第11話 最初の分体
経験値というものは、数字で見ると安心する。
田中はそう思った。
人間だった頃も、給料明細の数字だけは好きだった。残業代が正しく入っているか。交通費が引かれていないか。ボーナスは本当に出るのか。金額が増えると、少しだけ救われた気がした。
今は給料ではない。
分解経験値だった。
【分解経験値:蓄積】
【素材変換効率:上昇】
【胞子分体生成:条件達成】
田中は、白い傘を揺らした。
条件達成。
その言葉は、疲れた頭にも分かりやすかった。
何かができる。
問題は、その何かが少し怖いことだった。
「胞子分体……人型擬態か」
ゲームでは、おばけきのこの中盤スキルだった。菌糸と胞子で人形を作り、遠隔操作する。見た目は人間に近いが、ステータスは低い。戦闘用というより、偵察用、嫌がらせ用、イベント用。
掲示板では「キノコの着ぐるみ」と呼ばれていた。
だが今の田中には、喉から手が出るほど必要だった。
いや、手はない。
だからこそ必要だった。
本体は動けない。森の中心に根を張ったままだ。カトラスは有能だが、話し合いに向かない。盗賊たちは信用しきれない。村人の前に巨大なキノコが出ても、たぶん会話にならない。
歩ける体がいる。
人間に近い体がいる。
田中は経験値を流し込んだ。
土の中で菌糸が集まる。白い糸が束になり、骨の形を作る。腐葉土から取り出したミネラルが芯になる。盗賊の落とした布切れが皮膚の下地になり、騎士の革紐が関節を補強する。
作っている途中で、田中は嫌な気分になった。
人形を作っているというより、自分の体をもう一つ編んでいる感覚だった。
指。
腕。
胸。
首。
顔。
最後に、目。
白い胞子が薄く固まり、肌のようなものになる。髪は黒にした。田中の記憶にある自分の髪色だ。ただ、少しつやがなさすぎる。
地面の上に、裸の男が一人立った。
立った、というより、立たせた。
田中は分体の目を開く。
世界が、急に高くなった。
木の幹が目の前にある。葉が頭上にある。湿った土を足の裏で踏んでいる。
足の裏。
田中は固まった。
足がある。
動く。
一歩。
転んだ。
顔から泥に落ちた。
痛みは薄い。だが、屈辱はあった。
「……歩くの、難しいな」
分体の口から、かすれた声が出た。
声が出たことに、また驚いた。
カトラスが膝をつく。
ひび割れた兜の奥で、白い胞子が揺れている。
「王よ。ついに御身が地上へ」
「いや、本体じゃない。分体だ」
「王の影であり、王の御手であり、王の地上代行体」
「言い方が重い」
カトラスは感動していた。
田中は泥を拭った。手の甲が白い。血色がない。指は人間に似ているが、爪の下に細い菌糸が見える。
呼吸を真似してみた。
胸が上下する。
だが、息は必要ない。
瞬きをしてみた。
遅い。
人間のふりをするには、練習がいる。
それでも歩ける。
話せる。
森の外へ行ける。
田中は、泥だらけの分体で立ち上がった。
報酬としては大きい。
ただ、その体は冷たかった。
人間に似せたはずなのに、握った手に温度がない。
田中は少し迷い、それからカトラスに言った。
「服がいる」
カトラスは即座に立ち上がった。
「盗賊どもから徴発いたします」
「買うとか、借りるとかで」
「御意。合法的徴発を」
「違う」
分体の口から、ため息の真似が出た。
息はない。
けれど、ため息だけは妙に自然だった。




