第22話 保存キノコ
丸眼鏡の商人マルクは、三日後に戻ってきた。
早すぎる。
シロは白い橋の上で、その馬車を見た。荷台には塩袋が二つ、粗い布が三巻き、針の束、鍋が一つ。前回より荷物が生活寄りになっている。
マルクの顔は、怖がっているというより、寝不足だった。
「効きました」
馬車を止めるなり、マルクは言った。
「咳止めですか」
「ええ。砦の下働きの子が、夜に咳で眠れなかったのですが、粉を湯に溶かして飲ませたら、朝まで寝たそうです」
護衛の一人が、気まずそうに横を向いた。
前回、粉と笑った男だ。
シロはその顔を見ないことにした。
負けを認める瞬間をじろじろ見られるのは、前世でも嫌だった。会議で指摘が当たった上司が、資料をめくるふりをして黙る。あの空気はつらい。
「副作用は?」
「眠くなる。あと、腹が空く」
「食べれば戻ります」
「それが問題です」
マルクが帳面を開いた。
「腹が空くなら、食べ物も一緒に売れる」
言い切った。
シロは、少しだけ感心した。
この男は怖がっている。怖がっているのに、利益の匂いを見逃さない。
「食用キノコも試しましたか」
「焼いて食べました」
シロの後ろで、ニコがびくっとした。
火。
この森では、少し嫌な単語になっている。
シロは内心で苦笑した。
普通のキノコは焼く。スープにも入れる。干して戻す。いちいち火に反応していたら料理ができない。
「それは食用です。焼いても問題ありません」
ニコが小声で言う。
「でも、森は焼くと増えるんじゃ」
「森を焼くのと、食べ物を焼くのは違う」
「ええと、鍋で焼くのはいい。森ごと焼くのはだめ?」
「そう」
マルクが頷いた。
「分かりやすい。鍋の火は料理、森の火は事故。そう説明しましょう」
助かる。
シロは本気でそう思った。分かりやすい言葉をマルクが勝手に作ってくれるのはありがたい。自分で説明すると、どうしても仕様の話になる。
おばけきのこは火に弱いはずだった。
だがシロの場合、エイプリルフール限定職のバグで、火属性ダメージが成長や回復に変わることがある。焼かれると痛い。痛いが、数値だけ見ると増える。
ゲーム掲示板なら笑い話で済む。
現実では、山火事の跡に白いキノコが生える。
笑えない。
「保存はどれくらい持ちましたか」
「三日は問題なし。袋に入れても湿りにくい。匂いも少ない」
マルクが袋を開いた。
中には白い乾燥キノコが入っている。薄く切られ、紐で束ねられていた。村の女たちが作ったものだ。形は不ぞろいだが、軽い。
「兵糧になります」
マルクの声が低くなった。
シロは言葉の意味を受け止めた。
兵糧。
兵士の食べ物。
保存でき、軽く、腹にたまる。それだけで軍は動く。
戦闘力ではない。
補給だ。
ゲームでも同じだった。強いボスより、補給地点と転送門を押さえた方が攻略は楽になる。遠征イベントでは、食料ゲージが減ると能力値が落ちた。逆に補給が安定すると、低レベルでも長く戦えた。
この世界の兵士も、腹が減れば動けない。
「砦に売るつもりですか」
「まずは少量。薬と保存食の名目なら通ります。怪しい森の品でも、効けば買う者はいます」
マルクは苦笑した。
「特に、上役が現場を見ない砦では」
それは分かる。
現場が困っているとき、上はだいたい精神論を出す。だが咳で眠れない兵士に必要なのは根性ではなく薬だ。腹が減った兵士に必要なのは訓示ではなく飯である。
「価格は」
シロが聞くと、マルクは待ってましたと言わんばかりに帳面を見せた。
数字が並んでいる。
塩一袋。布一巻き。乾燥キノコ二十束。咳止め胞子十包。
村人なら目を回す。盗賊なら帳面を閉じる。シロは菌糸で記録した。
「塩が高い」
マルクの笑顔が止まった。
「遠いのです」
「道は安全になった」
「しかし森は怖い」
「怖さ代ですか」
「危険手当です」
シロは少し笑った。
外から見ると不気味だったかもしれない。マルクが一瞬、椅子のない場所で腰を浮かせるような顔をした。
「分かりました。今回はそれで」
「よろしいので?」
「次回から、道案内をつけます。危険手当は下げてください」
マルクは黙った。
護衛が顔を見合わせる。
安くしろ、と言っているだけだ。
だが森が道案内を出すということは、森が通行を保証するということでもある。
「つまり、護衛料が減る」
マルクが呟いた。
「そうです」
「しかし、その道案内は盗賊では?」
ニコが、また変な咳をした。
「元盗賊です」
「違いは」
「今は飯をもらっています」
マルクはしばらくニコを見て、ため息をついた。
「分かりやすい違いですな」
取引は成立した。
村へ塩が入った。布と針も届いた。鍋はオルド村長の家ではなく、共同の炊き場へ置かれた。
その夜、村の女たちが乾燥キノコをさらに薄く切った。子どもが紐を結び、元盗賊がそれを木枠へ吊るした。
シロは炊き場の隅で見ていた。
白い手袋の指先に、細い菌糸が巻きつく。
たった三日前まで、これは食料援助だった。
今は商品になった。
村人は喜んでいる。
マルクは儲けを計算している。
砦の兵士は眠れる。
誰も損をしていないように見える。
それが、少し怖かった。
保存キノコの束が、炊き場の梁から白く揺れている。
シロはそれを見上げた。
食料は、剣より遠くへ行く。
同じ夜、街道沿いの別の商人が、干し肉の箱を前に舌打ちしていた。
「砦の注文が減った?」
使い走りの少年は、気まずそうに頷いた。
「白い森の保存食を試すそうです。軽くて、腹にたまるとか」
商人は箱の蓋を閉めた。干し肉は悪くない。長年、砦に納めてきた品だ。だが重い。塩も食う。値も張る。
彼はまだ白い森を見ていない。
それでも、売上だけが先に食われた。
保存キノコは、砦へ届く前に市場を一つ動かしていた。




