第85話 四人の食卓
スーパーでの買い出しは、四人での共同作業になった。
凪と千尋が野菜売り場へ向かい、俺と涼は肉売り場の前で足を止める。
「湊、今日はずいぶん張り切るな。ステーキにするのか?」
「凪が、せっかく四人で食べるならって」
「旅行から帰ったばかりなのに元気だな、お前ら」
涼は呆れたように笑いながら、並んだ肉の値段を見比べた。
「こっちでよくないか。四枚買っても予算に収まる」
「そうだな。あとは付け合わせか」
「それは向こうに任せようぜ。俺たちが選ぶと茶色いものしか並ばない」
少し離れた場所では、凪と千尋がトマトを手に取り、どちらが熟しているか真剣に話している。
その光景を見ていると、旅行から帰ってきたのだとようやく実感した。
箱根で過ごした三日間は、日常から切り離された特別な時間だった。
今はいつもの街の、いつものスーパーにいる。それでも隣には凪がいて、友人たちと夕食の献立を考えている。
特別な時間が終わっても、幸せまで終わるわけではない。
「お前、本当に顔つきが変わったな」
涼が不意に言った。
「何が」
「前は何でも一人で片づける顔してた。今は、ちゃんと帰る場所がある顔だ」
「分かりにくいたとえだな」
「俺も言っててよく分からん。でも、前より穏やかになった」
俺は返事に困り、商品棚へ視線を戻した。
「凪のおかげだよ」
結局、出てきたのはその言葉だった。
涼は一瞬驚き、それから笑う。
「本人の前でも、それくらい素直ならいいんだけどな」
「余計なお世話だ」
肉と野菜、スープの材料、デザートを籠へ入れた。飲み物は炭酸水とジュースを選ぶ。四人とも高校生なのだから、乾杯の雰囲気だけで十分だ。
会計を済ませ、マンションへ戻る。
夕暮れの光が、四人の影を歩道へ長く伸ばしていた。
玄関を開けると、凪がいつもの調子で「ただいま」と言う。
千尋は一歩遅れて「お邪魔します」と続き、涼も靴を揃えて上がった。
「相変わらず広いな」
涼がリビングを見回す。
「前に来たときより、物が増えた?」
千尋の視線の先には、箱根で買った寄木細工の写真立てがあった。まだ写真は入れていないが、午前中に作っていたアルバムがテーブルへ置かれている。
凪が得意そうに笑った。
「今、旅行の写真を整理してるところ。見ていいよ」
「料理はどうするんだ」
俺が尋ねると、凪は買い物袋を持ち上げた。
「先に下ごしらえする。千尋、手伝って」
「うん」
二人がキッチンへ向かい、俺と涼は飲み物と食器を準備する。
しばらくして、千尋がアルバムを見つけた。
「これ、見てもいい?」
「もちろん」
凪の許可を得て、千尋と涼がページをめくる。
旅館の前で撮った写真。芦ノ湖の遊覧船。大涌谷の黒たまご。ロープウェイで凪が俺の腕につかまっている一枚。
「凪、すごく楽しそう」
千尋が微笑む。
「湊くんも、学校では見ない顔してる」
「そうか?」
「うん。ちゃんと笑ってる」
涼まで横からのぞき込み、何度もうなずいた。
「これは保存しておいたほうがいいぞ。学校の連中に見せたら驚くだろうな」
「見せるなよ」
「冗談だって」
凪はキッチンからこちらを見て、楽しそうに笑っていた。
目が合うと、言葉を交わさなくても、同じことを考えていると分かる。
旅行は楽しかった。
けれど、こうして友人たちと写真を見返している時間も同じくらい大切だった。
料理が完成すると、テーブルの上へ四人分の皿が並んだ。
ステーキ、温野菜、サラダ、簡単なスープ。凪と千尋が盛りつけた皿は、普段の二人だけの食卓より彩りが多い。
「じゃあ、旅行お疲れさまと、久しぶりに四人で集まれたことに」
涼がグラスを持ち上げる。
「乾杯」
四つのグラスが軽い音を立てた。
炭酸水を一口飲み、料理へ手を伸ばす。
「このソース、凪が作ったの?」
千尋が尋ねる。
「うん。旅館で食べた味を思い出して、少しだけ真似してみた」
「初めて作ったのに、うまいな」
俺が言うと、凪は目を丸くした。
「みーくんが素直に褒めた」
「おいしいから言っただけだ」
「もう一回言って」
「調子に乗るな」
千尋が笑い、涼は肩をすくめる。
「お前ら、旅行から帰ってさらに距離が近くなってないか?」
