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共有された彩り


 四限目の終了を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、教室内は一気に喧騒に包まれた。

 湊は、午前中の四時間を耐え抜いた疲労感を隠すように、静かに教科書を鞄へ滑り込ませた。背後からは、凪が友人たちと楽しげに談笑する声が聞こえてくる。普段通りの、どこにでもある光景。だが、湊が席を立とうとしたその時、背中に柔らかい声がかけられた。


「湊くん、涼くん。もしよかったら、これから一緒に中庭でご飯食べない?」


 振り返ると、凪が千尋の手を引いて微笑んでいた。

 その提案に、湊の隣で弁当を広げようとしていた涼が、目を輝かせて食いついた。


「おっ、凪ちゃんからの誘い? 断る理由がねえな! なあ、湊もいいだろ?」

「……俺は、一人で食べる方が落ち着く」

「固いこと言うなよ、せっかくの昼飯だぜ。ほら、行くぞ!」


 涼の強引な腕力に引きずられる形で、湊は中庭へと向かうことになった。

 陽光が降り注ぐ中庭のベンチ。四人が向き合って座ると、そこには奇妙な均衡が生まれた。湊の正面には凪、涼の正面には千尋。


 湊は、自分の質素な黒いタッパーを無言で開けた。

 中身は、昨夜の残りの肉じゃがだ。湊が一人で仕込んだものだが、今朝、凪が「彩りに」と半ば強引に、独特の切り方をしたブロッコリーと、ハート型に型抜きされた人参を詰め込んだものだ。


 続いて、凪が持参したピンク色の可愛らしい弁当箱が開かれる。

 その瞬間、湊の心臓がどくりと嫌な音を立てた。


「わあ、凪の弁当、今日も美味しそう。……ん?」

 千尋が身を乗り出して凪の弁当を覗き込み、そのまま視線を隣の湊のタッパーへと移した。


 凪の弁当箱の中に鎮座しているのは、湊のタッパーに入っているものと寸分違わぬ、照り色の濃い肉じゃが。そして、その横に添えられた、あの独特な切り方のブロッコリーと、全く同じ形のハートの人参。


「へえー、湊。お前の弁当、意外と女子力高えじゃん。その人参、ハート型だぜ?」

 涼がゲラケラと笑いながら湊のタッパーを指差す。

「……残り物だ。適当に詰めただけだ」

「残り物って、お前これ……」

 涼はまだ、決定的な「一致」には気づいていない。彼はただ、湊という「堅物」がハート型の人参を食べているという事実を面白がっているだけだった。


 しかし、宮前千尋は違った。

 彼女は凪が「元義理の兄」を想い続けていることを知っている。そして、二人が今「ただの幼馴染」として振る舞っていることも知っている。その彼女の目から見れば、この弁当の一致が何を意味するかは、もはや火を見るより明らかだった。


「ねえ、凪。その肉じゃが……。湊くんのと、随分似てるね」

 千尋の声は、どこか氷のように冷ややかだった。


「あ、えっと……! これ、昨日のテレビでやってたレシピで作ったの。ね? 湊くんもそれ見たんだよね?」

「……うぐっ!」

 凪が慌てて湊に話を振る。だが、湊は最悪のタイミングで口の中に肉じゃがを放り込んでおり、即座に合わせることができなかった。

 

 沈黙が流れる。

 涼だけが「なんだ、流行りのレシピか。俺も今度母ちゃんに作ってもらお」と、脳天気に自分の唐揚げを頬張っている。


 千尋は箸を置き、じっと凪を見つめた。

「凪。弁当は一人分だけ作ったの?」

「えっと……」

「湊くん、ほんとに自分で作ったの?それとも……」


 千尋の言葉の裏にある「それとも、作ってもらったの?」という問いを、湊は敏感に感じ取った。

 背筋に嫌な汗が流れる。

 おそらく千尋は二人がただの幼馴染ではなく元義兄妹であることに気づいている。中学時代の親友である千尋には兄について話していたそうだ。そのため俺が凪の元義兄であることにはほぼ確信を持っているだろう

 何も知らない涼は、この会話の不穏な空気を「女子特有のいざこざ」程度にしか捉えていない。だが、湊にとって、千尋の視線は拷問に等しかった。


(……まずい。千尋には完全に勘付かれた)


 凪も自分の失策に気づいたのか、顔色が急速に赤らんでいく。

「違うの、千尋! これは、たまたま……!」

「たまたまで、具材の切り方まで一致するわけないでしょ。特にその、ブロッコリーの茎の削ぎ方」

 千尋は逃げ道を塞ぐように指摘を重ねる。


「おいおい、千尋。そんなに詰め寄るなよ。凪ちゃんが可愛そうだろ」

 涼がようやく異変を察して口を挟むが、それは湊たちを助けるためではなく、単にその場の空気を和らげようとしてのことだった。

「湊も、なんか言えよ。お前ら、そんなに怪しまれるようなことしてんのか?」

「……していない。偶然だと言っているだろ」




 動揺した凪が、自分の心を落ち着かせるためか、あるいは湊への執着を誇示するためか、湊の脛を自分の靴でぎゅっと踏みしめてきたのだ。


(……凪、いい加減にしろ)

 湊は机の上では無表情を貫きながらも、机の下では凪の足を必死に押し返そうとする。

 二人の間で繰り広げられる、静かな、しかし激しい攻防。

 その様子を、千尋の鋭い視線が見逃すはずがなかった。彼女は二人の足元の動きを察し、確信を得たように小さくため息をついた。


「……わかったわ。二人がそこまで『偶然』だって言い張るなら、そういうことにしてあげる。……でも凪、あとで私の席に来てね。ちょっと聞きたいことがあるから」


 千尋の言葉は、最後通告のようだった。

 凪は視線を伏せ、「……うん」と小さく呟いた。


 涼はそんな二人のやり取りを不思議そうに眺めながら、残りの白米を一気に掻き込んだ。

「なんだよ、湿っぽいなあ。ほら、湊。午後の体育、サッカーだろ? お前、運動そこそこなんだから、俺にパス回せよな!」

「……善処する」


 昼休みの終わりを告げる予鈴が、中庭に響き渡る。

 湊は、食べ終わったタッパーに蓋をした。肉じゃがの味は、もう全く分からなかった。


 立ち上がり、教室へ戻ろうとする四人。

 湊のすぐ後ろを歩く凪が、誰にも聞こえないような小声で、絞り出すように囁いた。


「……ごめんね、みーくん。……でも、お揃いのもの食べたかったの」


 その声には、申し訳なさよりも、秘密を共有していることへの歪んだ悦びが混じっているように聞こえた。

 湊は振り返らなかった。

 前を行く涼の背中、そして横で凪を監視するように歩く千尋の横顔。

 

 千尋に隠すのは難しそうだな。

こうなったら涼にも話して協力してもらったほうがいいかもしれない。

こういう話題で涼は口は堅いし頼れる存在だ。


 過去の湊ならそんな選択はしないだろう。しかしここ数日で湊にもそんな変化が起こっていた。

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