第26話 砦の兵站係
砦の兵站係グレンは、悪人ではなかった。
ただ、疲れていた。
机の上には、湿った伝票が積まれている。麦袋の数、干し肉の不足、矢羽根の納期、馬の飼葉、兵士の咳。どれも命に関わるのに、上官は「気合で乗り切れ」と言う。
グレンは、丸眼鏡の商人マルクが持ってきた白い袋を見た。
「また怪しいものを」
「怪しいですが、効きます」
「怪しいものは、だいたいそう言う」
マルクは笑わなかった。
笑うには、グレンの顔色が悪すぎた。
「試すだけなら、損は少ない」
「損が少ないものほど、後で高くつく」
グレンはそう言いながら、袋を開けた。
中には乾燥キノコが入っている。
匂いは薄い。軽い。カビ臭さはない。
「保存食か」
「湯で戻せます。焼いても食べられる」
「毒は」
「私も食べました」
「マルクは毒でも売るだろう」
「毒なら二度目の取引に来ません」
グレンは疲れた顔で、少しだけ笑った。
それは正しい。
マルクは儲かる間は戻る。
死ぬ商売はしない。
砦の炊事場で、白い乾燥キノコが鍋に入れられた。
兵士たちは遠巻きに見ていた。誰も最初に食べたくない。そういう時に犠牲になるのは、たいてい下っ端である。
若い兵士が椀を持たされた。
「俺ですか」
「若いから回復が早い」
「それ、毒前提ですよね」
周囲が笑った。
笑いは軽い。だが目は真剣だった。
若い兵士は恐る恐る口に運ぶ。
噛む。
黙る。
「……肉っぽい」
「肉ではない」
「でも、腹にたまる」
それを聞いて、グレンの目が変わった。
味より、腹持ち。
軽さより、保存性。
グレンが見るのはそこだ。
翌朝、咳のひどい下働きに胞子湯を飲ませた。
夜、彼は寝た。
久しぶりに、朝まで。
グレンは寝台の横で、その寝息を聞いていた。ほっとした。少しだけだ。すぐにその安堵は計算へ変わる。
咳で寝られない者が減れば、朝の作業が遅れない。
食料が軽くなれば、馬の負担が減る。
馬の負担が減れば、飼葉が浮く。
飼葉が浮けば、次の便に矢を積める。
ひとつの白い袋が、伝票の山を少しだけ低くする。
それが分かった瞬間、グレンは嫌な汗をかいた。
「どこの品だ」
マルクに聞く。
「街道沿いの森です」
「森」
「ええ」
「噂の、焼くと増える森か」
マルクは答えなかった。
沈黙が答えだった。
グレンは椅子に座った。椅子がぎしりと鳴る。安物の椅子だ。砦の予算は、こういうところから削られる。
「上には報告できん」
「なぜ」
「怪物の食料を兵に食わせたと知れたら、俺の首が飛ぶ」
「では、買いませんか」
マルクの声は静かだった。
グレンは伝票を見た。
干し肉不足。
咳の下働き。
来週の巡回。
上官の命令。
全部、紙の上にある。
紙は腹を満たさない。
「買う」
グレンは言った。
悔しさが喉に引っかかった。
「ただし、名目は保存食だ。薬は滋養粉。森の名は出すな」
「承知しました」
「量は?」
「次回、倍にできます」
「倍」
グレンは一瞬だけ安心し、すぐに不安になった。
倍にできるのか。
そんな簡単に。
食料とは、本来そういうものではない。畑を耕し、種をまき、天候を祈り、収穫を待つ。それを森は、まるで倉庫から出すように増やす。
便利すぎる。
便利すぎるものは、たいてい首輪だ。
グレンはそれを知っていた。
それでも、彼は注文した。
現場は明日の飯を待っている。
自由や誇りは大事だ。
だが、空の鍋の前では声が小さくなる。
その頃、森ではシロが菌糸を通じて遠い反応を拾っていた。
胞子湯を飲んだ下働きの呼吸。
乾燥キノコを食べた兵士の胃の熱。
砦の石床の冷たさ。
まだ輪郭だけだ。
それでも、外の場所が少し見えた。
シロは驚いた。
食べ物は、目になる。
薬は、耳になる。
そんな仕様はゲームでは知らなかった。
いや、似たものはあった。設置型の菌糸トラップ。踏んだ敵の位置が分かるギミック。あれが、現実では食料と薬を通じて薄く広がっている。
バグ職の応用。
恐ろしいほど便利だ。
シロは森の帳簿に、新しい印をつけた。
砦。
まだ敵でも味方でもない。
ただし、腹の中にはもう白いものが入った。
翌朝、グレンは正式な発注書ではなく、私的な伝票を一枚切った。
品名は保存食。
産地は空欄。
だが数量だけは、はっきり書かれている。
五十束。
砦はまだ白い森を認めていない。
認めていないまま、次の食事を待ち始めた。




