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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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8/9

第八席 どろりとした赤

 宗匠と山上さんと一緒に京の陶工、長次郎さんの仕事場に来た。

 まだ暑い盛りの八月。加えて窯近くはもっと暑い。高温を維持しているからだ。だらだらと汗が流れ出る。だけど離れない。離れたくない。ここから美が生まれる。永久に続くであろう美の極致が生まれようとしている――


「長次郎殿は窯の温度を高めて、宗匠好みの茶器を作ろうとなさっております」

「そうだな⋯⋯」


 二人は慣れているようで窯の前でも涼しい顔をしている。

 宗匠好みとはおそらく黒茶碗のことだろう。正確に言えば今焼黒楽茶碗だ。現代では写真でしか見たことがないけど、この目で見て手触りを感じて茶を点てれば、あの平蜘蛛と同じ熱狂を得られるのではないか――


「また平蜘蛛のことを考えておりますか」


 背中に氷を入れられた感覚。

 誤魔化そうか考えたが、素直に「はい、そうです」と宗匠に答えた。


「だいぶ落ち着きましたが、ふとした瞬間に考えてしまいます」

「物欲に負けてしまうのは感心しないな」


 呆れた調子で山上さんは言うけれど、宗匠は「いえ、藤田さまはそれで良いのです」と肯定してくれた。


「そもそも、物欲がなければ茶の湯がここまで隆盛はしなかったでしょう。つまり、わたくしたちは物欲で生計を立てています」

「宗匠⋯⋯しかしながら平蜘蛛を至高とする藤田殿の考えはいささか視野狭窄しやきょうさくに思えます」

「そこだ宗二。わたくしは藤田さまに名物への見識を養ってほしいのだ」


 見識を養うとはどういうことだろうか?

 僕と山上さんは宗匠の次の言葉を待った。


「多くの名物を知り、多くの名物を愛でれば、いずれ藤田さまは新たな価値観を生み出す。また呼応してわたくしたちも優れた価値観を創り出せる。影響し合うことで美しいものが出来上がる⋯⋯茶の湯とはそういうものだ。前人にはできぬ、今を生きる者たちだけの特権なのだ」


 現代風に言えば価値観と価値観のぶつかり合いで化学反応を起こす⋯⋯ということなのだろう。完全に理解したとは言えないが、言わんとすることは分かった。

 すると山上さんが「良き影響を受け合うのなら賛成ですが」と反論してきた。


「その価値観が合わなければどうなります? 対立することもあれば対極に位置する場合もございます。相容れない価値観をどう受け止めれば良いのですか?」


 そのとき、宗匠の目に涙のようなものが垂れた――汗かもしれないけど僕には判断つかなかった。


「茶の湯の懐は大きい。そのことをお前は分かっていないのか?」

「⋯⋯未だ修行の身ですゆえ」


 互いに納得していないようだった。

 僕は「少し外の空気を吸ってきます」と窯の近くから出ていく。あまりいい雰囲気ではなかったのもあるけど、頭がぼうっとしてきたが主な原因だ。熱中症になりかけていた。


 とは言っても八月の気候はじめじめしていた。京は盆地なので湿気が多い。からっとした気候の関東に住んでいた僕にはつらく感じる。


 周りは職人さんが忙しなく働いていて、僕のことなど気に留めない。邪険に扱われることがないので思いっきり深呼吸ができた。


「にいさん。ちょっといいか?」


 三回目の深呼吸で声をかけられた。

 後ろからだったので振り返ると職人らしい 格好をした少年が立っていた。


 髪を後ろで一本に束ねている。眉と目が細い。狐のようだなあというのが最初の印象だった。手足が低い身長とは比べて長くて細かった。何故か涼しげな風を思わせる。歳は僕よりも若いと分かる。十四才か十五才。中学生と変わらないだろう。


