悲鳴を上げる体
何度目かわからないシャワーから出た湊と凪は、互いの身体を確かめ合うように密着していたが、どちらも指先ひとつ動かすことすら億劫なほどの疲労感に包まれていた。
「……あうっ……」
凪が小さく声を上げて、腰のあたりを庇うようにして身をくねらせる。その仕草に、湊は苦笑しながらも、自分の身体もまた悲鳴を上げているのを感じた。一晩、そして今朝の激しい情熱の代償は、かつてないほどの全身の筋肉痛という形で二人を襲っていた。
「凪、大丈夫か? さすがに少し無理をさせたかな」
湊が背中を優しく撫でると、凪は満足げに、しかし痛そうに目を細めて湊の胸に額を押し当てた。
「……ううん、大丈夫。……でも、身体中がバキバキで、もう一歩も動けない。これ、本当に人間としての機能を果たせるかな?」
「ははっ、同感だ。俺も、足腰がいう事を聞かない」
二人は顔を見合わせ、弱々しく笑い合った。外は眩しい夏休みの日差しが降り注いでいるというのに、二人にとっては、このソファが世界のすべてだった。激しい昂揚感の果てに訪れたのは、信じられないほどの疲労感と、それ以上に深い、心を満たす心地よい倦怠感だった。
「ねえ、湊」
凪が湊のシャツのボタンを弄びながら、ぼんやりと天井を見つめる。
「今日、せっかくの夏休みだけど、明日の計画とか、本当にもう何も考えられないよね。正直、今の私にとっての『冒険』は、あそこの冷蔵庫まで歩いて水を汲んでくることくらいだよ」
「まったくだ。今日のところは降参しよう。明日も一日、家でゆっくり休むっていうのはどうだ? 誰にも邪魔されず、二人でただひたすらに、動かなくなった身体を労る日」
湊の提案に、凪は嬉しそうに目を輝かせた。
「うん、それがいい。明日一日、家でゆっくりして、溜まった映画でも見ながらダラダラしよう。……で、明後日あたりからなら、もしかしたら人間に戻れてるかもしれないから、どこかへ出かけるっていうのはどうかな?」
「人間に戻るって、今の俺たちは何なんだよ」
「……うーん、愛の力で精一杯生きてる、溶けかけの二人かな?」
凪の言葉に、湊は声を上げて笑った。その拍子に腰に痛みが走り、思わず「っ」と顔を歪めると、凪が心配そうに身を乗り出す。
「ごめん、みーくん。痛いよね。……だからさ、やっぱり温泉がいいよ。今のこの筋肉痛を完全に癒やすなら、熱いお湯にどっぷり浸かるのが一番だよ。ねえ、明後日から温泉旅行に行こうよ」
「温泉、か。確かに、今の身体には何よりも魅力的な響きだ」
湊はソファの背に頭を預け、湯船に浸かっている自分たちの姿を想像した。静かな山あいの宿、ひっそりと佇む露天風呂、そして誰にも邪魔されない二人きりの夜。それは今の疲労困憊した二人にとって、まさに天国への招待状のように感じられた。
「それ、いいな。明日、本気で温泉旅行を探そうか。身体が動かなくなった二人で、ゆっくり湯治に行くっていうのも、なんか俺たちらしくて最高に贅沢な気がする」
「うん。……温泉なら、二人でずっとお湯に浸かってられるし、誰にも邪魔されないもんね。……それに、外で美味しいもの食べて、夜は部屋で二人だけで過ごして……ね」
凪は湊の胸に頬をすり寄せ、その言葉の響きに陶酔するように目を閉じた。今の二人は、ただ愛し合うことだけに集中しすぎた結果、心身ともに限界を迎えている。しかし、その限界すらも、二人にとってはかけがえのない絆の証であり、次の旅への期待を高めるスパイスになっていた。
「……一週間、しっかり楽しまないとな」
