第20話 森の外套
田中の分体には、名前が必要になった。
村人たちは「森の方」と呼んでいる。盗賊たちは「旦那」と呼ぶ。カトラスは「王」と呼ぶ。
全部困る。
森の方は曖昧すぎる。
旦那は距離が近い。
王は重い。
田中はオルド村長の家で、白いキノコのスープを前に考えていた。食べる必要はないが、椀を持っていると人間らしく見える。湯気が顔に当たる。分体の肌は冷たいままだ。
「旅の名を名乗ればよい」
オルド村長が言った。
「旅人には本名を隠す者も多い」
「なるほど」
田中は少し考えた。
田中。
それは前の自分の名前だ。
ここで名乗るには、妙に生々しい。会社の名札のようで、森の分体には合わない。
シュルーム。
ゲームのHN。
これもそのまますぎる。
カトラスが膝をつく。
「森羅を統べる御手なれば、白き外套の使徒として――」
「長い」
即答した。
元盗賊の若者ニコが、恐る恐る言う。
「シロ、でいいんじゃないですか」
部屋が静かになった。
田中は自分の手を見る。白い。確かに白い。
安直だ。
だが分かりやすい。
疲れた村人でも覚えられる。
「シロでいい」
カトラスが震えた。
「王の地上代行体、白き御手シロ様」
「増やすな」
オルド村長が小さく笑った。
その笑いで、部屋の空気が少し緩んだ。
分体の名は、シロ。
田中は本体。
シロは歩く体。
そう分けると、少し頭が整理された。
その日の午後、シロは森の外縁を歩いた。
盗賊たちは道を直し、村人は橋を渡り、カトラスは巡回する。白い菌糸は地下でつながり、誰がどこにいるかを本体へ伝える。
小さな仕組みができつつあった。
まだ国ではない。
村一つと、盗賊数人と、死んだ騎士一人と、動けないキノコ。
それだけだ。
だが、もうただの森でもない。
シロは橋の上で立ち止まった。
夕日が白い外套を赤く染める。肌の白さが少しだけ人間らしく見えた。
そこへ、ニコが走ってきた。
「シロの旦那!」
「旦那はやめろ」
「す、すみません。森の外の道に、商人の馬車が来てます。護衛つきです」
シロは菌糸を伸ばした。
車輪の振動。
馬の蹄。
荷物の重さ。
金属の匂い。
商人。
村と森の次は、外の流通だ。
シロは少しだけ緊張した。
歩ける体を得た。
村と話せるようになった。
帳簿も作った。
橋も架けた。
次は、取引だ。
戦うより面倒で、たぶん戦うより重要なこと。
シロは外套の襟を直した。
呼吸の真似を一つ。
瞬きも忘れない。
「会ってみよう」
カトラスがいつの間にか背後に立っていた。
「御意。必要であれば、商人を土へ」
「必要ない」
「では、必要になるまで待機を」
「それも違う」
シロは歩き出した。
白い外套の下で、菌糸の足が土を踏む。
人間に似せた体は、まだ冷たい。
だが、もう転ばなかった。
森の外から来た車輪の音は、ただの来客ではなかった。
食料と薬を求める道が、向こうから曲がってきた音だった。




