25:アリス
ハリボテの扉に飾られた一本道を、奥へ奥へと歩いていく。
道中やはり言語を解する眷属らしきものが出てはくるのだが、カルがその能力を十全に発揮できる以上、何の問題にもならなかった。
例えば、飾られていた絵画から飛び出してきた鎧騎士。
「貴様らを、おっ」
何かを喋る。言い切らないうちに不可解な力によってその金属鎧がひしゃげる。隙間から見えたその内側は空洞だった。
そのまま球状になって蒸発。
例えば、どこからともなく跳ねてきた、ゼンマイ仕掛けのウサギの人形。
「私は」
自己紹介も待たず、表現のしようがない奇妙な音と共に首がねじ切れ、そのまま球状になって蒸発。
例えば、気味の悪い笑いを貼り付け、上から降ってきた猫。
他の眷属の雰囲気からするとチェシャ猫だろうか。
これだけは生物のような構造をしていたのか、血を撒き散らしながらその胴体の中に四肢をねじ込まれ、球状になって蒸発。
情け容赦なく行使される、あまりにも強力な異能。
カルが生まれつき持っていた力に加え、エリアによって与えられた力、そしてそれらの力を増幅するダンジョンという空間という三要素が組み合わさってこのようなことになっているということだろうか。
まあ後ろ二つは結局僕達にも当てはまるものなのだが。
おそらくそれなりに力のある眷属をかなりサクサク倒していっているため、レベルもそれなりに上がり、現在51。
今更の考察になるが、レベルは上がるほど上がりにくくなるという代物でもなく、次のレベルアップに必要なエーテルの量はあまり変わらないのだろう。
そもそもレベルアップというのがエリアの用意したひとつの指標でしかなく、実際の僕達の能力はデジタルな数字で区分された階段状にではなく、なだらかに上がっているはずだ。
しかし、ほとんど意味のないものでも、利用できるのであれば利用するべきである。
ステータスも振るし、スキルも確認する。
カルがこのように力を振るっている間、一切周囲の警戒なども必要なさそうであったので、僕は自分に与えられた、正確にはイメージを補助するために与えられたのであろうスキル名を確認していた。
本当にイメージだけでスキルが使えるなら千紗ちゃんや栞ちゃんと同じものを使えてもおかしくないはずだが、それはどうやら厳しそうなので、他に何かしらの条件があるのだろう。
レベルの上昇に伴い、新たなスキルがぽつぽつと並んでいた。まあしかしあろうがなかろうがどうでもよさそうなものもあり、目ぼしいのは精々『精気吸収』くらいか。
これは果たしてマネキンの精気も吸収できるような代物なのだろうか。
この精気というのがエーテルの事だとすると、眷属を殺した場合にはこれがなかった時から回収できているはずなので、それ以外の場面、例えば殴った瞬間などに吸収できるということだろう。
持久戦になれば有用そうだ。
「扉……さすがに行き止まりじゃないよね?」
先頭を歩いていたカルが立ち止まって口を開く。
カルの奥へと視線を動かす。廊下の突き当たりには巨大で豪奢な扉があった。
他のものと同様であればこれもまた壁に貼り付けられたハリボテだが、女王とやらが存在する以上、この奥には何かがあるはずだ。
「開くよ」
おそらく押すか引くかするべき両開きの扉なのだが、カルが手を触れずに扉を壁ごと左右に押しのける。
最早言葉も出ない。
扉がなくなって見えたその奥は礼拝堂のようなデザインの空間だった。
高い天井、神秘的な装飾、光源がわからないが水色の光が差しており、朝方の屋外程度には明るい。
そして、その中央に佇む金髪碧眼の少女の姿。
いや、目を凝らせば、それは人形のように見えた。関節に繋ぎ目が確認できる。
肌の質感は陶器のようだ。
水色を基調とした、これもまた少女らしい服を身に付けている。
他に特徴らしい特徴はなく、凶器を持っているなどということもなさそうだった。
「随分と野蛮なのね。扉くらいちゃんと開いて────」
