第15話 冷たい手
子どもの熱は、翌朝には下がっていた。
村は騒ぎになった。
大きな祭りではない。そんな余裕はない。だが、井戸端に人が集まり、誰かが白いキノコのスープを配り、咳をしていた子どもが外へ出てきた。
それだけで十分だった。
田中は村の端に立っていた。
外套を羽織り、手袋をして、旅人のふりをしている。白い肌は隠した。瞬きも昨日より増やした。呼吸の真似も忘れない。
それでも、子どもは近づいてきた。
「森の人」
「何だ?」
「手、見せて」
田中は少し迷った。
子どもの母親が慌てる。
「だめよ、失礼でしょう」
子どもは引っ込まない。
田中は手袋を外した。
白い手。
細い指。
爪の下の菌糸。
子どもはそれをじっと見て、そっと触った。
「冷たい」
その一言が、田中に刺さった。
怖がられると思った。
化け物と言われるかもしれないと思った。
だが子どもは、ただ温度を言っただけだった。
冷たい。
事実だ。
田中は返事に困った。
「体温が低いんだ」
「死んでるの?」
母親が青ざめる。
田中は少し笑った。今度は上手く笑えたと思う。
「死んではいない。たぶん」
子どもは納得したような、していないような顔をした。
「じゃあ、あったかいスープ飲む?」
田中は固まった。
食べられない。
いや、分体の口から入れることはできるかもしれない。だが味覚は本体と違う。消化も人間と違う。下手をすると、口の中でスープを菌糸が分解する。
だが、断り方が難しい。
会社でも、差し入れを断るのは面倒だった。食べたくないのに、善意だから余計に断りづらい。
「少しだけ」
田中は椀を受け取った。
白いキノコのスープ。
村人が作ったものだ。自分が生やしたキノコで、自分へ礼として差し出されている。
変な循環だ。
一口飲む。
熱い。
分体の舌は、人間の舌ほど細かくない。それでも塩気と土の匂いは分かった。薄い。具も少ない。だが、昨日より村人の顔が明るい。
田中は言った。
「うまい」
子どもが笑った。
その笑顔を見て、田中は少しだけ安心した。
自分はまだ、人間のうまいが分かる。
その時、オルド村長が近づいてきた。
「森の方。頼みがある」
声が重い。
田中は椀を置いた。
「何だ」
「次の徴税が来る。麦はもうない。だが役人は持っていく」
周囲の空気が変わった。
さっきまでの安堵が、薄い膜のように剥がれる。村人たちの顔に、見慣れた疲れが戻った。
理不尽な上からの命令。
現場にないものを出せと言う。
田中には分かりすぎた。
「役人はいつ来る」
「三日後」
オルド村長は言った。
「兵を連れてくる」
田中は森の方を見た。
本体は遠い。だが菌糸は村の地下にある。カトラスも動ける。盗賊たちは道を知っている。
やれることはある。
ただ、村に手を出せば、もうただの食糧支援では済まない。
田中は理解した。
助けるとは、関わることだ。
関わるとは、支配に近づくことだ。
子どもが、冷たい手をもう一度握った。
「また来る?」
田中は、少し迷ってから頷いた。
「来る」
その約束が、森の地下で白い糸になった。




