第2話 表示レベル1
最初の一本は、騎士の靴底に触れただけだった。
田中は、そこから何をすればいいのか分からなかった。ゲームならスキルボタンを押す。ショートカットに登録した技を使う。敵のHPバーを見て、クールタイムを回す。
だが今は、土の中にいる白い糸が自分の手足だった。
使い方が分からない。
分からないのに、体は知っていた。
【分解】
短い文字が浮かぶ。
次の瞬間、騎士の靴底が柔らかくなった。
「あ?」
男が足を上げようとした。遅い。革がほどけ、縫い糸が切れ、泥の中で黒い靴底がぼろぼろに崩れていく。
金属のすね当ても変色した。鉄の端が茶色く濁り、そこから小さな白い菌糸が染み出す。
「何だこれ、靴が腐って――」
声が途中で止まった。
田中は焦った。殺すつもりはなかった。少なくとも、まだ。
だが菌糸は止まらない。靴を分解した時の感覚が、妙に気持ちよかった。ゴミ箱に溜まった書類を一気に捨てた時のような、詰まっていたものが消える感覚。会社で誰も片づけなかった共有フォルダを、全部整理した時のような快感。
いや、こんな時に何を考えている。
田中は自分を叱った。
「下がれ! 魔物だ!」
別の騎士が叫ぶ。剣が振り下ろされた。
白い傘が裂けた。
痛みはあった。
ただ、人間の痛みではなかった。熱い、鋭い、というより、湿った網の一部を乱暴に引きちぎられたような感覚だった。
不快だ。
それだけだった。
田中は驚いた。もっと苦しいはずだと思っていた。腕を切られたら叫ぶ。腹を刺されたら死ぬ。人間ならそうだ。
しかし今の体は、傷口の周りから白い胞子をこぼしながら、ゆっくり塞がっていく。
【再生中】
【分解により経験値を取得】
【表示レベル:1】
表示は変わらない。
表示レベル1のまま、剣の鉄が腐った。
「嘘だろ」
騎士の声が震えた。
田中も同じ気分だった。
嘘だろ。
こっちはただのキノコだぞ。
そう思ったが、菌糸はすでに五人全員の足元に広がっていた。草の根を伝い、泥の水分を使い、革、布、木の柄、剣の鞘、弓の弦へ触れていく。
一つずつ、構造が分かる。
革は元は皮。
布は植物。
木は食える。
骨も、肉も、いずれ土へ還る。
なら、全部同じだ。
その考えが浮かんだ瞬間、田中はぞっとした。
全部同じなわけがない。
人間は、物じゃない。
目の前の騎士が転んだ。靴も剣も駄目になり、泥の中で手をつく。手袋がほどけ、指が土に触れた。
菌糸が、そこへ伸びた。
田中は止めようとした。
止まらなかった。
騎士の悲鳴が森に響く。
その声を聞きながら、田中の頭の片隅で、ひどく冷静な自分が数えていた。
敵は五人。
武器は三本が使用不能。
経験値は入る。
表示レベルは、まだ1。
おかしい。
けれど、勝てる。
その事実だけが、湿った土の中で静かに広がっていった。




