# 第76話 割れ眼鏡のサーラ
サーラの診療所は、薬草の匂いと古い汗の匂いがした。
棚は半分空で、寝台は足りない。床にも毛布が敷かれ、咳をする子どもが母親の腕にしがみついている。
医師サーラは袖をまくり、割れた眼鏡の奥からシロを見た。
「白い森の薬?」
「はい」
「兵を眠らせた森の薬ね」
声が冷たい。
シロは頷いた。
「眠らせる成分はあります。量を間違えると危ない。咳止めとして使うなら少量です」
「毒を薄めたと言えば薬に聞こえると思ってる?」
「思ってません」
サーラは少しだけ目を細めた。
怒っている。
だが、その怒りは正しい。
出所不明の白い粉を、貧民街の患者に使えと言われたら、まともな医師なら怒る。
シロは袋を開け、粉を皿に出した。
「まず自分で吸います」
シロは咳止め胞子を少し吸った。
分体には効き目が薄い。けれど、反応を見せるために胸を動かし、ゆっくり息を吐く。
「次に、希望者だけ。量はこの線まで」
木の匙に印をつける。
サーラは黙って見ていた。
その時、寝台の子どもが激しく咳き込んだ。母親が背中をさするが、咳は止まらない。
サーラの顔が揺れた。
疑いと焦りがぶつかる瞬間だった。
「副作用は」
「眠気。口の渇き。多すぎると深く眠ります」
「死ぬ?」
「この量なら死なせません」
「言い切るのね」
「はい」
シロは言い切った。
ここで曖昧にすると、医師は使えない。
サーラは母親へ向いた。
「試すかい。嫌ならやらない」
母親は子どもの汗ばんだ額を見た。
「眠れるなら」
その一言は重かった。
薬を吸わせて、少し待つ。
咳はすぐには止まらない。だが間隔が開いた。子どもの肩から力が抜け、やがて浅い眠りに落ちる。
母親が泣いた。
大きな声ではない。疲れ切った人間の、息が漏れるような泣き方だった。
サーラは割れた眼鏡を外し、目をこすった。
「薬代は」
「今日は試供です」
「明日は?」
鋭い。
シロは少し迷った。
「記録を取らせてください。症状、量、眠った時間。それが代金です」
サーラは嫌そうな顔をした。
だが断らなかった。
救いは、記録という形でマイコニアへ渡った。




