カルは覚醒者って扱いになるみたい。よく分からないけど」
栞ちゃんはカルの事を呼び捨ててはいなかった気がするが、この一ヶ月のうちに随分と仲良くなったようだ。
まあ死地で一月も活動すればそれは距離も縮むか。
もしかしたら志木とも良い関係になっているかもしれないな。本当にそうだったら癪だから聞かないが。
「結社にはどんなことをさせられてる?」
「させられてるっていうか、私達の立場からしたら仕事を頂いてるって感じだけどね。この世界で食べてくのは容易じゃないんだよ……仕事内容は、大体ダンジョンの制圧と暴徒の鎮圧」
食糧を確保することさえ難しくなっているらしい。
仕事に関しては、どちらもピンと来ない内容だった。
「暴徒、ってどんな人達?」
「たまにはぐれの半覚醒者が暴れてるってこともあるんだけど、大体は結社に敵意を持って反抗している人たち────レジスタンス、って名乗ってる。まあ、結社もこの状況にかこつけて結構あこぎな事してるからねえ。それでもこんな世界に最低限の秩序があるのは結社のおかげなんだけど」
今度はレジスタンス、ときたか。
あこぎな事、とは具体的にどのような事であるのか気になるが、言わないということはきっと言えないことであるのだろう。
無闇につつくのはやめておくか。
「色々めんどくさいことになってるんだなあ。それで、ダンジョンを制圧させるメリットって何?エーテルを回収するシステムはあくまでエリアの加護によって成り立ってるみたいな感じだったと思うんだけど」
「うん、私達のレベルも上がらなくなったし、ダンジョンのエーテルを直接回収することはできなくなったんだけど、ユウくんの籠手みたいなアイテム……アーティファクトって呼ばれてるんだけど、ダンジョンを崩壊させるとそういうのが生成されるんだよね。それが一つ」
アーティファクト。
武力がそのまま権力になりそうなこの世界においては、非常に魅力的な成果物だろう。
「もう一つ。こっちのほうが重要なんだけど……ダンジョンが崩壊した場所は、そのまま聖域になるんだよね」
「なるほど」
なぜこちらの方が重要なのかというのはいまいちピンとこないが、聖域、というのはいわばシェルターのようなものであるはずだ。
この世界における安全地帯というのもまた非常に貴重であるのだろう。
わざわざ栞ちゃんたちを向かわせるのにも納得だ。
そこまで聞いて、一つ伸びをする。
一ヶ月の睡眠によって萎縮していた筋肉が引き伸ばされ、かなり気持ちがいい。これまでにない感覚だ。
「いやー、一気に話聞いたら結構疲れちゃったなあ。あー、そうだ、ドリンクバーって使えたりしないかな? 僕喉渇いちゃってさあ────」
ガシャン、という音とともに、突然窓から何かが入ってきた。
「伏せて!」
慌てたように栞ちゃんが叫ぶ。
直後、轟音。
バリン、と何かが割れる音がした。
聞き覚えがある。これは海星を殴った時に聞こえたものと同じ、つまり結界の破壊音だ。
栞ちゃんがあらかじめ張っていたのだろうか。
至近距離で爆発を受けたはずなのだが、結界のおかげであるのか、僕自身はなんともない。爆発と共に湧き出した煙で何も見えないが、栞ちゃんは無事であろうか。
被害の様子からして手榴弾のようなものを投げ込まれたのだろう。
ここは聖域じゃなかったのかよ。
いや、しかし、敵が異界種でなければどうだ。
聖域というのはおそらく異界の要素に関与しないただの人間に対しては全く機能しない。栞ちゃんの口振りからしてあまり異界種以外への効力はなさそうだった。
そもそも異界種が爆弾なんて使うとも思えない。
とすればここを襲ってきた敵は人間────更に言えば、きっと、レジスタンス。