「もともと近いよ」
凪が当然のように答える。
テーブルの下で、彼女の膝が俺の膝へ触れた。
わざとなのか偶然なのか分からない。凪は何も言わず、料理を食べ続けている。
俺も足を引かなかった。
食事が進み、話題は旅行から夏休みの予定へ移った。
「ねえ、涼くんと千尋は、次はどこへ行くの?」
凪が尋ねた途端、二人の動きが止まった。
「何で俺たちが二人で出かける前提なんだよ」
涼が苦笑する。
千尋はグラスへ視線を落とし、頬を赤くしていた。
「さっきも二人で歩いてたし、何か予定があるのかなって」
「あれは、涼がお土産を渡すって言うから」
「それで、今度は?」
凪は引かない。
千尋はしばらく迷ったあと、涼の袖を軽くつかんだ。
「前に、涼くんが水族館へ行きたいって言ってたから……私も行ってみたいなって」
涼が驚いたように千尋を見る。
「本当に?」
「嫌ならいいけど」
「嫌なわけない。行こう」
返事が少し早すぎたのか、涼も照れたように視線をそらした。
千尋はうれしそうに笑う。
凪がテーブルの下で、俺の手を探した。
指を絡め、満足そうにこちらを見る。
俺たちが何かをしたわけではない。
それでも、大切な友人二人が一歩進んだことがうれしかった。
「二人で行くなら、俺たちはついていかないから安心しろ」
俺が言うと、涼が咳き込んだ。
「誰もついてきてほしいなんて言ってない」
「じゃあ、デートだね」
凪が笑う。
「まだ、そこまでは……」
千尋は否定しかけたが、涼の顔を見て言葉を止めた。
「デートでいいだろ」
涼が照れながら言う。
千尋は小さくうなずいた。
食卓の空気が、少しだけ甘くなる。
食後は四人で片づけをした。
涼が皿を運び、千尋が残った料理を保存容器へ移す。凪と俺は並んで食器を洗った。
「今日は最高の夜になりそうって言ってたけど、本当になったね」
凪が小声で言う。
「まだ夜は終わってない」
「じゃあ、もっと楽しくなるかな」
「明日、二人とも予定があるだろ。あまり遅くまでは引き止めるな」
「分かってる。でも、もう少しだけ」
片づけを終え、四人でアルバム作りを再開した。
涼は写真の横へ短いコメントを書き、千尋は色紙を切って飾りを作る。凪は二人の作業を楽しそうに眺めていた。
最後のページには、四人で撮ったばかりの写真を貼ることにした。
スマートフォンを棚へ立て、タイマーを設定する。
俺と凪が並び、その隣へ涼と千尋が座った。
撮影直前、凪が俺の腕を抱き、千尋も勇気を出したように涼の肩へ少し近づいた。
シャッター音が鳴る。
画面の中では、四人とも自然に笑っていた。
「これも、大切な思い出だね」
凪が言う。
「旅行のアルバムじゃなかったのか?」
「旅行から帰ったあとの思い出も、続きだから」
その考え方が、俺にはとても凪らしく思えた。
特別な三日間と、いつもの部屋で過ごす夜。
どちらか一方だけが人生ではない。
すべてがつながり、これからの二人を作っていく。
夜が深くなる前に、涼と千尋は帰ることになった。
玄関で靴を履きながら、涼が振り返る。
「今日はありがとな。旅行の土産話も聞けたし」
「水族館の結果、ちゃんと報告してね」
凪が言うと、千尋は赤くなりながらも笑った。
「凪たちにだけは話す」
二人を見送り、玄関のドアを閉める。
急に静かになった部屋で、凪と顔を見合わせた。
「楽しかった」
「ああ」
リビングへ戻ると、テーブルには作りかけのアルバムと、四人で撮った写真が残っている。
凪は俺の隣へ座り、肩へ頭を預けた。
「幸せだね、みーくん」
「そうだな」
「旅行が終わったら寂しくなると思ってた。でも、帰ってきても楽しいことがあった」
「これからも増えるよ」
「二人の思い出も、四人の思い出も?」
「全部だ」
凪はうれしそうに目を閉じた。
箱根旅行は終わった。
けれど、そこで確かめた未来は日常へ続いている。
この夜は、旅の終わりではなく、俺たちの新しい日常に加わった大切な一ページになった。
読んでくださってありがとうございます。
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