# 第91話 薬棚と影
サーラの診療所には、鍵のかかる薬棚が増えた。
咳止め胞子。
眠れる薬。
偽薬から回収した粉。
誰に渡したかを書く帳面。
薬棚が増えると、患者は少し安心する。
だがサーラは安心しなかった。
薬棚の横に、黒い影が立っていたからだ。
モルデである。
「そこに立つな。患者が怖がる」
「窓の外の男は偽薬の運び屋だ」
「だからって診療所で影みたいに立つな」
「影だ」
「そういう意味じゃない」
サーラは割れ眼鏡を押し上げた。
目の下には疲れがある。
だが手は正確だった。
小袋を一つ取り、量を確かめ、名前を書き、棚へ戻す。
モルデはその手元を見ていた。
「誰にどの薬を出したか、写しが欲しい」
「駄目だ」
サーラは即答した。
「患者の記録だ。暗殺者の帳面じゃない」
「偽薬の流れを追える」
「追えるだろうね」
「不安の芽も見える」
「そこが嫌なんだよ」
診療所の外で、子どもが咳をした。
母親が背中をさすっている。
サーラの目が一瞬だけそちらへ動いた。
モルデも見た。
同じものを見ている。
だが見え方が違う。
サーラには患者に見える。
モルデには、偽薬の被害者候補に見える。
どちらも間違っていない。
だから厄介だった。
「あんたは、人を先に疑う」
サーラが言った。
「疑わなければ死ぬ」
「私は、先に診る」
「診ている間に売人が逃げる」
「逃がしたくないのは同じだよ」
そこで二人は黙った。
同じ。
その言葉だけは本当だった。
偽薬を減らしたい。
眠れない子どもを減らしたい。
泣く家族を減らしたい。
目的は同じ。
やり方が違う。
モルデは懐から一枚の札を出した。
偽薬の印。
安い赤い染料で描かれた花の形。
「この印がついた袋を見たら、棚に入れる前に知らせろ」
「患者名簿は渡さない」
「要らない」
「本当に?」
「今は」
サーラは嫌な顔をした。
「今は、って言うやつは信用できない」
「信用しなくていい。使え」
モルデは札を薬棚の横へ置いた。
サーラはしばらくそれを見た。
それから、紙を一枚取り出した。
偽薬の印。
見つけた場所。
持ち込んだ者の外見。
患者名は書かない。
そういう欄を作った。
「これなら出す」
「足りない」
「これ以上は出さない」
モルデは短く黙った。
影が考えているようだった。
「分かった」
サーラは少し驚いた。
「引くのかい」
「シロに殺す前に報告しろと言われた」
「それ、殺す気はあるって意味だね」
「ある」
「正直すぎる」
サーラはため息をついた。
だが紙は破らなかった。
偽薬の印は、薬棚の横に貼られた。
患者名簿は守られた。
偽薬の流れは追えるようになった。
医療と監視の間に、細い線が引かれた。
線は細い。
だが、ないよりはましだった。




