# 第78話 影のモルデ
倉庫の灯りが一つ消えた。
風はない。
ジルバの護衛が剣に手を伸ばすより早く、梁から黒い布が落ちた。
いや、人だった。
細い体。音のない足。顔の下半分を布で隠し、目だけが暗い。
護衛の首元に短剣が当たる。
「動くな」
声は低いが、若い。
ジルバの笑顔が消えた。
「モルデ。俺の倉庫で何をしている」
「お前が新しい毒を街に入れると聞いた」
モルデ。
シロは名前を覚えた。
ゲーム知識では、影潜のモルデは都市イベントの裏ボスだった。
見つけるのが難しい。戦うと逃げる。仲間にするには、裏社会の依頼を逆手に取る必要がある。
掲示板では「面倒だが加入後の索敵性能が壊れ」と書かれていた。
目の前の本人は、壊れ性能というより、疲れた刃物に見えた。
都市イベントの説明文も思い出す。
妹分を偽薬で失い、裏商会を一つ潰した暗殺者。
だが次の月には、別の倉庫から別の偽薬が流れた。
だからモルデは、薬と倉庫と金の流れに異常なほど敏感になる。
人を殺せるのに、街を治せなかった男。
ゲームの短い文章では、そういう扱いだった。
「毒ではありません」
シロは静かに言った。
モルデの目がこちらへ向く。
「兵を眠らせた」
「殺さないために」
「眠らせれば殺せる」
「それはそうです」
否定できなかった。
眠りは救いにもなる。制圧にもなる。そこをごまかすと、たぶんこの相手には見抜かれる。
モルデは短剣を下げない。
「貧民街に何をする」
「咳を止める。眠れない人を眠らせる。下水を調べる」
「きれいな言葉だ」
「汚い話もします。記録を取ります。薬を飲んだ人の症状と、不安の変化も見る」
ジルバが小さく舌打ちした。
マルクも目を伏せる。
言わなくてもいいことだったかもしれない。
でもシロは、ここで嘘をつくのが嫌だった。
モルデの目が細くなる。
「不安を測るのか」
「反乱を防ぐため、になるかもしれません」
言った瞬間、自分でもぞっとした。
ただ病人を助けたい。
その言葉の横に、反乱予防が並んだ。
モルデは短剣をしまった。
「面白い」
「何が」
「正直な支配者は、嘘つきの善人より危ない」
褒められていない。
けれど、拒絶でもなかった。
影潜の暗殺者は、倉庫の暗がりに立ったまま言った。
「貧民街を歩くなら案内する。ジルバより安い」
ジルバが怒鳴った。
モルデは見もしなかった。
シロは少し迷い、頷いた。
都市の影が、こちらを見つけた。




