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デート

日曜日の朝。昨夜までの雨上がりの湿り気は完全に消え去り、五月の陽光が暴力的なまでの眩しさで世界を塗りつぶしていた。


湊は、普段よりも少しだけ時間をかけて身支度を整えた。クローゼットから出したのは、千尋に以前「あんた、たまにはまともな格好しなさいよ」と半ば強制的に選ばされた、ネイビーのサマーニットと細身のスラックスだ。鏡の中の自分は、どこにでもいる「休日を楽しむ高校生」に見えた。だが、そのポケットの奥には、昨日から入れっぱなしの「金色のパッケージ」と、来週の誕生日のためのメモ帳が、重い現実として鎮座している。


「みーくん、お待たせ!」


リビングの扉が開くと同時に、春の突風が吹き込んだような錯覚を覚えた。

 そこに立っていたのは、湊がこれまで一度も見たことのない凪だった。

 淡いピスタチオカラーのシアーブラウスに、アイボリーのロングスカート。柔らかな素材が彼女の細い肢体をなぞり、動くたびに光を反射して、彼女の肌をより白く、透明に見せている。


「……どうかな? ちょっと背伸びしすぎ?」


凪がスカートの裾を少し持ち上げ、その場でくるりと回る。湊は言葉を失った。五年前の「妹」の面影はどこにもない。そこにいるのは、道ゆく人々が思わず振り返るであろう、完成された美しさを持つ一人の女性だった。


「……いや。すごく、似合ってる。綺麗だ、凪」


湊が本心を口にすると、凪は頬を林檎のように赤らめ、はにかむように笑った。

 その笑顔を守るためなら、世界を敵に回してもいい。改めてそう確信した湊は、凪の手をそっと取り、玄関へと向かった。


駅へ向かう道すがら、街は休日を楽しむ人々で溢れていた。

 湊と凪は、数歩の間隔を空けて歩く。学校付近では、万が一クラスメイトに見られた際、あくまで「偶然会った幼馴染」という体裁を保つためだ。だが、駅の改札を抜け、目的地である少し離れた大都市の繁華街に降り立った瞬間、その距離は魔法が解けたように消失した。


「……ここでは、いいよね」


凪が湊の腕に、そっと自分の腕を絡める。人混みの中、彼女の体温がダイレクトに伝わってくる。湊はその熱を拒むことなく、むしろ自分からも彼女を近くへ引き寄せた。

 巨大な駅ビル、立ち並ぶブランドショップ、巨大なビジョンから流れる流行の音楽。すべてが自分たちを祝福しているような、そんな錯覚さえ抱く。


「まず、どこから行こうか」


「あのね、さっき言ってたショップも気になるけど……まずはみーくんの好きなところに行きたいな。私、みーくんが何に興味があるのか、もっと知りたいの」


「俺はいいよ。今日は、お前のための日だ」


「じゃあ……あそこ! あの雑貨屋さんに行きたい!」


凪が指差したのは、洗練された生活雑貨を取り扱うセレクトショップだった。

 店内に入ると、アロマの香りが鼻をくすぐる。凪は目を輝かせながら、一つ一つの商品を丁寧に見て回った。


湊はこの瞬間から、自分に課した「極秘任務」を開始した。

 彼女が何に足を止め、何を手に取るか。それを、網膜に焼き付けるように観察する。


凪は、シンプルなセラミックのマグカップを手に取った。

「あ、これ、お揃いで使ったら可愛いかも……」

 独り言のように呟く彼女。湊はメモ帳を取り出したい衝動を抑え、脳内の「凪・現在好みリスト」に【ペアのマグカップ:興味あり】と書き加えた。


次に彼女が足を止めたのは、フレグランスのコーナーだった。

 数種類のテスターを試し、「これは甘すぎるかな」「こっちはちょっと大人っぽいかも」と楽しそうに迷っている。やがて、彼女がある小瓶の前で動きを止めた。

 それは、シトラスの中に微かなウッディさが混ざった、清潔感のある落ち着いた香りだった。


「……これ。みーくんから、こんな香りがしたら素敵だなって思う」


凪がテスターの紙を湊の鼻先に近づける。

 【香りの好み:清潔感、ユニセックス系】。これもチェックだ。


一軒目のショップを出た後、二人はファッションフロアへと移動した。

 ここは、来週の誕生日プレゼントのメイン候補である「アクセサリー」や「服」の好みを測る、最重要局面だ。


凪はいくつものブティックを覗き、鏡の前で服を当てては、湊に意見を求めた。

「こっちのブルーと、さっきのベージュ、どっちがいいと思う?」

「凪なら、ブルーの方が瞳の色が綺麗に見える」

「本当? じゃあ、これにする!」


彼女の選択は、かつての「可愛い」一辺倒から、明らかに「湊の好みに合わせたい」という指向へとシフトしている。その献身的なまでの愛情が、湊の胸を締め付ける。


そして、二人はついに、凪が土曜日にチェックしていたアクセサリーショップの前まで来た。

 ショーウィンドウの中には、繊細な細工が施された金や銀のジュエリーが、宝石のような光を放っている。


「……綺麗だね」


凪がガラス越しに、ある一点を見つめていた。

 それは、小さな一粒のサファイアをあしらった、華奢なプラチナの指輪だった。サファイアの深い青は、湊のニットの色と重なっている。


「……つけてみるか?」


「えっ、いいよ! 高いし、今日は見るだけで……」


「いいから。見るだけならタダだ」


湊は凪を促し、店内に足を踏み入れた。上品な店員が恭しく微笑み、そのネックレスをトレイに出してくれる。

 凪は震える手でそれを指にはめた。

 その瞬間、青い石が静かに、けれど強く輝きを放った。


(……これだ)


湊は直感した。

 五年前はおもちゃの指輪で満足していた彼女。でも今は、この本物の輝きが彼女にふさわしい。


「……やっぱり、やめておくね。ちょっと、今の私には勿体ない気がするから」


凪は寂しそうに微笑み、トレイに指輪を戻した。

 今日見たほかの物と比べて興味ないといったような言い方だった。

 だが、その瞳に一瞬だけ宿った、未練に似た光。湊はそれを見逃さなかった。



ランチタイム。

 二人は駅ビルの最上階にある、テラス席のあるカフェに入った。

 眼下には、ジオラマのように小さくなった街の景色が広がっている。


「……ねえ、みーくん。今日、すごく楽しい」


運ばれてきたパスタを頬張りながら、凪が幸せそうに言った。


「最近、ずっと怖かったんだ。ずっと一緒って一いてくれたけど学校ではあんなに遠くにいて、家でも勉強ばっかりで……。みーくんが、私のこと、ただの『保護対象』としてしか見てくれてないんじゃないかって」


「……そんなわけないだろ」


「わかってる。わかってるけど……。今日、こうして手を繋いで、一緒に買い物して……。ああ、みーくんはちゃんと私のことを『女の子』として見てくれてるんだなって、やっと安心できたの」


凪の手が、テーブルの上で湊の手に重なる。

 その細い指には、まだ何も飾られていない。


「……凪。来週、覚悟しておけよ」


「え……?」


「お前が生まれてきたことを、俺が誰よりも感謝してるってこと。……ちゃんと思い知らせてやるから」


湊の真っ直ぐな言葉に、凪は目を見開き、やがてポロポロと大粒の涙をこぼした。

「……もう、みーくんは。……ご飯中なのに、泣かせないでよ」


彼女は慌ててハンカチで目を拭ったが、その表情は、この上なく幸せな色に満ちていた。


「泣くの早すぎ……。来週まで取っておいてくれよ……」


「……うんっ!」




デートまだ続きます

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