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迎えた誕生日

土曜日。

 凪がこの世に生を受けてから、17年目の朝が来た。


一週間前のショッピングデートを経て、湊の準備は完璧だった。月曜日の放課後、涼に「ちょっと用事がある」とだけ告げて向かったあの宝飾店。店員から手渡された小さな紺色のケースは、今、湊の学習机の引き出しの奥で、その時を静かに待っている。


「……みーくん、おはよ。今日、私……お誕生日だね」


リビングに現れた凪は、どこか緊張した面持ちだった。昨夜、日付が変わった瞬間に湊が「おめでとう」と伝えた時、彼女は泣きそうな顔で笑っていた。その余韻が、まだ彼女の頬を淡く染めている。


「ああ。……今日は一日、お前の好きなようにしていいぞ。リクエストはあるか?」


「ううん。……みーくんと一緒に、この家でゆっくり過ごしたい。それが一番の贅沢だから」


午前中、二人は並んでキッチンに立った。

 メニューは凪の好物ばかりだ。五年前、一緒にお祝いできなかった「失われた四回分の誕生日」をすべて埋め合わせるような、特別な食卓。

 湊は不慣れな手つきでケーキのデコレーションを手伝い、凪は楽しそうに鼻歌を歌いながら、真っ白な生クリームの上に真っ赤なイチゴを並べていく。


平和で、温かくて、どこまでも「普通」の風景。

 けれど、この部屋のドア一枚隔てた外側には、依然として彼らを拒絶する世界が広がっている。だからこそ、この静寂は奇跡のように尊かった。





夜が静かに更けていく。


リビングの明かりを落とし、テーブルの上に置かれた手作りのケーキ。17本のキャンドルの炎が、小さな命の鼓動のように細かく揺れていた。


「……凪、おめでとう。生まれてきてくれて、本当にありがとう」


湊の静かな声に、凪は深く、深く息を吸い込んだ。

 ふう、と炎を吹き消した瞬間、あたりは一気に静寂と闇に包まれる。窓から差し込む街灯の淡い光だけが、凪の頬を伝う一筋の涙を銀色に照らし出した。


「……みーくん」


凪の声は、すでに震えていた。湊は椅子から立ち上がり、自分の部屋に隠していた「あの箱」を手に取った。

 テーブルに置かれた小さな紺色のケース。蓋を開けると、先日のショッピングで彼女が見つめていた、あの深い青色のサファイアが姿を現した。


「指輪にしたんだ」


湊の声も、わずかに掠れている。彼は凪の左手をそっと引き寄せた。


「……あ、あぁ……」


凪の唇から、言葉にならない嗚咽が漏れた。

 湊は震える彼女の指先に、ゆっくりと、祈るような重みを込めてサファイアの環を滑らせた。

 細い薬指に、冷たい貴金属の感触が宿る。


「……凪。五年前、俺は弱かった。兄だからと言い訳してた」


湊は、凪の手を両手で包み込み、そのまま彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。もう、嘘を吐く必要はない。涼や千尋さえも立ち入れない、二人だけの聖域で、湊は告白を口にした。


「俺はもう、お前の兄なんかじゃない。……なりたくない。俺は、お前を一人の男として愛してる。世間が何と言おうが、俺は凪のそばを離れたくない」


「……っ、う、ああああ……っ!」


凪の感情が、ついに決壊した。

 彼女は顔を覆い、子供のように声を上げて泣きじゃくった。それは喜びと、安堵と、五年分の寂しさが一気に噴き出したような、激しい慟哭だった。


「……う、うれしい……っ、うれしいよ、みーくん……! 私、ずっと、ずっと……ありがとう……!……わたしもずっと湊の、隣にいたい……っ!」


凪は崩れ落ちるように湊の胸に飛び込んだ。

 湊はその小さな体を、壊さないように、けれど二度と離さないという意志を込めて、強く、強く抱きしめた。


「……凪、泣きすぎだ。……顔がぐちゃぐちゃだぞ」


「……だって、だってぇ……! みーくんが、あんな顔して……『愛してる』なんて……っ! 夢じゃないよね? 明日になったら、また元の関係に戻れなんて言わないよね……っ?」


凪は湊のシャツを握りしめ、顔を真っ赤にして見上げた。涙で濡れた長い睫毛が、街灯を反射して宝石よりも美しく輝いている。


「……言わない。……二度と言わない。俺は、俺の残りの人生全部、お前を愛するために使うって決めたんだ」


湊は、凪の涙を指先で丁寧に拭い、そのまま彼女の額に、そしてまぶたに、慈しむような口づけを落とした。

 凪は再び「う、うわぁぁん……っ」と声を上げて湊の首にしがみついた。


「……思い知ったか。……俺が、どれだけお前を欲しがってるか」


「……うん、うん……っ! 思い知ったよ……! 私も、私も……みーくんがいないと、もう息もできないんだから……っ!」


17歳の誕生日の夜。

 「元義兄妹」という、二人を守り、同時に縛り付けていた透明な鎖が、今この瞬間、跡形もなく砕け散った。


代わりに指に宿ったのは、サファイアの深い青。

 それは、夜の暗闇よりも深く、どんな嵐にも揺るがない、嘘偽りのない愛。


「……大好き。……大好きだよ、湊……!」


凪の震える声が、湊の心臓に直接、永遠の楔を打ち込んだ。


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