不器用な涼
身支度を整え、二人は駅前へと向かった。
約束の土曜日、駅前広場は多くの人で賑わっている。待ち合わせ場所に着くと、すでにどこか落ち着かない様子で待っている涼の姿が見えた。いつもより少しだけ髪を整えているが、服装はいつものラフなものだ。湊は思わず苦笑する。あいつなりに、最大限の気合いを入れた結果がこれなのだ。
「……よお」
涼は湊たちが来たのを見ると、周囲をきょろきょろと見回した。まだ千尋は来ていないようだ。
「……千尋と一緒じゃなかったのか」
「ああ、多分準備に時間かかってるんだろ」
湊がわざと素っ気なく答えると、涼は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「相変わらずだな。まあ、待つのは慣れてるけどよ」
そう言いながら、スマートフォンの画面を何度も点けたり消したりしている。そんな涼の姿を見て、凪は湊と目配せをした。涼のわかりやすい動揺に、二人は思わず笑みをこぼす。
「涼くん、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ほら、あそこ!」
凪が指さした先には、軽やかな足取りで近づいてくる千尋と香織の姿があった。千尋は今日、いつもより少しだけ大人っぽいブラウスを着ている。少しだけ背伸びをしたその装いに、涼の動きがピタリと止まった。
「……お、おぅ」
涼は急に喉を鳴らし、わざとらしく視線を空の方へ逸らした。
「お待たせー! ごめんね、ちょっと準備に時間かかっちゃって」
千尋が明るい声で言うと、涼はぎこちなく咳払いをして、そっぽを向いたまま答える。
「……別に待ってないよ。……今日、随分と雰囲気違うな」
「え? そうかな? いつもとそんなに変わらないでしょ? 変かな……?」
千尋が少し自信なさそうに自分の服を見ると、涼はあわてて視線を戻し、早口で言い繕う。
「……いや、悪くねえよ。……似合ってる、と思っただけ」
「へーえ、涼が私に似合ってるって言うなんて珍しいね! 香織、聞いた?」
千尋がニヤニヤしながら香織の腕を突くと、涼は「……うるせえ!」と小声で言い返し、足早に歩き出した。その耳が真っ赤に染まっているのを、湊たちは見逃さなかった。
ランチを終えた五人は、賑やかな商店街を抜けて、目的の雑貨屋へ向かった。
色とりどりの小物が並ぶ店内で、千尋が小さなガラス細工の置物を手に取ると、涼がその背後にふっと立ち止まる。
「お前、そういうの好きか」
「え? まあね。涼は? 興味ないでしょ?」
「……別に。こういうのも悪くないかなって思ったけど」
涼はぶっきらぼうに言い捨てると、少しだけ千尋との距離を詰める。千尋は少し驚いたように瞬きをしてから、嬉しそうにふわりと笑った。それは、ただの幼馴染という距離感を超えた、甘い空気が少しだけ混じった瞬間だった。湊は凪の手を握り直し、その光景をそっと見守った。二人の間にある見えない壁が、少しずつ、けれど確実に壊れ始めている。
その後、五人は涼が話題に出していた新しいブックカフェへと向かった。
静かな店内で二手に分かれると、涼と千尋は本の棚の前で立ち止まり、熱心に何かを語り合っている。香織が湊たちの方を見て、小声で呟く。
「ねえ、涼と千尋、すごくいい雰囲気だね」
「そうだね。あんなに自然に話してる姿、あんまり見たことないかも」
湊が二人の様子を眺めていると、涼が千尋に向けて、少しだけ真剣な顔で何かを話しかけているのがわかった。千尋は驚いたような顔をしたが、すぐに柔らかい笑顔を見せた。
「……何話してるのかな」
凪が覗き込もうとすると、湊は優しく首を横に振った。
「やめておけ。今はあいつらだけの時間だ」
「そうだね。……ねえ、みーくん」
凪が湊の手をぎゅっと握る。
「こうやってみんなで笑っていられる時間、いいね」
「そうだな」
カフェを出た後は、日が傾き始めた街を散策した。商店街の明かりが灯り始め、夕闇が街を包み込む。駅前広場の噴水のそばで、五人は足を止める。
「今日は、本当に楽しかった!」
千尋が両手を広げて、大きく息を吸い込んだ。涼は隣で、少しだけ恥ずかしそうに地面を眺めている。
「……そうだな。まあ、悪くはなかった」
「悪くなかった? それだけ?」
千尋が不満そうに涼を睨むと、涼は少し困ったように、けれど優しく笑った。
「……楽しかったよ」
湊は涼の背中をポンと叩いた。
「それじゃあ、今日はこの辺で解散だな。……涼、千尋を送ってやれよ」
「……え、あ、うん」
涼が千尋の歩調に合わせて歩き出す。二人を見送りながら、香織が満足そうに頷いた。
「いいカップルになりそうじゃない? 私たち、いいキューピッドだったね」
「本当にね」
凪が湊の胸に顔を埋める。湊は彼女の肩を抱き寄せ、優しく頭を撫でた。
「またすぐ集まろうね。それに、二人のこれからはまだ始まったばかりなんだから」
家路に着き、部屋の扉を開けると、そこには静寂と二人だけの時間が待っていた。窓の外では夜の帳が下り、街の灯りがキラキラと輝いている。
「今日は、涼くんと千尋ちゃんのおかげで、なんだか特別だったね」
