第32話 監査前の村
調査隊が来る前日、村は変にきれいになった。
道の泥がならされ、炊き場の鍋が磨かれ、白い木札の紐まで結び直されている。
やりすぎだった。
シロは村の広場で、磨かれすぎた鍋を見た。顔が映りそうだ。白い肌、黒い髪、古い外套。自分で見ても、少し怖い。
「普段通りでいいと言いました」
オルド村長は目をそらした。
「普段通りに、少し整えただけです」
「少し?」
炊き場の床まで洗われている。
普段はもっと土がついている。村の生活は、そんなに清潔ではない。薪の灰、泥、こぼれた粥、子どもの足跡。その全部が消えていると、逆に作り物に見える。
シロは前世の監査を思い出した。
偉い人が来る日にだけ貼られる安全ポスター。
その日だけ消える私物の段ボール。
いつもは壊れている備品が、なぜか新品に替わる。
来る側も、たぶん分かっている。
「少し汚しましょう」
オルド村長が目をむいた。
「汚す?」
「普段の村に見える程度に」
ニコが楽しそうに手を上げた。
「俺、できます」
「やりすぎない」
「難しいですね」
難しくない。
ニコは炊き場の端に少し灰を戻し、道の端に車輪の跡をつけた。村の女が、干していた布を一枚だけ曲がったままにする。老人が、戸口の薪をいつもの位置へ戻した。
村が、少し生き物らしくなった。
「これでいい」
シロが言うと、オルド村長はまだ不安そうだった。
「本当に、よいのですか」
「調査隊は、きれいな村を見に来るわけではありません」
「何を見に」
「森が危険かどうか」
オルド村長は黙った。
その答えは、楽ではない。
危険ではない、と言い切れないからだ。
森は危険だ。
火を食い、死者を歩かせ、地下で人の足音を聞く。
だが、村には食料があり、薬があり、道がある。
危険で、役に立つ。
それをどう見せるか。
丸眼鏡の商人マルクは、広場の端で品物を並べていた。
塩袋。
布。
針。
鍋。
乾燥キノコ。
滋養粉。
「商売を見せるのですか」
シロが聞くと、マルクは眼鏡を直した。
「はい。怖い森でも、品物が並んでいれば取引に見えます」
「取引に見える」
「ええ。怪物と村ではなく、売り手と買い手です」
うまい。
シロは少し感心した。
同じものでも、置き方で意味が変わる。
乾燥キノコだけなら怪しい。
塩や針と並ぶと、生活品になる。
白い粉だけなら薬物に見える。
咳で眠れた子どもが横にいれば、医療に見える。
「その子は出さない」
シロは言った。
マルクが少し驚く。
「効いた証になりますが」
「子どもを見せ物にしない」
言ってから、シロは自分で意外に思った。
戦略としては、出した方が強い。
薬の効果を見せられる。村人の感謝も伝わる。調査隊も強く出にくい。
だが、嫌だった。
前世でも、成功事例として社員を壇上に上げる会社があった。本人の生活より、会社の成果として扱われる感じが嫌だった。
村の子どもでそれをやりたくない。
マルクはしばらくシロを見て、静かに頷いた。
「分かりました。では、母親の言葉だけにしましょう」
「それなら」
カトラスはそのやり取りを聞いていた。
ひび割れた兜の奥で、白い胞子が揺れる。
「王は民を飾りにせぬ」
「大きく言わない」
「では小さく記録を」
「記録もしない」
ニコが笑った。
オルド村長も、少しだけ笑った。
その笑いで、村の空気が少し戻る。
調査隊を迎える準備は、戦支度ではなかった。
鍋を置く。
灰を戻す。
道を少しだけ汚す。
子どもを奥へ下げる。
菌騎士は森の影に待たせる。
そういう、小さな調整の集まりだった。
夜、村の鐘が風で鳴った。
シロは白い道標に触れる。
森の外の道から、まだ馬の足音はない。
明日来る。
シロは、本体の奥で静かに考えた。
これは戦闘前夜ではない。
監査前夜だ。
それなのに、胃が痛い気がした。
胃はない。
でも、痛いものは痛い。




