報告
初夏の風が通り抜ける朝の遊歩道。湊と凪は、これまでの人生で一度も経験したことのないほど密着して歩いていた。凪が湊の腕に抱きつき、湊も凪をさらに引き寄せる。まるで二人で一つの影を共有しているかのような距離感だ。
「みーくん、今日どうしたの? みんな見てるよ」
凪が少しだけ上目遣いで湊を見上げる。その瞳には、かつてあった不安の陰りは微塵もない。
「誰が見てようが関係ない。……凪のこと離したくないだけ」
そういうと湊は凪の肩を抱き寄せる力を強めた。
「……もう。みーくん、そんなこと急に言うから顔が熱くなっちゃった」
凪は顔を赤くしながらも、湊の胸元にさらに深く顔を埋めた。彼女の吐息が湊のシャツ越しに伝わり、その微かな熱さが心地よい電流のように背筋を駆け上がる。
「……あれ? みーくん、もしかして照れてる?」
「……うるさいな。凪がそんな風に嬉しそうにするからだろ」
「いいじゃん。ねえ、もっとぎゅっとして? 」
そう言って湊の顔をのぞきこむ。
「 俺の心臓、今すごく速く打ってるんだけど」
「ほんとだ……二人とも、すごく速いね」
湊は少し苦笑しながら、凪の手を取り、自分の左胸の鼓動を彼女に確かめさせるように、そっと掌を添えさせた。Tシャツ越しに伝わる激しい脈動は、二人の間に流れる熱そのものだった。
「みーくんのせいだよ。朝からそんなことばっかり言って」
「凪だってそうだろう? 俺の心臓、こうやってお前を抱きしめてると、壊れそうなくらい暴れるんだ」
湊は低く掠れた声で囁く。周囲の登校風景が、まるで遠い世界の出来事のように思える。行き交う生徒たちの足音も、遠くで聞こえる放送の声も、今の二人には無関係だった。
凪は湊のシャツの裾をさらに強く握り締め、自分の方へ引き寄せた。並木道から校舎へと向かう人波が、二人のすぐそばを通り過ぎていく。周囲の生徒たちは、異様なほど密着して歩く二人を見て、驚きと好奇の視線を投げてくる。
「みんな見てるよ、なんて言ったくせに。凪こそ、離れる気ないだろ」
「……うん。でも離したくないのは、みーくんもでしょ?」
凪は強気な視線で湊を射抜くと、恥ずかしさを隠すように再び湊の腕に顔を埋めた。湊は彼女の頭を軽く撫で、その柔らかな髪の感触を堪能する。
校舎の入り口が近づくにつれ、登校してくる生徒たちの声がいっそう賑やかさを増していく。その騒がしい喧騒の中に、聞き覚えのある声が混じっていた。
「……おーい、二人とも! 物理的に距離が近すぎだって! 朝から勘弁してくれよ」
前方を歩いていた涼が、呆れたような表情で振り返る。その隣では千尋が、目を丸くしながら二人の様子を凝視していた。
「本当ね! ……なんか、今日の二人、ものすごく雰囲気違うんだけど。何かいいことあったの?」
千尋がニヤニヤしながら問いかけてくる。湊は凪の肩から手を離すことなく、あえて堂々と涼たちに向き直った。
「ああ。隠すようなことじゃないしな。……今日、昼休みに全部話す。場所は俺の席でいいか?」
湊の迷いのない返答に、涼は少しだけ驚いたように目を見開き、それから満足そうに肩をすくめた。
「へぇ、そこまで言うなら聞いてやるよ。……千尋もそれで大丈夫か?」
「もちろん! 二人がどんな話をしてくれるのか、楽しみにしてるからね」
四人はそのまま校舎の中へと足を踏み入れた。廊下に響く足音は、昨日までのそれとは違い、どこか晴れやかで弾むようなリズムを刻んでいた。湊は繋いだ凪の手を、休み時間まで一度も離そうとは思わなかった。
昼休み、教室は昼食をとる生徒たちの賑わいで満ちていた。湊と凪は窓際の席に座り、涼と千尋がその周りを囲むようにして集まる。湊は隣に座る凪の机の下で、しっかりと彼女の手を握りしめていた。
「よし、お前らがわざわざ『話がある』なんて言うんだから、相当なことなんだろ?」
涼が椅子を逆さに座り、湊をじっと見つめる。千尋もまた、期待と少しの緊張を混じえた表情で二人の顔を交互に見ていた。湊は深く息を吸い込み、凪と視線を交わしてから口を開いた。
「ああ。……先週末、凪の母親のところへ行ってきたんだ」
「えっ……! 本当に!?」
千尋が思わず声を上げ、驚きのあまり身を乗り出す。
「ああ。これまでの俺たちのこと、全部伝えてきた」
「……で、結果はどうだったんだよ」
涼が身を乗り出し、声を低くして問いかける。湊は凪の手を少し強く握り、確かな言葉を選んだ。
