# 第112話 白火大聖堂炎上
エレナの手首に、白い菌糸が巻きついた。
痛みはあるはずだった。
だが彼女は声を上げない。
むしろ、どこか安堵した顔をしていた。
「熱が、遠くまで分かります」
エレナは呟いた。
「人の息も。咳も。怖がっている声も」
シロは嫌な予感を覚えた。
繋がりすぎている。
治療のための共生を越え、エレナは王都の苦痛を直接拾い始めていた。
白火大聖堂の地下で、聖火炉が全開になった。
白い炎が管を走る。
壁が鳴る。
石床の隙間から熱風が噴く。
町の人々が叫んだ。
井戸の水が熱い。
薬草院の葉が縮れる。
孤児院の子どもが咳き込む。
エレナの顔が歪んだ。
「聞こえます」
「何が」
「助けて、という声です」
シロは菌糸を水路へ伸ばした。
熱い水を逃がす。
崩れる柱を支える。
聖火炉の火を、少しずつ自分の中へ引き込む。
痛い。
増える。
痛い。
増える。
それでも、町の方へ流すよりはいい。
だが王都の地下管は古すぎた。
白火教会が、何世代もかけて作った火の道。
その全てが、今はマイコニアにとって侵入路だった。
シロは、ただ熱を受け止めていたわけではない。
石の継ぎ目。古い管の薄い部分。水路に近く、民家から遠い空洞。
炎がどこで膨らめば、教会の火だけを折れるか。
どこを潰せば、門へ向かう熱を曲げられるか。
痛みの奥で、それを選んでいた。
火が走る場所へ、菌糸も走る。
炎で焼かれた壁に、白い膜が張る。
割れた石の中に、翠色の光が灯る。
白火大聖堂の炉の縁に、最初の傘が咲いた。
西門近くの救護詰所で、白火騎士の副隊長は負傷者名簿を握りしめていた。
「西礼拝堂へ運べ。森の寝台には渡すな」
命じた直後、彼は気づいた。西礼拝堂の井戸には白い菌糸が沈み、薬箱の封蝋には翠の粉が付いている。水も、包帯も、担架を通す裏路地も、すでに森の細い根に撫でられていた。敵に退路を断たれたのではない。救援線そのものが、敵の手のひらの上に置かれている。
副隊長の喉が乾いた。火で焼けば増える。斬れば寝台へ運ばれる。逃がせば門で止まり、救えば白い森の薬を使う。正しい命令を選ぶほど、部下はマイコニアのほうへ近づいていく。彼は初めて、勝てないのではなく、最初から勝ち方を選ばされていなかったのだと悟った。
助祭が悲鳴を上げる。
「聖火が、食われている」
バルテロは階段の上で叫んでいた。
「焼け! 焼き尽くせ!」
だが炉番はもう返事をしない。
助祭たちは逃げている。
上級司祭の一人は、金の聖具だけを抱えて転んだ。
白火教会の上層部は、最後の瞬間まで民を誘導しなかった。
聖具。文書。印章。
自分たちの権威を持ち出そうとした。
その横で、マティアスは孤児院の子どもたちを外へ出していた。
「走らない。手を離さない」
彼の声は枯れていた。
エレナは、その声を菌糸越しに聞いた。
「主様」
「はい」
「私、人間の救済能力に、もう期待しません」
その言葉は静かだった。
静かすぎて、シロは怖くなった。
白火大聖堂の屋根が落ちた。
火柱が上がり、王都の夜が白く染まった。




