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午睡の微熱

昼食を終えた後の、弛緩した時間。

 南向きの窓から差し込む陽光は、微細な埃をキラキラと反射させながら、フローリングの上に黄金色の道を作っている。外の世界では、土曜日を楽しむ家族連れの声や、遠くで鳴る車のクラクション、春の訪れを告げる鳥のさえずりが響いているはずだった。しかし、厚いコンクリートの壁に隔てられたこの部屋には、ただ時計の秒針を刻む音と、二人の静かな呼吸だけが満ちていた。


湊はソファの背もたれに身を預け、その腕の中に、すっかり落ち着きを取り戻した凪を抱いていた。

 凪の頭が、湊の胸のあたりに預けられている。細く、柔らかな髪が、湊の顎のあたりをくすぐった。時折、彼女が小さく鼻を鳴らしたり、湊のシャツの生地を指先で弄んだりするたびに、湊の心臓はわずかに跳ねる。それは、昨夜までの「狂おしいほどの絶望」とはまた違う、ひどく穏やかで、けれど五年前には決して許されなかった、親密な重みだった。


「……みーくん」

 凪が、湊のシャツのボタンを指先でなぞりながら、眠たげに声を漏らした。

「なんだ」

「こうしてるとさ……あの家で、こっそりお昼寝してたときのこと、思い出すね。……お母さんたちが買い物に行ってて、二人きりだったとき」


湊の記憶の底から、夏の湿った空気と、古い家の木の匂いが蘇る。

 まだ「兄妹」になって間もない頃。凪はよく、湊の部屋に枕を持って遊びに来た。二人で漫画を読み、宿題を教え合い、いつの間にか畳の上で重なり合うように眠ってしまった。あの頃の湊は、隣で眠る凪の睫毛の長さに、言葉にできない胸の疼きを感じていた。それが「恋」だと認めるには、彼はあまりに若く、そして「兄」という役割を忠実に守ろうとしすぎていたのだ。


同時に、湊は自分を律していた。「これは家族としての愛だ」と。

 だが、今の凪の言葉を聞いて、確信する。あの時、凪も同じ熱を感じていたのだ。お互いに「家族」という仮面を被り、その裏側で、壊れそうなほど繊細な恋心を育てていた。そして、それを口にできないまま、五年前に世界は引き裂かれた。


「……ああ。あったな。よく俺の部屋に勝手に入ってきてた」

「だって、みーくんの部屋、一番落ち着くんだもん。……あの時からずっと、私にとっての『お家』は、みーくんがいる場所だけだったんだよ。建物なんて、どこだってよかったの。みーくんの隣だけが、私の居場所だった」


凪が顔を少し上げ、湊の顎に自分の頭を擦り寄せた。

 猫のような、甘える仕草。かつてなら「やめろ」と頭を小突いていたはずの振る舞いも、今の湊には、彼女が自分の存在を確認するための切実な儀式のように思えた。彼女は今、五年前の続きをしようとしている。止まっていた時間を、この狭いワンルームの中で、一秒ずつ動かそうとしているのだ。


湊は、凪の細い指をそっと掴み、自分の大きな手の中に収めた。

 五年前、自分たちは確かに想い合っていた。言葉にはしなかったが、お互いに向ける視線の熱、不自然に避けてしまう指先、他の異性の話題が出たときの妙な沈黙。それらすべてが、歪な恋の証だった。

 そして今、その恋は「共依存」という盾を得て、ようやく自由に呼吸を始めている。義兄妹という障壁は、皮肉にも家庭の崩壊によって取り払われた。今の彼らを縛るものは何もない。あるのは、共依存という名目で結ばれた、逃げ場のない絆だけだ。


(……急がなくていい)

 湊は、自分の内側に湧き上がる微かな熱を、ゆっくりと鎮めるように息を吐いた。

 今すぐに彼女のすべてを奪いたいという、衝動に近い欲望がないわけではない。だが、それよりも、五年間奪われていた「隣にいること」の尊さを、一分一秒、噛みしめるように味わいたかった。一足飛びに男女の関係になるよりも、今はこうしてお互いの体温を交換し、心が、魂が、確かに繋がっていることを再確認するプロセスが必要だった。


「凪。……眠いなら、寝てていいぞ。どこへも行かないから」

「……寝たくない。寝たら、またみーくんがいなくなっちゃいそうで……。目が覚めたら、またあの冷たい学校の教室に一人で座ってるんじゃないかって、怖いの」

「ここにいる。……俺も、どこにも行かない。朝までずっと、ここにいる」


湊は、空いた方の手で凪の背中を、赤子をあやすようにゆっくりと叩いた。ポン、ポン、と一定のリズム。それは凪の不安な心拍に寄り添い、彼女を安らぎへと誘う子守唄のようだった。

 凪は安心したように目を閉じ、湊の腕の中で完全に身体の力を抜いた。


共依存。それは一般的には「悪いこと」とされる関係だ。

 お互いがお互いなしでは生きていけなくなり、外界を遮断し、閉じた世界で二人だけで腐敗していく。社会から見れば、それは破滅へのカウントダウンかもしれない。

 だが、今の二人にとって、その「閉じられた世界」こそが、五年間待ち望んだ唯一の楽園だった。

 兄妹という障害がなくなり、けれど「支え合う」という絶対的な名目がある。このいびつな環境は、二人の恋心を守り、育むための、最も強固なシェルターになっていた。誰に許されなくてもいい。ただ、この腕の中の熱が、互いの存在を肯定していれば。


凪が再び、うつらうつらと夢の世界へ足を踏み入れ始めた頃。

 湊は彼女の額に、自分の頬をそっと寄せた。彼女の柔らかな肌から、懐かしい陽だまりのような匂いがする。

 まだ、それでいい。

 今はまだ、お互いの存在がここにあることを、静かに、深く、骨の髄まで染み込ませていく時間だ。


カーテンから漏れる光の色が、黄金色から、次第に柔らかな橙色へと変化していく。

 二人の時間は、外の世界の喧騒とは違う速度で、濃密に、そしてひどく優しく流れていた。

 かつての「義兄妹」という、重すぎる殻を一枚ずつ剥がし、一人の人間として、そして一人の男と女として向き合う。

 その日は、そう遠くないことを確信しながら、二人は静かな午睡の淵で、ただ深く寄り添い続けていた。


湊は、凪の寝顔を見つめながら思った。これから先、どんな困難が待ち受けていても、この温もりだけは手放さない。いや、手放すことができない。それはもはや選択ではなく、血を分かち合うよりも深い、魂の不可逆的な融合なのだと。


夕暮れの気配が部屋の隅々に忍び寄り、二人の影を一つに溶かしていく。

 静かな呼吸の音だけが、二人の生きている証として、未明の嵐を乗り越えた部屋に、優しく響き続けていた。

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