相談③
喫茶店『アンバー』の奥、仄暗い照明が四人の影を濃く落とす。コーヒーの香りが漂う中で、先ほどまでの「学校での作戦会議」という緊張感は、涼と千尋による容赦のない「尋問」へと姿を変えていた。
涼がふっと息を吐き、コーヒーカップをソーサーに置く。彼の眼差しは、先ほどまでの陽気な親友のものとは違い、チェスの盤面を読み解く戦略家のように鋭く、そしてどこか冷徹だった。
「なあ湊、凪。俺たちに隠し事はなしだぞ。お前らが中学に上がる直前、親の離婚で引き裂かれるまで、どれだけ互いを想い合って……そしてどれだけ耐えてきたか。千尋から聞いた時、正直背筋が凍ったぜ。義兄妹として愛するのか、女として愛するのか、その境界線で死ぬほど苦しんだんだろ?」
その言葉に、湊の肩がわずかに強張る。涼の声には責めるような響きはなく、ただ二人の過去という「劇薬」に対する純粋な畏怖が混じっていた。千尋は遠くを見るような目で、凪の横顔を見つめた。中学時代、千尋と出会い、親しくなるにつれてぽつりとこぼした「ずっと好きだったお兄ちゃんが、いなくなっちゃった」というあの日の告白。千尋は、その凪の痛みを誰よりも近くで見てきた。湊が中学時代、凪の存在を失った恐怖から、誰とも深く関わらない孤独な殻に閉じこもっていたことも、千尋は知っていた。
「……あの日々、俺たちはただの『家族』を演じることに必死だった」
湊の声は低く、枯れたような響きを持っていた。彼にとって、その過去は今なお、喉に突き刺さったままの棘のようなものだ。
「義兄妹という名の呪縛で、俺たちは互いを一番近くで愛しながら、決して触れてはいけないものとして隠し続けた。中学に上がる前に親が離婚して引き裂かれて……俺は、好きな人が離れるのが怖くて、それ以来、誰とも深く仲良くすることをやめたんだ。凪がいない世界なんて、死んでるのと変わらなかった。お前と出会った中学時代も、涼、俺は心の一部をずっと欠損させたまま生きていたんだよ」
それを受け止めるように、凪が湊の肩に身を預ける。彼女の体温が湊に伝わる。かつては触れることさえ許されなかった距離感が、今やこうして密着していることに、彼女は狂おしいほどの歓喜を覚えているようだった。
「私はね、中学で千尋ちゃんと出会って、初めて言えたの。『ずっと大好きだったお兄ちゃんが、いなくなっちゃった』って……。離れている間、ずっと寂しかった。でも、高校入学で再会した瞬間、心臓が爆発するかと思った。もう絶対、この手は離さないって決めたの」
凪の口調には、かつての慎ましさは微塵もない。彼女の手が、湊の背中を愛おしそうに、そして独占欲たっぷりに這い回る。再会した瞬間、彼女が迷わず「同居」を切り出し、湊がそれに抗えなかった理由。それはお互いの心に空いた穴が、あまりに巨大すぎたからに他ならない。
「お前が湊の部屋に強引に転がり込んだわけだ」
と涼が笑う。
涼がからかうように笑うと、凪は羞恥に顔を赤らめながらも、湊の腕にさらに深く顔を埋めた。
「そう。だって、再会した時、みーくんがあの時の……寂しそうな、壊れそうな顔をしてたから。私の全部をぶつけて、あの長かった空白を埋めてほしかったの。ねえ、昨日の夜だって……」
凪が言葉を濁し、わずかに視線を逸らす。その表情には、ただの幼馴染とは呼べない、互いを溺愛する者特有の火照りが残っていた。千尋はそれを見逃さず、ニヤリと目を細める。
「で? 熱が下がってからの看病……ただの看病じゃなかったんでしょ? 凪ちゃん、湊くんを離さなかったんでしょ?」
「っ、ちひろちゃん、そんな……!」
凪が真っ赤になって湊の胸元に顔を隠す。湊も少しだけ居心地悪そうに視線を逸らしたが、凪を抱く手には力がこもったままだ。
「……俺は、ただ傍にいたかっただけだ。凪が少しでも動こうとすると、また俺の前から消えてしまうんじゃないかって、不安で……。結局、朝までずっと手を握っていた」
「へえ、湊くんがねえ。あのクールで無愛想な湊くんが、不安で?」
千尋が嬉しそうに冷やかすと、凪がバツが悪そうに、でもどこか誇らしげに付け加える。
「……朝、目が覚めた時、みーくんが私の額に何度も、何度もキスしてて……。私が目を覚ましたことに気づいたら、ものすごく恥ずかしそうに逸らしたの。あんなみーくん、今まで見たことなかったから……その、すごく嬉しくて、また私から抱きついちゃって……」
凪の可愛らしい告白に、涼と千尋は目を見合わせる。
「……うわあ、それはまた初々しいね。兄妹だった頃には見られなかった、本当の意味での『恋人』の顔だ」
「本当ね。湊くん、凪ちゃんのこと、大事にしすぎ。ねえ、そんなに凪ちゃんのことが可愛いの?」
湊はため息をつきつつも、凪の頭を優しく撫でた。
「……可愛いに決まっているだろう。凪が俺の隣にいて、俺の名前を呼んでくれる。それだけで、中学時代に死んでいた俺の時間が、ようやく動き出したんだから」
その率直な言葉に、凪はとろけるような笑顔を見せ、湊の指先をそっと自分の指で絡めた。かつては血の繋がりという呪縛に苦しみ、離れ離れになって地獄を見た二人が、今こうして親友の前で堂々と想いを語り合っている。
「……幸せだよね。こうして、二人の過去も、今のこの気持ちも、全部知ってくれている千尋ちゃんたちがいてくれて」
凪の真っ直ぐな言葉に、千尋は満足そうに微笑んだ。四人の共犯関係は、過去の痛みを知るからこそ、誰よりも強固に結ばれている。夜の街の冷たさも、今の二人には、過去を乗り越えた先にある温かい余韻として感じられていた。
「よし、尋問はここまでだ」
涼が立ち上がり、会計の伝票を手に取る。
「お前ら、来週の学校は演劇の開演日だぞ。観客はクラス全員だ。最高の演技を期待してるぜ」
湊は凪を立ち上がらせ、彼女の肩をしっかりと抱き寄せた。店を出ると、冷たい夜風が二人の火照った頬を撫でる。





