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第5話 死色の剣聖

# 第5話 死色の剣聖


 それは、隊長の骨ではなかった。


 隊長の骨は、墓の前で膝をついたまま動かない。


 白い菌糸に支えられた、ただの骨だ。


 言葉もない。


 意志があるのかも分からない。


 田中はそれを見て、少しだけ安心した。


 さっきの卑怯な隊長が、いきなり忠臣になるよりは、まだ理解できる。


 問題は、森の奥にあった。


 白い菌糸が、古い甲冑へ触れていた。


 倒木の下。


 湿った土の中。


 そこに、別の騎士が埋もれていた。


 鎧は黒く錆びている。肩当ては割れ、胸甲には大きな裂け目があった。けれど、膝だけは地面についている。死んだ後も、誰かを守る姿勢のまま固まっていた。


 剣は折れていた。


 それでも柄からは、薄い魔力が残っている。


 田中の菌糸が触れた瞬間、土の奥に沈んでいた記録が流れ込んできた。


 名前。


 称号。


 傷。


 最後に見た炎。


【残留個体情報】

【帝国剣聖級】

【通称:死色の剣聖】

【個体名:カトラス】


 田中は固まった。


 剣聖。


 ゲーム時代にも、似た称号を見たことがある。


 強敵の名前だ。


 あるいは、イベントで一度だけ出てくる伝説級の味方。


 目の前の遺体がどちらだったのか、田中には分からない。


 ただ、隊長とは違った。


 この骨は逃げていない。


 部下を盾にしていない。


 誰かを守る形のまま、森に捨てられていた。


「……弔った方がいいよな」


 田中は菌糸を伸ばした。


 土を払う。


 折れた剣を拾う。


 甲冑の隙間に詰まった根を外す。


 人間の手なら時間がかかっただろう。だが菌糸は細かい。指よりも細く、針よりも多い。錆びた金具をほどき、骨を崩さないように支え、泥の中からゆっくり持ち上げる。


 その作業が、思ったより丁寧にできたことに、田中は少しほっとした。


 自分はまだ、死体を素材だけで見ていない。


 そう思いたかった。


 白い菌糸が、古い騎士の肋骨を通った。


 次に背骨。


 肩。


 指。


 折れた剣の柄。


 田中は、そこで止めようとした。


 止まらなかった。


 菌糸は弔いの形で伸びている。


 けれど同時に、体を動かす筋肉の代わりにもなっていた。


 古い騎士の指が、折れた剣を握った。


 甲冑が、ぎしりと鳴る。


 骨が立った。


 いや、立とうとして、一度膝をついた。


 田中の前に。


 頭を垂れる形で。


 普通なら悲鳴を上げる場面だ。


 田中も、かなり驚いた。


 ただ、その驚きの横で、別の感覚があった。


 使える。


 その一言が浮かんだ。


 嫌だった。


 嫌なのに、否定できなかった。


 動けない自分に代わって、歩ける手足がある。剣を持てる。森の外を見に行ける。敵が来た時、前に立てる。


 しかも、ただの骨ではない。


 伝説の剣聖の遺体だ。


 会社でいえば、いきなり退職済みの伝説的な先輩の業務ファイルが全部自分の部署に復活したようなものだ。


 いや、死体を業務ファイル扱いするな。


 田中は自分で自分に突っ込んだ。


 古い騎士が、かすれた音を立てた。


「……おう」


 声だった。


 田中の菌糸がびくりと震える。


「王……」


 骨の騎士は、兜を地面に擦りつけるように頭を下げた。


 王。


 誰が。


 田中は周囲を見た。もちろん誰もいない。湿った森と、小さな白い墓標と、動かない隊長の骨と、跪く剣聖の遺体だけだ。


「いや、俺は王じゃない」


 伝わったかは分からない。


 だが古い騎士は、さらに深く頭を下げた。


「死してなお、守るべき御身に巡り合いました」


 言葉が重い。


 重すぎる。


 田中は困った。


 この騎士が何者だったのか、詳しくは知らない。善人だったのか、英雄だったのか、帝国に使い潰された兵器だったのかも分からない。


 それでも、部下を盾にした隊長とは違う。


 膝をつく姿に、死んだ騎士道の形が残っていた。


 壊れた甲冑。


 兜の隙間から伸びる白い菌糸。


 折れた剣を支える骨の指。


 腐敗ではなく、長い時間の色。


 田中は表示をもう一度見た。


【個体名:カトラス】


「……カトラス」


 名前を呼ぶと、古い騎士は静かに震えた。


「死色の剣聖カトラス。この名、死涯をもって拝領し直します」


「重いな」


 田中の内心は、かなり引いていた。


 だがカトラスは幸せそうだった。顔はない。表情もない。それでも、白い胞子が兜の奥で柔らかく揺れていた。


 死体を大切にしたい。


 田中はそう思った。


 その曖昧な気持ちを、カトラスはまったく別の形で受け取ったらしい。


「王よ」


 カトラスが言った。


「死者にも役目を。死後も守るものを得られることこそ、真の弔いにございます」


 田中は、すぐに否定しようとした。


 違う。


 そういう意味じゃない。


 しかし言葉が止まった。


 もし、死んだ者が家族を守れるなら。


 もし、ただ腐るより、何かの役に立てるなら。


 それを望む人間もいるのではないか。


 考えてしまった時点で、田中は負けていた。


 小さな白い墓標が、森の中でまた一つ増えた。


 墓の前には、言葉を持たない隊長の骨。


 森の奥には、死してなお剣を抱くカトラス。


 弔い。


 資源。


 忠誠。


 三つの言葉が、湿った土の下で絡み合っていく。


 その中心で、カトラスは剣を抱くように膝をついたままだった。


 田中は直感した。


 この忠誠は、便利な道具ではない。


 止め方を間違えれば、人間の町より先に、自分の良心を斬る。


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