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113/117

# 第113話 切り札の自滅



 白火大聖堂は、自分の火で崩れ始めた。


 外から攻められたのではない。


 地下から爆ぜた。


 聖火炉を全開にした瞬間、シロは崩す場所を選んだ。


 もっとも古く、もっとも薄く、水路に熱を逃がせる儀式管。


 そこへ火を集めた。


 管が耐えられなかったのではない。


 耐えられない場所へ、耐えられない量の聖火を通されたのだ。


 そこへ、火を糧に増えた菌糸が絡む。


 シロの中で、感情より先に数字が立った。


 聖火炉の出力。


 儀式管の破断位置。


 耐火菌の増殖速度。


 救護所へ運ばれた負傷者数。


 王都の人々には神罰か、魔王の蹂躙に見えるだろう。


 だがシロの菌糸網には、もっと冷たい形で残っていた。


 耐火菌、都市規模実証。


 成功。


 石は割れる。


 熱は逃げ場を失う。


 白い膜が管の内側を覆い、炎の流れを変えてしまう。


 バルテロは、まだ聖火を疑わなかった。


 だが聖火炉だけは、先に変わっていた。


 白くあるべき火の芯に、翠が混じる。


 最初は煤の色だと思われた。


 次に、儀式管の覗き窓が翠に曇った。


 最後に、聖火炉の制御盤に刻まれた白火教会の紋章が、内側から白い菌糸で縁取られた。


 聖火炉はソルバニアの心臓だった。


 異形を焼き、病を清め、神の意志を火で示すための装置。


 その心臓が、シロの菌糸を拒まなかった。


 火を吐くたび、逆に白い膜を厚くしていく。


 炉番の司祭が、膝をついた。


「聖火が」


 祈りではない。


 報告でもない。


 自分の信じてきた神具が、別の何かへ頭を下げたと知った声だった。


「なぜ焼けぬ」


 金糸の法衣に火が移る。


 太い指輪が赤く光る。


 彼は最後まで、自分が民を守っていると思っていた。


 その確信ごと、炎に包まれた。


 そこで死ねれば、まだ楽だった。


 法衣には、高位司祭を聖火から守るための守護刺繍が縫い込まれていた。


 指輪には、祈祷中の意識混濁を防ぐ小さな加護があった。


 どちらも、本来は殉教を防ぐためのものだ。


 だが火を食った菌糸が、その守りを足場にした。


 焼けた皮膚を白い膜が覆う。


 焦げた喉を翠の光が塞ぐ。


 潰れかけた肺へ、聖火炉の熱風が規則正しく送り込まれる。


 バルテロは死ななかった。


 死ねなかった。


 彼の視界には、壊れた聖火炉の制御盤が映っている。


 白火教会の紋章を、白い菌糸が内側から縁取っていた。


 彼は理解した。


 聖火が負けたのではない。


 聖火炉が、もう自分の側ではない。


 火を吐くたび、シロの菌糸が厚くなる。


 火を強めるたび、王都の熱が曲げられ、民家ではなく大聖堂の地下へ戻される。


 自分が命じた火が、自分の権威だけを焼いている。


「焼け」


 そう言おうとした。


 喉から出たのは、湿った空気だけだった。


 菌糸が声帯を残していた。


 残したうえで、言葉を選ばせなかった。


 彼は炉の奥で、かすれた音を繰り返す。


「焼けぬ」


「焼けぬ」


「焼けぬ」


 それは祈りではない。


 懺悔でもない。


 耐火菌の稼働音に混じる、壊れた警告音だった。


 王都の人々は後に、崩れた大聖堂の地下から夜ごと声がすると噂した。


 白火教会の枢機卿が、今も聖火に焼かれながら、白い菌糸に生かされている。


 神罰だと言う者もいた。


 魔王の呪いだと言う者もいた。


 シロの記録には、もっと短く残った。


 高位司祭バルテロ。


 耐火菌融合個体。


 自我残存。


 危険サンプル、封印。


 だが虐殺は、バルテロ一人の末路では終わらなかった。


 王都の門は閉じられている。


 地下管は火で満ちている。


 火を食った菌糸は、制御できないほど増え始めている。


 シロは必死に流れを抑えた。


 水路へ逃がす。


 空き家へ逃がす。


 崩れた大聖堂の地下へ押し込む。


 だが王都は人で詰まっていた。


 貧民街の長屋。


 商人街の倉庫。


 教会税を払うために家具を売った家。


 そこへ熱が入り、煙が入り、白い菌糸が入り込む。


 エレナが両手を広げた。


「眠らせます」


「待ってください」


「このままでは焼け死にます」


「でも、範囲が広すぎる」


「広くなければ、救えません」


 彼女の声は、もう震えていなかった。


 リゼットが青ざめる。


「鎮静胞子の濃度が高すぎる。意識だけでなく、自我の連続性が切れる」


 難しい言い方だった。


 だが意味は分かる。


 眠るだけではない。


 起きても、前と同じ人間ではないかもしれない。


 エレナは一瞬だけ目を閉じた。


 商家の店先で、薬代を払えず泣いた母親。


 教会で寝台を待った子ども。


 処刑台の炎。


 閉じられた東門。


 全部が彼女の中で、一つの答えになった。


「自我があるから、恐れるのです」


 シロは寒気を覚えた。


「エレナさん」


「裏切られることを恐れる。傷つけられることを恐れる。自分だけ助からないことを恐れる。なら、その恐れを先に抱きしめます」


 彼女は微笑んだ。


 優しい顔だった。


 だから余計に怖い。


「主様の胞子で」


 王都に、白い霧が広がった。


 泣き声が小さくなる。


 悲鳴が途切れる。


 怒鳴っていた兵士が、剣を落とす。


 母親が子どもを抱いたまま、穏やかな顔で眠る。


 助かった。


 そう言えなくもない。


 だが、シロは分かっていた。


 これは救助ではない。


 王都全体の人格を、菌糸網へ取り込む処理だ。


 ソルバニアは、ここで死に始めた。


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