# 第80話 眠れる薬
サーラは鎮静胞子を「眠れる薬」と呼んだ。
その名前なら患者が怖がらない。ジルバの手下が売る妙な粉とも違って聞こえる。
診療所の壁に、サーラは紙を貼った。
咳が止まらない人。
不安で眠れない人。
発作で体がこわばる人。
少量のみ。医師の前で使うこと。
「文字が読めない人もいます」
シロが言う。
サーラは割れ眼鏡を押し上げた。
「だから絵も描いた。月と布団と匙」
確かに分かりやすい。
シロは少し感心した。こういう具体化は大事だ。難しい説明より、月と布団と匙のほうが伝わる。
最初の患者は、夜に叫ぶ老人だった。
戦争で息子を失い、夜になると門を叩く音が聞こえると言う。
サーラは匙の線を何度も確認し、少量だけ吸わせた。
老人の肩が落ちる。
「静かだ」
彼は呟いた。
「門の音が、遠い」
娘が口元を押さえた。
救われた顔だった。
シロは安心しかけた。
その直後、老人が続けた。
「税の文句も、もういいか」
サーラの手が止まった。
「お父さん、それは明日、文官に言いに行くって」
「疲れた。寝たい」
老人は目を閉じた。
部屋は静かになった。
良いことだ。
眠れなかった人が眠れた。家族も休める。怒鳴り声も消える。
だが同時に、税への怒りも少し眠った。
シロはその変化を菌糸で拾った。心拍が落ちる。呼吸が深くなる。怒りの熱も下がる。
薬としては成功。
社会としては、どうだ。
サーラが低く言った。
「これ、便利すぎる」
「はい」
「便利な薬は、偉い人が欲しがる」
「はい」
「あんたは渡すの?」
シロは答えに迷った。
渡さないと言えば嘘になる。
管理すればいい、と言いかけて、それが一番怖い言葉だと気づいた。
「今は、診療所だけです」
「今は、ね」
サーラは老人の毛布を直した。
娘が何度も頭を下げる。
報酬は、医療実績。
そして、不満が眠るという事実だった。




