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デート前夜

最強の共犯者たちに見守られて過ごした一週間が幕を閉じた。

 校門を出る際、涼に「羽目外しすぎるなよ」と背中を叩かれ、千尋には「凪をちゃんとエスコートしなさいよ」と目配せをされた。そのすべてが、今の湊にとっては心地よい義務のように感じられた。


帰宅後のマンション。

 夕食を終え、リビングのソファで並んで参考書を開いていると、ふと凪がペンを止めた。


「……ねえ、みーくん。この一週間、なんだか不思議だったね」


凪が湊の肩に頭を預けてくる。イチゴの香りが、ふわりと湊の鼻を掠めた。


「ああ。……涼や千尋のおかげだな。あいつらがいなかったら、俺たちは今頃もっと……追い詰められていたかもしれない」

「うん。……でも、だからかな。私、なんだかすごく贅沢になっちゃったみたい」


凪が湊のシャツの袖を、所在なげに指先で弄る。


「……学校でも、家でも、みーくんと一緒にいられる。それだけで幸せなはずなのに。……二人だけで、もっと『普通』のことがしたくなっちゃった」


湊は、凪のその言葉を待っていた。

 来週の土曜日は、凪の誕生日だ。五年前、一緒にお祝いすることが叶わなかった、失われた時間の中にある大切な日。


(プレゼント……何が喜ぶんだろうな)


昔の凪なら、可愛いリボンのついた文房具や、流行りのキャラクターグッズを欲しがった。だが、今の凪は違う。湊の知らない五年という空白を経て、彼女の好みは、より大人びて、けれどどこか脆さを孕んだものへと変わっている。


「調査」が必要だ。彼女の今の「好き」を、もっと深く知るための時間が。

 そして何より、誕生日の当日に、自分たちの関係を一歩進めるための「準備」としての時間が。


「……凪。土日、暇か?」


湊が唐突に切り出すと、凪が驚いたように顔を上げた。


「……えっ? 暇だよ? 勉強するでしょ?」

「勉強も大事だが、たまには息抜きも必要だろ。涼にも言われたしな」


湊は少し照れくさそうに視線を逸らし、手元の単語帳を閉じた。


「……日曜日に、出かけないか。二人で」

「……え。それって、デート……?」


凪の瞳が、みるみるうちに輝きを帯びていく。その純粋な喜びに、湊の胸がチクリと痛んだ。


「ああ。……買い物とかいかないか?」

湊の問いに、凪は弾かれたように身を乗り出した。その勢いで、預けられていた重みが湊の胸元に深く沈み込む。


「ショッピング行きたい! 春から夏の服も欲しいし……それに、みーくんと一緒に街を歩きたいの。普通の、どこにでもいる恋人みたいに」


「恋人みたいに」という言葉が、静かなリビングに甘く、重く響いた。

 湊はわずかに息を呑んだが、すぐに凪の頭を優しく撫で、その願いを肯定するように頷いた。


「わかった。日曜日はショッピングに行こう。……その代わり、明日の土曜日はきっちりノルマ分まで勉強だ。いいな?」


「……うん! 約束!」


凪は満面の笑みを浮かべ、湊の指に自分の小指を絡めた。その熱が、湊の決意をさらに強固なものにする。来週の誕生日のため、そして、彼女という存在を永遠に繋ぎ止めるための「調査」が、ここから始まる。




土曜日の朝、湊は珍しく目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。

 カーテンの隙間から差し込む五月の陽光はどこまでも透き通っており、予報通りの快晴を告げている。本来ならすぐにでも飛び出したいような天気だが、今日の二人は、昨夜の約束通りリビングのテーブルに向かい合っていた。


「……みーくん。ここ、因数分解がどうしても合わないんだけど」


凪が少し眉をひそめてノートを差し出す。

 湊はペンを置き、彼女の隣に椅子を寄せた。


「ここは先にこっちの項をまとめるんだ。……ほら、こうすれば簡単だろ?」

「あ……本当だ。みーくん、教えるの相変わらず上手だね」


感心したように微笑む凪の横顔を、湊は静かに見つめた。

 勉強に集中する彼女の横顔は、以前よりもずっと大人びている。五年前の彼女なら、すぐに飽きて「お腹空いた」と甘えてきたはずだ。だが今の凪は、湊の教えを吸収しようと、真剣にペンを走らせている。


(……やっぱり、変わったんだな)


湊は、その変化を一つ一つ胸に刻み込んでいく。

 昼食を挟み、午後になっても二人の集中力は途切れなかった。明日の日曜日に「完全な解放」を味わうための、言わば前払いの努力。


夕方になり、オレンジ色の光が部屋を満たし始める頃、凪がようやく「終わったー!」と両手を高く上げて伸びをした。


「ノルマ達成! これで明日は、後ろめたさゼロでお出かけできるね」


凪はそのまま湊の椅子にすり寄り、スマートフォンの画面を見せてきた。


「ねえ、明日行く駅ビルのショップ、チェックしてたんだけど……。このお店、最近すごく人気なんだって。みーくん、どう思う?」


画面には、シンプルながらも洗練された、少し背伸びをしたデザインのアクセサリーが映っていた。


「……凪に似合いそうだな。落ち着いた色が」

「本当? ……じゃあ、明日ここも行こうね」


凪は嬉しそうに画面をスクロールさせていく。湊はその指先の動きを追いながら、頭の中のノートにメモを書き込んだ。

 彼女が好むブランド。目に留める色。そして、一瞬だけ視線が停滞した、少し高価なネックレス。


明日のショッピングデートは、ただの娯楽ではない。

 来週の土曜日――彼女がこの世に生を受けた日に、湊が「兄」としての仮面を脱ぎ捨て、一人の「男」として彼女をに告白する。そのための、最も重要なリサーチだ。


「生まれてきてくれて、ありがとう」


心の中で繰り返すその言葉に、湊の胸が熱くなる。

 夜、眠りにつく前、凪は湊の寝室のドアを少しだけ開けて、ひょっこりと顔を出した。


「みーくん。明日の服、もう決めたから。楽しみにしててね」


「ああ。おやすみ、凪」


「おやすみなさい、みーくん」


パタン、とドアが閉まる。

 静かになった部屋で、湊は天井を見つめた。

 明日の日曜日、街の喧騒の中で、自分たちは「普通の高校生」のふりをして、世界で一番深い秘密を共有しながら歩くのだ。

 そしてその先に待つ、凪の誕生日。


静かな土曜日の夜が、決戦前夜のような緊張感を伴って、ゆっくりと更けていった。

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