第14話 咳止め胞子
子どもは、藁の寝床で丸くなっていた。
年は六つか七つ。頬が赤く、呼吸が浅い。咳をするたび、細い肩が跳ねる。
田中は分体の膝をついた。
家の中は狭かった。煙の匂い。湿った藁。古い布。壁の隙間から入る冷たい風。薬らしい薬はない。水の入った木椀だけが、寝床のそばに置かれていた。
病気という言葉は大きい。
だが目の前にあるのは、咳をする子どもと、眠れない母親だった。
それなら分かる。
「何をする」
母親が聞いた。
田中は手袋を外した。白い指先が出る。爪の下で細い菌糸が動き、母親が息を呑む。
「胞子を少し吸わせる。咳を抑える菌だ。強すぎるとよくないから、薄くする」
自分で言って、説明が足りないと思った。
疲れている人間に、菌だの胞子だの言っても怖いだけだ。
田中は言い直した。
「薬草の煙みたいなものだと思ってくれ。少しだけ吸う。息が楽になるか見る」
母親はまだ怖がっていた。
当然だ。
白い手の怪しい男が、子どもに胞子を吸わせると言っている。
田中なら断るかもしれない。
そこへオルド村長が入ってきた。
「私が先に吸う」
老人はそう言って、田中の前に座った。
「オルド村長」
「子どもで試すよりましだ」
正しい。
田中は頷いた。
指先から、薄い白い胞子を出す。煙より軽い。粉雪より細かい。それをオルド村長の前で漂わせる。
オルド村長が吸った。
少し咳き込む。
田中は焦った。
だがすぐ、オルド村長の呼吸が落ち着いた。肩の力が抜ける。目の下の疲れが、ほんの少し薄くなる。
「楽だ」
オルド村長が言った。
その一言で、母親の顔が変わった。
難しい説明はいらなかった。
オルド村長が吸って、無事だった。
それで十分だった。
子どもにも、さらに薄めた胞子を吸わせる。
咳はすぐには止まらない。
一度、二度。
それから間隔が空いた。
子どもの呼吸が深くなる。
母親の手が、寝床の藁を握りしめた。涙が落ちる。礼を言おうとして、声が出ない。
田中は、胸のあたりが少し温かくなった。
分体に体温はない。
それでも、温かいと思った。
【共生胞子:微量定着】
【咳症状:緩和】
【信頼値:上昇】
最後の文字に、田中は顔をしかめた。
信頼値。
ゲームのように表示されると、急に冷たく見える。
母親の涙も、オルド村長の安堵も、数値になる。
それは便利だ。
便利だが、嫌だった。
「明日も見る」
田中は立ち上がった。
母親が頭を下げる。
「ありがとうございます。森の方」
森の方。
名前ではない。
だが、化け物とも呼ばれなかった。
田中は外へ出た。
村人たちが家の前に集まっている。鍬を持った男も、昨日より警戒が薄い。子どもの咳が収まったと聞き、目に分かりやすい期待が浮かんでいる。
パン。
薬。
子どもの命。
政治や信仰より先に、人はそこを見る。
田中はそれを理解した。
理解してしまった。
村の地下では、菌糸が井戸の周りへ伸びている。水をきれいにできる。病を減らせる。村を守れる。
同時に、村の全員の足音が分かる。
救済と監視は、同じ糸でできていた。
そのことを、村人はまだ知らない。