「そうだな。……だけど、俺にとっては、凪とこうして過ごす夜の方が、何よりも特別だよ」
湊が凪を優しく引き寄せると、彼女は恥ずかしそうにしながらも、湊の腕の中で目を閉じた。誰にも邪魔されない、二人だけの幸せ。それは、かつて孤独に怯えていた湊にとって、手放したくないほど尊い宝物だった。
凪がそばにいて、仲間たちがそれぞれの道を歩み始める。その事実に、湊は心底からの安らぎを感じていた。明日にはまた、新しい日常が待っている。けれど、今はただ、この瞬間の凪のぬくもりを、永遠に続くかのように抱きしめていたかった。
カーテン越しに見える夜空には、二人の幸せを灯すように、月が優しく微笑んでいた。五人の週末は終わりを迎えたけれど、自分たちの物語は、ここからもっと色鮮やかに紡がれていく。
「……ねえ、みーくん」
凪が小声で名前を呼ぶ。
「ん?」
「みーくん、好きだよ」
その言葉に、湊は微笑みながら彼女を抱きしめた。
「俺も、凪のこと大好きだよ」
二人の夜は、まだ始まったばかりだった。これから繰り返される季節のなかで、自分たちは何度でも恋に落ちるだろう。
「みーくん、さっきのお店で涼くんが選んでいた本、覚えてる?」
「ああ、あのインテリア系のやつか?」
「そう。涼くん、本当は千尋ちゃんの趣味に合わせて本を選んでいたんだよ。千尋ちゃんが好きな雰囲気の新作について、わざわざ調べていたみたい」
凪の言葉に、湊は驚いた。あの不器用な涼が、そんなに裏で努力していたとは。
「そうだったのか。あいつ、必死だな」
「うん。でも、そういうのってすごく素敵だよね。涼くんの優しさ、千尋ちゃんには絶対伝わってると思う」
湊は深く頷いた。涼の努力は、きっといつか実を結ぶ。いや、すでに千尋の心にはその想いが少しずつ浸透しているはずだ。
部屋の中は、柔らかな間接照明に包まれている。湊は凪をベッドへと導き、優しく彼女の隣に横たわった。凪は湊の胸に顔を寄せ、小さな寝息を立て始める。その姿を見ているだけで、湊の胸は感謝の念でいっぱいになった。凪という存在が、いかに自分を世界と繋ぎ止めてくれているか。
「……愛してるよ、凪」
寝言のように呟くと、凪がふっと笑った気がした。湊もまた、心地よい眠りに誘われていく。明日の朝、どんな光が差し込むだろうか。昨日よりも、もっと優しい光であることを願って、湊は夢の深淵へと沈んでいった。
翌朝、カーテンの隙間から差し込む眩しい光で湊は目を覚ました。
腕の中には、まだすやすやと小さな寝息を立てている凪の姿がある。昨日みんなで見守った涼と千尋の初々しい空気も素敵だったけれど、やっぱり湊にとって、この腕の中にある温もりこそが世界のすべてだった。
「ん……みーくん、おはよ……」
パチリと目を覚ました凪が、まだ眠そうに目を細めながら湊の胸にぎゅっと抱きついてくる。その甘えたような仕草がたまらなく愛おしくて、湊は彼女の細い肩を抱きしめ、おでこに優しくキスを落とした。
「おはよ、凪。今日は一日中、どこにも行かないでこうしてような」
「うん……ずっとみーくんとくっついてる」
そこからは、文字通り二人だけの甘い時間が始まった。
お腹が空くまでベッドの中で何度も名前を呼び合って抱き締め合い、遅めの朝食兼昼食を食べた後も、ソファで凪を膝の上に抱きかかえるようにして座った。テレビを流していても、二人の意識はお互いにしか向いていない。湊が凪の髪を指先で弄れば、凪はくすぐったそうに身をよじりながらも、湊の首に腕を回して唇を重ねてくる。
「みーくん、チャージ中……」
「俺のセリフ。凪が足りない」
他愛のない言葉を囁き合いながら、何度も、何度も、深く優しいキスを交わした。かつて孤独だった部屋は、今や二人の吐息と、甘い幸福感だけで満たされている。外の天気がどう移り変わろうが、二人の世界には関係なかった。ただお互いの肌の温もりを感じ、愛していると伝え合う、それだけで胸がいっぱいになるほど愛おしい日曜日。
(本当に幸せだな……ずっとこうしていたい)
気がつけば部屋には黄金色の夕暮れが満ち、やがて静かな夜の帳が下りていた。
「そろそろ、夕食にしようか」
「うん。じゃあ……一緒にハンバーグ作ろ?」
キッチンに並んで立ち、お互いの腰に手を回しながら、ここでも時折キスを挟みつつ賑やかに料理をする。二人で形を整えてジューシーに焼き上げたハンバーグは、格別の味がした。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかった、凪」
「ふふ、お粗末様でした。みーくんと一緒に作ったからね」
「また一緒に作ろうな」
湊は凪さえいればいい。と心から思った。
「今日はみーくんとずっと一緒に過ごせて本当に幸せだよ」
凪は嬉しそうに笑う。湊は本当に可愛いなと改めて思う。そしてこの時間を守ると心に誓った。
穏やかな夕食の時間が終わり、二人で片付けをしていた時だった。キッチンのシンクで水の流れる音が響く中、凪のスマートフォンがカウンターの上で小さく震える。
「……お母さん?」
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