# 第75話 薄いパンの列
貧民街のパンは、紙みたいに薄かった。
石窯の前に列ができている。並んでいる人間の顔は、怒っているというより、怒る体力が残っていない顔だった。
女が銅貨を三枚出す。
パン屋は首を振る。
「四枚だ」
「昨日は三枚だった」
「小麦が上がった」
「子どもがいる」
「俺にもいる」
会話はそこで終わった。
女は薄いパンを一枚だけ買い、半分に割って子どもへ渡した。自分の分は、割れた端だけだ。
シロはその光景を見て、胸の奥が少し重くなった。
胸はない。
分体の中に心臓もない。
それでも、昔の昼休みを思い出した。給料日前、コンビニのおにぎりを一つだけ買って、水で流し込んだ日。あれよりひどい。
「保存キノコを出せば、列は短くできます」
ニコが小声で言う。
「ただで配ると商会に怒られます」
マルクが苦い顔をした。
「パン屋にも恨まれます。善意の無料配布は、街では商売敵を作ります」
面倒だ。
森なら、腹が減った者に食わせれば終わりだった。
都市では違う。食わせ方を間違えると、恨みまで増える。
シロは薄いパンの列を見ながら考えた。
食料は武器だ。
薬も武器だ。
値段も、配り方も、誰を通すかも、全部が政治になる。
「まず診療所へ」
「パンではなく?」
「病人から。医師を通せば、配給じゃなく治療食になる」
マルクの丸眼鏡が光った。
「なるほど。商売敵ではなく、医療支援」
言ってから、シロは少し嫌になった。
自分は今、人助けの抜け道を考えたのか。
それとも支配の入口を考えたのか。
たぶん両方だ。
路地の奥で、また咳がした。
薄いパンを持った子どもが、こちらを見ている。
シロは荷袋から小さな保存キノコを一つ出し、マルクに渡した。
「試供品として」
「誰に」
「診療所に」
子どもに直接渡したい気持ちはあった。
だが今は、街の仕組みを通す。
救うために、仕組みへ入る。
その一歩目が、薄いパンの列の横を通り過ぎることだった。




