嫉妬
「ねえ、湊くん! 今度の課題の範囲、どこだったか覚えてる?」
休み時間の教室。湊の机の周りに、いつの間にか女子生徒が数人集まっていた。以前の湊であれば、彼女たちにとって彼は「景色」の一部に過ぎなかった。だが、髪を切り、姿勢が正され、凪という学園の至宝を隣に置くようになった今の湊は、教室の中でひときわ目を引く存在になっていた。
「課題なら、プリントの裏面までだよ」
「あ、ありがとう! ……湊くん、最近なんかすごく雰囲気変わったよね。かっこいいなと思ってたんだ」
「本当、ずっと静かなイメージだったけど、話すと結構面白いよね」
女子たちの視線は熱を帯びている。ただの好奇心ではない。「近付いてみたい」「もっと話してみたい」という、願望が混じっているのは明らかだった。
湊は凪の手を握りしめたまま、繋いでいないほうの手で軽く机を叩いた。
「そうか、ありがとう。……でも、授業の準備があるから、また今度にしてくれ」
突き放すような冷たさはない。だが、明確な境界線を感じさせる、大人の余裕を持った断り方。女子たちは「そっか、ごめんね! またね!」と、少し照れくさそうに笑いながら去っていった。
それを見送ったあと、湊は隣に座る凪を見た。
「……意外と、いろいろ話しかけられるんだな」
「うん。……みーくんがかっこいいからだよ」
凪はそう言って、湊の肩にこつりと頭を預けた。彼女の声は普段通り穏やかだ。しかし、その瞳の奥には、消えることのない微かなさざ波が立っている。
「かっこいい……? 俺がか?」
「うん。みんな分かってるんだよ。みーくんが、実はすごく素敵だってこと」
凪の心境は複雑だった。自分の恋人が他の女子から注目されるのは、正直に言って面白くない。けれど、同時にその「かっこいい」という評価が、自分の愛する人に対するものだと知っているからこそ、誇らしさも感じていた。胸の奥がチクリとする。あの子たちに湊を奪われるなんて、思っていない。それでも凪はなんとも言えない不安を感じていた。
「……凪、どうした? さっきから少し元気がなさそうだが」
「ううん、元気だよ。ただ……みーくんがみんなに褒められると、なんだか少しだけ不安になるだけ」
凪はそう言いながら、湊のシャツを握る力を強めた。湊がクラスで認められ、誰からも蔑まれない存在になること――それは凪にとっても最高の喜びだ。けれど、その代償として「湊をみんなと共有する時間」が増えてしまうことに、どうしようもない寂しさを覚えていた。
「変なやつだな。……俺は、凪以外の人間に好意を持つなんてあるわけないだろ」
「……分かってる。みーくんが私のことしか見てないってこと、一番知ってるよ」
凪は湊の胸元に顔を埋めた。誰にも聞かれない小さな声で、言葉を紡ぐ。
「でもね、みーくん。あんまりかっこよくなりすぎないで。……みんなにかっこいいのがバレちゃうのが、なんだか少しだけ悔しいの」
「……そうか。なら、俺は凪の前でだけ、特別なかっこよさを見せることにするよ」
湊は凪の髪を優しく梳いた。彼にはデレデレした素振りはない。しかし、凪を誰よりも大切に扱うその態度は、周囲のどんな視線よりもずっと雄弁に「所有者」の証を突きつけている。
「……ねえ、みーくん。放課後、寄り道して帰らない?」
「ああ、いいぞ。どこか行きたいところがあるのか?」
「ううん。ただ……二人きりの時間が、もう少しほしいだけ」
凪は湊の腰に腕を回し、まるで誰も近寄らせないかのように密着した。
女子たちからの視線を感じるたび、凪は湊の体温を求めた。彼がかっこいいのは素晴らしいことだ。クラスで認められるのも、誇らしい。でも、それと同じくらい、誰にも邪魔されない場所で、自分だけの湊を堪能したくなる。
「……ねえ、みーくん。これからも、ずっと私の隣にいてくれるよね?」
「当然だろ。……他に誰がいるんだ」
「うん。……一生、離さない。みーくんが私を離さないなら、私も絶対に離してあげないから」
凪は湊の胸で小さく笑った。嫉妬も、不安も、この確かな鼓動を聴いている間だけは、甘い蜜のように感じられる。湊は凪の腕の感触を受け入れながら、窓の外を見つめた。
彼がクラスメイトと良好な関係を築くのは、凪との平穏を守るための手段に過ぎない。他人に興味などないし、凪以外を欲することなどあり得ない。
「……さっきの女子たち、また来るかな?」
「来るかもね。でも、無駄だよ。みーくんは、私だけのものだもん」
凪の独占欲は、今日もまた密やかに、そして深く彼女の中で醸成されていた。
彼女は湊の腕を握る手を、少しだけ強めた。湊がかっこよく、素敵であればあるほど、彼女は彼をより強く抱きしめたくなる。
それは、凪なりの「大好き」という言葉の、一番深いところにある叫びだった。
「みーくん、もっと甘えてもいい?」
「……ああ。凪がしたいなら、好きにしてくれ」
湊のそっけない、しかし決して拒絶しない言葉に、凪は心から満たされる。周囲がどれほど湊を求めても、最終的に彼の全てを受け取る場所は、自分しかいない。その事実が、凪の不安を優しく塗り潰していく。
湊は、自分がクラスで孤立しないことで、凪という大切な花を守り抜くという確信を深め。
凪は、彼がクラスで輝けば輝くほど、その輝きを誰にも渡したくないという気持ちを強め、彼に深く深く沈み込んでいく。
「……大好き。みーくん、ずっと私のものだよ」
「ああ。……凪も、一生俺のものだ」
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