# 第9話 騎士団の報告書
若い騎士は、三日かけて砦へ戻った。
靴は片方なかった。鎧は泥だらけで、剣は失っていた。頬はこけ、目の下には黒い影がある。
門番は最初、彼だと分からなかった。
「調査隊はどうした」
詰所で、上官が聞いた。
若い騎士は水を飲もうとして、手を震わせた。木の杯が机に当たり、かつんと音を立てる。
「森に……」
「森に?」
「キノコがいました」
部屋が静かになった。
次の瞬間、誰かが笑った。
「キノコ?」
「お前、逃げ帰ってきて冗談か」
若い騎士は唇を噛んだ。言われると思っていた。自分でも馬鹿みたいだと思う。
だが、見たのだ。
靴が腐った。
剣が崩れた。
火を食った。
隊長が泥に沈み、白い糸に包まれた。
そして最後に、森の奥で骨が膝をついた。
「キノコが、隊長を……」
「もういい」
上官がため息をついた。
その顔を見て、若い騎士は分かってしまった。
この人は信じない。
信じないまま、報告書だけ整える。
会社の会議でも、たぶん同じことが起きる。現場が危ないと言っても、上は数字が足りないと言う。問題が起きてから、なぜ報告しなかったと怒る。
若い騎士は、そんな会社を知らない。
だが理不尽の形は同じだった。
「報告書には、魔獣の群れによる襲撃と書く」
上官が言った。
「キノコなどと書けるか。士気に関わる」
魔獣なら分かる。
爪があり、牙があり、火で追える。
兵に説明できる。上にも出せる。次の討伐計画も立てられる。
キノコに隊が負けたとは書けない。
書けないものは、存在しないものとして処理される。
「ですが、本当に」
「黙れ」
短い命令だった。
若い騎士は黙った。
机の上に、彼が持ち帰った兜が置かれていた。隊長のものだ。内側には、薄い白い膜が張っている。
上官はそれに気づかない。
若い騎士だけが、その白い膜を見ていた。
膜が、ほんの少し動いた気がした。
夜、砦の倉庫で、白いカビが広がった。
最初は兜の内側。
次に革紐。
それから木箱。
干し肉の端。
翌朝には、倉庫番の爪の間。
昼には、食堂の扉の取っ手。
夕方には、上官が封をした報告書の紙の端。
麦袋の縫い目。
田中の菌糸ではない。
まだ細く、弱い、胞子の残り香のようなものだ。
だが、情報は戻ってきた。
砦の位置。
兵の数。
倉庫の食料。
上官の声。
報告書の内容。
田中は森の中で、それを受け取った。
報告書には、魔獣の群れと書かれていた。
白い膜のことはない。
火を食ったこともない。
骨が膝をついたこともない。
田中はしばらく黙った。
侮られている。
そして、その侮りの形が分かった。
相手は、まだ「キノコに負けた」と認められない。
騎士を一人逃がした結果、砦の情報が手に入った。
報酬としては大きい。
そう思った自分に、少し嫌な気分になる。
だが情報は必要だった。
動けない自分にとって、外の情報は足になる。目になり、地図にもなる。
カトラスが傍らに膝をつく。
ひび割れた兜の奥で、白い胞子が揺れている。
「王よ。追撃の許可を」
「まだいい」
田中は答えた。
「向こうがどう動くか見る」
カトラスは深く頷いた。
「敵に準備の時間を与え、絶望を深める。御意」
「違う。様子見」
「御意。絶望の熟成」
「違うって」
少しだけ笑いそうになった。
その直後、砦の倉庫で兵士が白いカビを見つけ、悲鳴を上げた。
笑いは止まった。
田中は理解した。
逃がした一人は、警告であり、種でもあった。
自分がそう意図したかどうかに関係なく、結果はそうなっている。
森の外へ、マイコニアはもう届き始めていた。
しかも砦の中では、まだ誰もそれを侵入だと呼べなかった。
ただのカビ。
ただの汚れ。
ただの報告書の染み。
その三つが同じものだと気づく頃には、砦はもう森の外ではなくなっている。




