第18話 森の帳簿
田中は、帳簿を作ることにした。
嫌な響きだった。
前の会社で、帳簿や管理表や進捗シートには散々苦しめられた。誰も読まないのに更新だけ求められる表。数字を入れるための数字。責任を押しつけるための記録。
だが、今回ばかりは必要だった。
村がどれだけ食べるか。
どれだけキノコを出せるか。
徴税人にどれだけ渡せば、麦を守れるか。
盗賊たちに何を運ばせるか。
カトラスが何を倒したか。
全部を田中の頭だけで抱えるには、情報が増えすぎていた。
幸い、紙は少しあった。
盗賊が奪っていた商人の帳面だ。持ち主には悪いが、今は役に立つ。
田中は分体の手で、ぎこちなく文字を書いた。
手が冷たいせいか、筆圧が安定しない。黒いインクがにじみ、白い指先に染みる。
村の必要食料。
病人。
井戸の状態。
砦の兵数。
盗賊労働力。
カトラス討伐報告。
書いているうちに、田中は変な気分になった。
これは会社の管理表と何が違うのか。
人間を数字で見る。
食料を数える。
病人を数える。
労働力を数える。
嫌なはずなのに、数字にすると助けやすい。
誰に何袋必要か分かる。
どこに薬を回すべきか分かる。
どの道に菌糸を伸ばすべきか分かる。
管理は冷たい。
だが、管理しないと漏れる。
漏れた人間から死ぬ。
田中は筆を止めた。
オルド村長が帳面を覗き込む。
「字が読めるのか」
「まあ」
「森の方は、学があるのだな」
「前の仕事で、嫌ほど書かされた」
オルド村長は意味が分からない顔をした。
田中も説明する気はなかった。
外では、盗賊たちがキノコ袋を運んでいる。最初は嫌々だったが、食事が出ると動きが変わった。人間は分かりやすい。飯が出て、殴られず、寝る場所があれば働く。
田中はそこに少し安心し、少し怖くなった。
ブラック企業より、森の方が待遇がいい。
そう考えると笑えない。
カトラスが入ってきた。
ひび割れた甲冑に、草の汁がついている。
「北の獣道を整備しました。敵性魔獣二体を土へ。骨は橋脚に転用可能です」
「橋脚か」
田中は帳面に書く。
魔獣骨、橋脚候補。
書いてから、手が止まった。
命だったものが、橋脚候補になる。
もう自然に書いてしまった。
オルド村長は気づいていない。
カトラスは誇らしげだ。
田中だけが、一瞬だけ嫌なものを飲み込んだ。
「弔いは?」
「済ませました」
「なら、いい」
本当にいいのか。
分からない。
だが橋があれば、村人は雨の日でも森へ来られる。薬も食料も運びやすい。
死んだ魔獣の骨が、子どもの薬を運ぶ橋になる。
そう考えると、合理的だった。
合理的すぎて、少し気持ち悪かった。
田中は帳面の表紙に、仮の名前を書いた。
『森の帳簿』
その瞬間、村と森が、少しだけ国に近づいた気がした。