言い切る前にカルが力を行使し、その人形の体が破壊され、球状になって地面へ落ちる。
それを実行した当人は顔色一つ変える様子がない。
「これが異界種本体かな?」
欠片も緊張感が感じられない顔をこちらに向けて尋ねる。
「……どうだろうね。トランプ兵は『女王』って単語を口にしていた。こいつは女王と言うよりはお姫様って感じの姿だったけど……」
「異界種とか女王って言い方は可愛くないけど、多分きみたちの想像通りだよ」
可愛らしい、少女のような声がする。
先程ボールになったはずの人形が、そこで口を開いていた。
「私の名前はアリス・アッシュベリー。よろしくね、かっこいいお兄さんたち」
もう一度、カルの力によって、全方位から尋常でない力が加わったかのようにして粉々になる。
実際にそのような事が起きているのだろう。
しかし、気がつけば人形の少女、アリスは、元の姿に戻っていた。
「……どういうことだ?」
呟いたのは志木だ。カルの表情も少し怪訝なものになっている。
「あー、面倒くさいなあ。私はこのお兄さんとお話ししたいんだけどさあ、体潰されちゃうと声だせないんだよね。これやってるのはそこの、赤い瞳のお姉さんかな?」
アリスはそう言ってガラスの瞳をカルの方へと向けるが、特に動じる様子もなく、カルはもう一度人形を粉砕した。
しかし、完全に破壊されてから1秒と経たずに、アリスはそこに立っている。
「やめてって────」
アリスの制止に聞く耳を持たず、カルは更にもう一度アリスを粉砕した。
アリスはそこに立っている。
粉砕。
再生。
粉砕。
再生。
何をしていいのかもわからず、僕らはただそれを見ているだけだ。
十度ほど繰り返した後だろうか。
「首を刎ねよ」
少女がそう唱えると、何もない空間から突然現れた鎌のような切っ先によって、カルの眼球が切り裂かれた。
僕のクロックアップは自動発動というレベルにまで洗練されていたはずだったが、それに反応することができなかった。
「痛っ、あっ、ああああああああ!?」
血が流れ出す両の目を押さえながら、カルが叫ぶ。
警戒するが、アリスがそれ以上攻撃を続ける様子はなかった。
「……志木、手当てしてくれ」
「っ、ああ!」
未だ僕達はまともな回復手段を持っていないが、止血程度であれば志木が行えたはずだ。
「それ、視線を向けることがトリガーになってるんでしょ。これだけ食らってればさすがにわかるわよ。それにしても、話すらさせずに即戦闘なんて。原始人じゃないんだから、やめてほしいわ」
「……悪かったね。君の話を聞こう」
「お兄さんのほうは物分りいいみたいね?」
違う。これは物分りの良さなんて素敵なものじゃない。
この可愛らしい見た目をした異界種を、人を喰う化け物を、殺す手段が思い浮かばないのだ。
諸々警戒しつつ、名を名乗る。
「君が名乗ってくれたことだし、僕も自己紹介からさせてもらおうかな。佐藤マイケル、大学生だ」
「嘘でしょ。私そういうのわかるの」
「……望月悠一郎だ」
「うん、ユウイチロウくんね。長いからユウくんでいいかしら? お話ししましょうよ、私退屈だったの」
お話し。
言葉通りに捉えてしまっていいのだろうか。
話のストックならそれなりにある、痛みに苦しんでいるカルには悪いが、考える時間を稼がせてもらうことにする。
千紗ちゃんは既に前回のように姿を隠していたが、この人形はどう考えたって無機物だ。ヒトデを殺した時のような手段は取れないだろう。
「構わないよ。どんな話をしようか」
「あなたの話が聞きたいわ」
陶器の人形であるはずなのに、表情が動き、可愛らしい笑顔を作る。
とてもあの残虐な鎌でもってカルの瞳を切り裂いた少女が見せるものとは思えない表情だ。
「僕の話、ね……嘘は吐けないんだっけ。大学受験に失敗した話と失言で孤立した話、どっちを聞きたい?」
話のストックがあるとは言ったが、僕自身の話となると途端に厳しくなる。
「……もうちょっと明るい話題はないのかしら?」