湊がそう言うと、凪は「うん」と小さく頷き、彼の腕の中で微睡み始めた。窓の外では夏の日差しが降り注いでいるが、リビングの中は静かで、穏やかな空気が流れている。明日になれば、二人で温泉旅行の計画を立てるという、また新しい甘い時間が始まる。今はただ、互いの温もりを感じながら、疲弊した身体を休めることに集中していた。
「……ねえ、みーくん。もし温泉に行くならさ、貸切露天風呂があるところが絶対条件ね」
凪は湊の胸元で小さな声を漏らし、指先で彼の鎖骨をなぞりながら続けた。
「誰にも邪魔されず、お湯の音だけが聞こえる場所で……また、こうして二人だけで過ごしたいの。今度は、もっとゆっくり、お互いの身体をいたわりながら」
その提案に、湊の心臓が甘く高鳴る。貸切という言葉が持つプライベートな響きは、今の二人の関係において何よりも刺激的だ。
「ああ、いいな。……温泉に浸かって、火照った身体を夜風で冷まして、そのまま部屋で冷たい飲み物をシェアして……そう考えると、この筋肉痛も悪いもんじゃない気がしてきた」
湊が笑いながら凪の髪に鼻先を寄せると、シャンプーの香りと、二人の混ざり合った残り香がふわりと漂った。凪はその匂いを深く吸い込み、満足げに目を細める。
「ふふっ、本当に変なの。……こんなに身体が痛いのに、幸せでたまらないんだもん。ねえ、明後日からの旅行、どんな服にしようか? 今はまだ選ぶ元気がないけど」
「……でも、結局はすぐ脱がされちゃうんだろうけど」
湊の冗談に、凪は真っ赤になりながら彼の胸を軽く叩いた。
「もうっ、馬鹿! ……でも、部屋に入ったら浴衣もあるし……ううん、もしかしたら浴衣なんて着てる暇もないのかも」
二人は顔を見合わせ、クスクスと笑い合う。今はただ横たわっているだけで精一杯だが、明後日のことを想像するだけで、疲労感の裏側に、じりじりと熱い期待が湧き上がってくるのを感じた。
「明日はね、一日中映画を見てダラダラして、美味しいものだけ食べて……体力を回復させる日にしよう。そうしたら明後日、最高のコンディションで迎えられるから」
「そうだな。とりあえず一旦休もうな」
湊の言葉に、凪は「うん」と小さく頷き、彼の腕の中で安らかな微睡みに落ちていった。窓の外ではセミの声が夏を告げているが、リビングの中は静かで、穏やかな空気が流れている。明日になれば、二人で温泉旅行の計画を立てるという、また新しい甘い時間が始まる。
今はただ、互いの温もりを感じながら、疲弊した身体を休めることに集中していた。凪の柔らかな吐息が湊の肌を撫でるたび、彼は彼女を抱きしめる腕に一層力を込める。明日の静かな一日、そして明後日からの温泉旅行。未来に続く約束の数々が、今のこの幸福な倦怠感の中で、少しずつ温められていく。
「明日は、何を食べようか。……デリバリーでピザでも頼んで、二人で贅沢に過ごそうか」
湊が囁くと、凪は夢うつつの中で小さく「うん……ピザ……」と呟いた。その愛らしい寝顔を見ながら、湊は自分たちのこれからを思う。夏休みの空はどこまでも高く、そして二人の未来もまた、その空のように穏やかで、満たされたものになる。
……こうして、二人は深い安らぎの中で、ゆっくりと意識を夢の世界へと沈めていった。どんなに激しい情熱の果てにあっても、こうして最後には穏やかに肩を寄せ合えることが、何よりも贅沢なのだと知った夏の一日だった。明後日からの旅路が、二人をどんな場所へ連れて行ってくれるのか。その先にある風景を思い描きながら、二人の意識は静かに混ざり合っていった。
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