# 第100話 燃えない聖女
聖火は燃えた。
白い炎が薪を包み、広場の民衆が息を呑む。
だがエレナは焼けなかった。
衣の裾は焦げる。
頬に熱の赤みは差す。
それでも皮膚は裂けず、髪も燃え上がらない。
白い胞子が、炎の内側で薄く光っていた。
民衆の誰かが呟く。
「奇跡だ」
違う。
シロは地下で思った。
奇跡ではない。
バグだ。
本来はキノコに大ダメージを与える火属性の数値が、主人公の内部では回復と増殖に足されている。その熱を菌糸が吸い、湿り気と胞子へ変えている。
簡単に言えば、火を食っている。
その横で、別の数字も流れていた。
広場の人数。
咳をしている者。
熱で汗をかいている者。
逃走時に押し合えば倒れる老人。
火力を上げれば、先に失神する子ども。
シロは一瞬、ぞっとした。
自分は今、人の顔を見ていない。
発熱、呼吸、体重、搬送優先度。
そういう項目として見ている。
それなのに、判断は速くなった。
誰を先に眠らせれば群衆が崩れないか。
どの兵の視界を白くすれば、剣を抜く前に足が止まるか。
どの母親の腕に菌糸を添えれば、子どもを落とさないか。
人間を生き物として見ていない。
生体反応の束として見ている。
嫌だな、と田中のどこかが言った。
でも、便利だな、と別の場所が思った。
その別の場所の方が、もう広かった。
だが広場の民衆には、そんな説明は届かない。
届いたとしても、信じない。
彼らには見えている。
聖火で焼かれるはずの聖女が、燃えずに立っている。
バルテロの顔が引きつった。
「火を強めよ!」
聖火炉へ魔力が追加される。
地下の管が熱くなった。
シロの菌糸が悲鳴のように震える。
痛い。
増える。
痛い。
増える。
シロは歯を食いしばる真似をした。
分体の歯に意味はない。でも、そうしないと耐えている気がしなかった。
上で、エレナが声を出した。
「病人は、穢れではありません」
二度目。
今度は広場の全員が聞いた。
炎の中から出た言葉は、ただの反論ではなくなった。
教義に穴を開ける楔になった。
マティアスが群衆の端で顔を伏せている。
止められなかった司祭。
沈黙した善人。
その肩が震えていた。
モルデの声が菌糸に乗る。
「今だ」
処刑台の下、古い排水路の蓋が外れる。
白い炎の煙に紛れて、エレナの足元が沈んだ。
民衆には、彼女が光の中に消えたように見えた。
実際には、下水路へ落としただけだ。
奇跡は、だいたい裏方が汚い。
その時、シロは広場の上で泣く少女を見た。
エレナの手を握ったことがある子だろう。
普通なら、胸が痛む場面だった。
だがシロの菌糸網は先に判断した。
泣いている。
呼吸が乱れている。
鎮静胞子、少量。
少女の肩が少し下がる。
泣き声が小さくなる。
助けた。
そう言える。
同時に、悲しむ時間を少し削った。
シロはそれを、記録として残した。
罪悪感ではなく、効き目として。