「この前自販機の下に落ちてた100円を拾ったよ」
「あなたって、悲しい人なのね……」
そうかもしれない。
最近は女性関係でそれなりに楽しいことがあったりするわけだが、僕の事をかっこいいお兄さんだと言って話し相手に選んだ少女に対して語る事として他の女性の話というのは問題外だろう。
となると、それ以外で考えなければならないが、僕に関する女性関係以外の明るい話とまで限定されると小銭を拾った事くらいしか思い浮かばなかった。
本当に中身のない人間だ。
「何だかシンパシーを感じちゃうわ。私にも、全然楽しいことがないの。ここに迷い込んできた人間を食べてる時はちょっと気持ちいいんだけど、そのくらい。このお城、気持ち悪い生き物も住み着いてるし。あなた、私と一緒に暮らさない?二人ならきっと楽しいわ」
気持ち悪い生き物。猫や兵士の事だろうか。
そうだとすると、それら眷属はアリスが意図的に生み出したものではないという話になる。
あるいは、あまり考えたくはないが、他にここの主人が存在し、アリスも眷属の一体でしかないか。
「悪いんだけど、先約がいてね」
口にしながら、その純白の容貌を思い浮かべた。
「へえ。どの人かしら?」
「ん、どの人?」
この中にいるわけではないのだが、勘違いをされている。
「まあ、全員殺してしまったら、私を選ぶしかないわよね?」
物騒な事を口にしつつも、アリスは笑顔を崩さない。
「おい、待て」
「心臓を穿て」
アリスが唱えると、アリスの奥に突如として漆黒の槍が出現し、何もない、いや何もないように見えていた空間を貫いた。
肉が潰れるような音と共に槍の中程から血が流れ出す。
徐々に貫かれたものの姿が露わになる。
機を伺ってか姿を隠していた千紗ちゃんだった。
口と、貫かれた胸から赤い血を流している。
どう考えたって致命傷だ。
回復手段はない。このままでは千紗ちゃんは死んでしまうだろうか。
いや、負傷はダンジョンをクリアすれば元通りに治っていたはずだ。
この世界における死とはなんなのか?
他の要素を鑑みた時にしっくりくるのは、魂の破壊。それが死だという仮説。
であるならば、現実よりも死ににくいようには思えるが、そんな世界だからこそ器なしに魂が保たれるとも思えない。
いや、山羊目玉はホルマリン漬けの脳を魂と呼んでいたはずだ。脳さえ無事であれば助かる可能性もある。
全て確証のない曖昧な話ではあるが、これ以上アリスの好きにさせるのは間違いなくまずい。
アリスを止めなければならない。
カルに粉微塵にされても死ななかったアリスを、どうやって?
殴ることしかできないが、殴ったところで何も起きないだろう。僕の心証が悪くなり、一縷の望みさえ絶たれるだけだ。
「心臓を穿て」
アリスの言葉の後、背後で不快な音が響く。振り向くと、栞ちゃんが漆黒の槍に貫かれていた。
「アリスッ!」
「そこの怖い人もいらないよね。あんな人に一緒にいられたら落ち着かないもの。心臓を穿て」
詠唱による黒槍の出現。
カルに寄り添っていた志木もまた貫かれる。
アリスは少々不機嫌そうな顔で、笑顔こそ消えているが、しかしその容貌は僕の目には未だ無邪気な少女のように映っている。
状況にそぐわないその存在が、あまりにも不気味だった。
「食事にしましょう。生きたまま頭を開いて、脳の中の水を吸うと気持ちがいいのよ」
ダンジョン内では、エーテルが形を持つ。
エリアはそのような説明をしていたはずだ。
おそらくその水とやらが、この世界における魂の形なのだろう。
それが取り除かれれば、今度こそその瞬間に彼らの命が潰えることは間違いないだろう。
アリスは軽やかに、重傷を負ったカル達の方へと歩いていく。
危機感から、時間の流れが変わる。無意識下で加速の異能を発動したのだ。
アリスを止めなければならない。
考えろ。
アリスの吐いた言葉を反芻する。
エリアの言葉を考える。
今まで直面してきた状況を考える。
何をすればアリスを殺せる?
