第28話 白い道標
森の道に、白い道標が立てられた。
木の杭に、菌糸を巻きつけただけの簡単なものだ。昼は白く、夜はぼんやり光る。村人には便利で、旅人には不気味だった。
シロは道標の前で、元盗賊たちに説明していた。
「道標から道標までの間で異常があれば、森に伝わる」
ニコが手を上げる。
「異常って、何ですか」
「大きな足音。血の匂い。火。悲鳴。馬車の横転」
「俺が転んだら」
「たぶん分かる」
「それも異常ですか」
「頻度による」
元盗賊たちが笑った。
ニコは不満そうだったが、場は和んだ。
シロは道標に手を触れた。白い手袋の下で、爪の隙間から細い菌糸が伸びる。道標の菌糸とつながると、周囲の音が薄く伝わってきた。
車輪。
鳥。
枯れ枝を踏む足。
遠くの川。
世界が、細い線で増える。
シロは少しだけ目まいを覚えた。
情報が多い。
便利だが、うるさい。
前世の通知音を思い出す。メール、チャット、社内掲示板、上司の呼び出し。全部を拾うと頭が壊れる。だから通知設定が必要だった。
「大きな異常だけ拾う」
シロは呟いた。
カトラスが近くで頷く。
「小さな異常は見逃しますか」
「全部見たら動けない」
「王の御心を煩わせぬため、一次選別を」
「そうして」
言った瞬間、また何かが制度になった。
カトラスは菌騎士小隊へ命じた。
「白標監視、第一段階。血、火、悲鳴、馬車転覆を優先」
シロは止めようとして、止めなかった。
必要だった。
必要なことほど、早く仕組みになる。
丸眼鏡の商人マルクは道標を見て、唇を曲げた。
「これはありがたい。夜道で迷わない」
「怖くないですか」
「怖いですよ」
マルクは即答した。
「ですが、迷って荷を失うよりはいい」
それも分かりやすい。
怖いが得。
不気味だが便利。
この森の評価は、だいたいそこへ落ち着き始めていた。
その日の午後、道標が初めて反応した。
小さな火の匂い。
街道脇で、マルクの護衛が煙草のような草を吸おうとしていた。火打石を打つ音が菌糸を震わせる。
シロは眉をひそめた。
火は全部だめではない。
だが、乾いた落ち葉のそばで火を使うのはまずい。
「止めて」
近くの元盗賊が走った。
「おい、そこで火を使うな!」
護衛がむっとした顔をする。
「なんだお前」
「森の作業員だ」
その言い方が少し誇らしげだった。
シロは意外に思った。
ニコは、いつの間にか自分の札を胸に出していた。盗賊だった頃の威圧ではない。仕事の印だ。
「鍋の火はいい。森の火は事故。そういう決まりだ」
護衛は鼻で笑いかけたが、白い道標がぼんやり光っているのを見て、火打石をしまった。
「気味が悪い森だ」
「でも道はいいだろ」
ニコが言い返した。
護衛は黙った。
馬車はぬかるみに沈まず進んでいる。文句を言いにくい。
これが便利さの力か。
シロは地下で考えた。
正論ではなく、実感。
火を使うなと言われても、人は反発する。
だが良い道を使っている最中なら、少し従う。
夕方、道標のそばに小さな看板が増えた。
丸眼鏡の商人マルクが書いたものだ。
鍋の火は料理。
森の火は事故。
字が読めない者のために、鍋と木の絵も添えてある。鍋には丸、木にはばつ。
「分かりやすい」
シロが言うと、マルクは満足そうに眼鏡を直した。
「商売では、読めない客にも伝える必要があります」
「助かります」
「こちらも助かっています。道が良いと、荷が壊れません」
マルクは白い道標を見た。
「ただ、これが増えると、森は道だけでなく人の動きも持ちますな」
「人の動き」
「誰がどこを通るか。それは金になります。軍にも、商会にも、領主にも」
シロは黙った。
道標は安全のために立てた。
だが安全のための情報は、取引にも戦争にも使える。
ゲームでもマップ情報は強かった。敵の湧き位置、巡回ルート、宝箱の復活時間。知っているだけで、勝率が変わる。
この世界では、マルクの馬車と兵士の巡回がそれに当たる。
白い道標が夜道に並ぶ。
村人は安心し、マルクは喜び、護衛は舌打ちする。
森は、黙って全部覚える。
その夜、シロは本体の奥で、通知を絞る感覚を覚えた。
血。
火。
悲鳴。
転覆。
それだけ拾う。
残りは流す。
人の生活が背景音になっていく。
少し迷ったが、止めなかった。
全部を聞くより、効率がいい。
三日後、マルクの帳面に新しい線が引かれた。
古い街道を避け、白い道標の並ぶ道を通る線だ。
一本の線が変わると、宿が変わる。荷の置き場が変わる。護衛の雇い方が変わる。
森は道を作っただけではない。
商人の地図を、少し書き換えた。