「俺たちの関係を認めてくれた。凪を俺の隣に置いておくこと、これからも凪といることを認めてくれた」
「……すごっ……。よかったね」
千尋が感嘆の声を漏らし、心底嬉しそうに微笑む。その笑顔を見て、凪もまた安心したように口元を緩めた。
「うん。……みーくんがずっと一緒に説得してくれて……。二人でちゃんと伝えてきた」
「へえ、お前らやるじゃねえか。……正直、揉めるかと思ってたぜ」
涼はそう言って、どこか誇らしげに湊の肩を叩いた。
「これからが本当のスタートだよ」
湊が力強く宣言すると、涼と千尋も自然と笑顔になる。
「そうだな。これからは、お前らが自分たちで決めた道を歩めよ。……俺たちも、全力でサポートするからさ」
「そうだよ! 困ったことがあったら何でも言ってね! ……あ、でも、これからはあんまり私達をのけ者にして二人だけでイチャイチャしすぎないこと!」
千尋が笑いながら釘を刺すと、凪は顔を真っ赤にして湊の腕にすり寄った。
「努力する……」
「ちなみに話したのはそれだけ?」
千尋がにやにやしながら聞いてきた。
「「え」」
結婚のことまで言及したことを思い出して二人は動揺した。そしてその様子を千尋は見逃さなかった。
「ほう、なんかあったな……もしかして結婚の話でもした?」
千尋の鋭い指摘に、湊と凪は一瞬だけ時が止まったかのように凍りついた。凪は顔の赤みがさらに増し、湊は視線をどこにやればいいのかと彷徨わせる。
「……っ、そんな……」
湊が動揺を隠そうと必死に口を開くが、凪の握りしめる手の力が強まったことで、かえって千尋の確信を深めてしまった。
「あー、やっぱり! 湊くん、今すっごい挙動不審だったよ?」
「え、マジかよ湊。お前、そっちまで踏み込んできたのか?」
涼も呆れを通り越して、どこか尊敬の眼差しで湊を見つめる。二人の反応に、湊は降参するように深く溜め息をついた。
「……まあ、正直に言うと、将来のことまで話したんだ。ただの『今の付き合い』だけじゃなくて、凪を一生支えていくっていう俺の意志を、お母さんに伝えてきた」
「一生支える……」
千尋がポツリと呟くと、凪は湊の横顔を見つめ、恥ずかしそうに、でもこれ以上ないほど幸福そうな笑みを浮かべた。
「……私がみーくん以外の人といる未来なんて、もうありえないってこと。……お母さんにも、ちゃんと言ったの」
「うわぁ……。お前ら、高校生にしては重すぎるし、純愛すぎだろ」
涼は頭を抱えつつも、その口元はニヤニヤと歪んでいる。
千尋は真っ直ぐな瞳で微笑んだ。
「でもさ、ふたりならほんとにそうなると思うよ。湊くん、凪ちゃんのこと大切にしてよ」
湊は、窓から差し込む初夏の光を背にして、迷いなく頷いた。
「もちろん」
涼は自分の椅子の背もたれに寄りかかりながら、ニヤリと親友らしい笑みを浮かべた。
「湊は不器用だけどいいやつだから、絶対凪のこと幸せにすると思うぞ。だから俺の親友のこと、よろしくな」
凪は湊のシャツの袖をきゅっと掴み、涼に向かって少し強気に、でも最高に幸せそうな笑顔で答えた。
「みーくんのことは離すつもりないよ。みーくんも私のこと、離さないでいてくれるもんね」
湊は凪の指先をそっと握り直し、涼や千尋がいるのも忘れるほど深く、強い声音で告げた。
「絶対に離したくない」
その真っ直ぐすぎる言葉に、教室の空気が一瞬だけ甘く震えた。千尋は頬を少し赤らめながら、「あーもう、ごちそうさま!」と笑って机を軽く叩く。
「……はは、まあいい。お前らには一本取られたな」
涼が肩をすくめてそう言うと、その表情には親友としての純粋な祝福が滲んでいた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが、どこか遠くで鳴り始める。四人はその音に背中を押されるように、揃って立ち上がった。
「さて、現実に引き戻される時間だな」
涼がそう言うと千尋は
「湊くん、凪ちゃん、放課後にまたね!」
と言って自分の席に戻っていった。
「……ねえ、みーくん。授業、ちゃんと集中できる?」
凪のいたずらっぽい問いかけに、湊は苦笑しながら彼女の手を引いた。
「どうだろうな。凪のことが気になって、それどころじゃないかもしれない」
「もう、みーくんったら」
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