アリスは寂しがっていた。
違う。そんな事を知っても何にもならない。
構造上の弱点を探さなければならない。
潰れている間は喋れないと言ったはずだ。壊し続ければとりあえず時間を稼げるだろうか。
根本的な解決にはならないだろう。
いや、僕は精気吸収だとかいうスキルを取得していたはずだ。殴り続ければ勝てるかもしれない。
万が一があるとすれば、この手段だろうか。
いや、これもダメだ。復活された後に一瞬でも猶予があれば反感を買った僕は鎌に裂かれるか槍に貫かれるかして無力化されてしまうだろう。
そしてアリスの復活は破片が寄り集まるというようなものではなく、一瞬で、気が付けば元の体で立っている、というものだ。それを防ぐ手立てなどあるはずがない。
アリスは自らをアリス・アッシュベリーと名乗っていた。
僕の偽名は見抜かれた。
アリスは嘘を見破る能力を持っている。
偽名。
僕は何故偽名を名乗った?
山羊目玉のような時の事を警戒してだ。
名によって相手を縛る呪術。
呪術とはなんだ?
超能力だとか魔法だとかとは、一線を画しているもののように感じられる。
結社とやらの人間、確かゲンゴとやらも使っていたはずだ。
体系化された神秘。
恐らくは、それが呪術の本質。
体系化。科学というものの根本だ。
科学は普遍性及び再現性の塊でもある。
呪術、僕にも使えるんじゃないか?
試してみる価値はあるだろう。
というより、これ以外に状況の解決手段が思いつかないため、友人達を見殺しにしたくないのならば実行するしかない。
一つ、大きく息を吸う。
「ユウくんはどれから食べたい? 私はあのサイドポニーのお姉さんから────」
「『呪術:掌握』『アリス・アッシュベリー』」
「────っ!? 痛いっ!!」
跳ねるように歩いていたアリスの動きが突如として止まり、食器が割れるような音を立てて悲鳴とともに床に倒れ臥す。
正解だ。
呪術は僕でも利用できる代物だった。
コストとでもいうべきなのか、体力が漏れ出していくような感覚がある。しかし、この程度であれば問題にならない。
僕が食らった時も口は動いたが、サイキック等の存在を知っていた山羊目玉があの状況で使ったものである以上、同時に異能の行使も封じられているはずだ。
呪文を唱えても、もう槍や鎌が出てくることはないだろう。
「ランス!……なんで? サイスッ!」
これも正解だった。
アリスは困惑を顔に貼り付けながら、必死な声で呪文を唱えている。
「悪いけど、君を殺させてもらうよ。僕の友達を食べようとする子と一緒に暮らすのはちょっと厳しそうだ」
「……私じゃダメなの?」
どこかで聞いたようなセリフだ。
思い出せない。
「まあ、こんなことをしておいてそういう言葉が出てくる時点でダメかな。ビジュアルは結構好みなんだけどね」
「本当に私を殺すの?」
「ああ」
「無理よ。私は死なないもの」
その言葉は、僕の想像通りのものであり、僕に都合がいい内容だった。
僕も同じことを言ったことがあるが、あれは実際には一度死んでいた。
しかしアリスの場合、自分の能力について理解しており、そしてわざわざ嘘を吐くような性格でもないだろう。
「やっぱり、蘇っているんじゃなくて、そもそも死んでいないんだね」
「? そうよ」
きょとんとしたような、だから何だとでも言いたげな顔で答える。
死を迎えた場合、この綺麗な人形が残ることがなさそうなのが残念だ。
「君を殺すのにぴったりの呪術がある」
「呪術ってなんなの?」
まだ自分が本当に殺されるだなんて全く考えていないのだろう。拘束され、異能を封じられた直後とは異なる、一切緊張感のない声音だ。
「さあ。僕にもはっきりとはわからないけど────」
その呪術には重いコストが必要だったはずだが、ヒトデの魂によって作られたらしい僕の薬指に嵌められている指輪は呪いの要求を満たすだろう。
僕の考えを、どのような方向にだったか思い出せないが、捻じ曲げていたはずの指輪も壊れて一石二鳥だ。
「────役に立つものには違いないね。『死神の秘儀』」
パリン、という透き通った音を立てて指輪が砕け、アリスが表情を失った。
アリスの体が、白い光の粒子へと分解されていた。
勝った。
殺した。
死が蒸発ではなくこのような形である以上、やはりアリスがこの空間の主人たる異界種で間違いない。
僕は使命を果たした時に感じるもののような悦楽を脳髄に感じ、そしてこれから訪れるであろう至福の時間に想いを馳せていた。