「うん? なんですか?」

「にいさんは千宗易の弟子か?」


 不躾というか無礼な態度での質問に、多少の苛立ちを覚えたけど、まあ年下のやることだからなと思って「うん、そうだよ」と素直に答えた。


「やっぱりか。みんな噂しているぜ。妙な男が突然弟子入りしたってよ」

「ふうん。それで、その妙な男に何の用かな?」


 暑さのせいもあって皮肉で返すと「あんたと話がしたい」と少年は腕組みする。


「いい話になると思うぜ。俺についてきてくれ」

「怪しい話と人間には聞く耳持つなって言われているんだけど」

「なんだよ。ビビっているのか?」


 年下の男の子になんでそこまで言われないといけないんだ。


「別にビビってなんかないさ。それにまずは名乗るのが礼儀ってもんじゃないのか?」

「おっとそうだった。俺としたことが性急過ぎたのかもしれないな」


 少年は一転してにこにこ笑い始めた。

 さっきまでの強気な姿勢がどこに行ったのかと思うくらい人懐っこい態度だ。

 まるで僕が少年の話を聞くのを認めたかのようだった。


「俺は長五郎ちょうごろうってんだ」


 少年、いや長五郎は年相応の無邪気な笑顔で戸惑う僕に告げる。


「俺と組んで日の本をひっくり返さねえか?」



◆◇◆◇



 よく分からない申し出をされて、頭の中がクエスチョンマークだらけになった。けれども悪い子ではなさそうだったし、面白そうな内容だったこともあって話を聞くことにした。


「まあ中に入ってくれよ」


 案内されたのは窯から離れた休憩所らしき小屋の中だ。日陰でときより入る空気が心地良かった。小屋の中央にどかりと座った長五郎は「まずは来てくれてありがとう」と意外と愁傷なことを言い出した。最低限の礼儀は心得ているようだ。


「あんたは藤田次郎って言ったな? 陶工の奴らから聞いた」

「僕の自己紹介はいらないようだね。それで長五郎、君と組んで日の本をひっくり返すってどういう意味だい?」

「そのまんまさ。今、長次郎のじいさんが新しい茶器を作ってんだろ? 千宗易の依頼でさ。俺たちも同じように組んで作ろうじゃねえか」


 要は僕の支援を求めているのか⋯⋯いや、それだけではなさそうだ。

 慎重に「僕に何を望んでいるんだ?」と訊ねる。返事はまだ早い。


「あの千宗易が自ら頼み込んで弟子になったと聞くぜ。なら茶人としての才能はあるんだろ。だったら俺にこういうものを作れって言えば作ってやる。報酬を支払えばな」

「僕の望むものを作ってくれるのか⋯⋯それはいい話だ。君の素性と腕前が分かればなおのこといい話だけどね」


 長五郎は「案外慎重なんだな」と笑って――よく笑う子だ――手を叩く。


「それじゃまずは何を知りたい?」

「君は長次郎さんのなんだ? 年が若いのに窯元で働いているんだから、親戚かもしれないけど⋯⋯よく分からない」

「俺はじいさんの従兄弟の孫だから⋯⋯遠い親戚みたいなもんだ」

「それでよく弟子入りできたね」

「自分で言うのもなんだけど、有り余る才能があるんだよ」


 たいした自信家だ。

 だけど謙虚な職人よりも清々しさを感じる。根拠のない過信がなければ大胆かつ度量の大きい作品は生まれない。


「それで次の質問だけど――」

「待った。質問は交互に行こうぜ。そのほうが公平だと思わねえか?」

「僕に答えられるものなら。言えなかったら別の質問に変えてもいい」


 長五郎は「千宗易から認められた理由を教えてくれ」と質問を投げかけた。


「堺政所の松井友閑さんに茶を振る舞ったところを見てもらったんだ。それで認められたというか、気に入られたんだ」

「へえ。どういう経緯なんだ?」

「質問は交互でしょ。今度は僕の番。長五郎は茶器を作れるのか?」


 僕の問いに「まずはこれを見てくれ」と懐から茶器を取り出した。

 今焼の井戸茶碗だ。白に近い灰色の柔肌が実に渋い。心がときめくというほどではないが陶工としての実力が高いのは分かった。


「どうだ?」

「渋みのある茶器だ。絵付けはされてないけど、これは十分に侘びているね」

「だろう? あんた見る目があるじゃないか」

「けれども、一緒に組もうとまでは思わないかな」


 あっさりと言うと長五郎は口をへの字にして「なんでだよう」といじけた。


「若いのにここまでの茶器を作れるのは尊敬する。だけど試すつもりのものを出されても本気になれないよ」


 茶人として修行を重ねた今の僕には長五郎の意図が分かってしまった。

 もしもこの見事な井戸茶碗で組もうと言ったら逆に断るつもりなのだろう。


「……ちぇ。素直そうに見えるけど案外ずる賢いんだな」


 井戸茶碗を懐に仕舞って、長五郎は「予想以上に目が肥えているなあ」と愚痴る。


「じゃあ俺のとっておきを見せてやる。長次郎のじいさんの手法を真似たけど、俺が奇跡的に生み出した傑作だと思うぜ」


 またも懐から茶器を取り出す――息を飲んだ。

 見る前から予感がしていた。

 見た後には確信になっていた。

 これは傑作である――と。


 真っ赤に染まった、いや赤そのもののから生み出されたと表現するのが正しい。

 その華やかな美は唯一無二と言えるだろう。

 今まで出会わなかったのを後悔する。それぐらい尊い美だった。

 その茶器の名は――今焼赤楽茶碗いまやきあからくちゃわんだ。


 どろりとした赤が固まって一個の美となっている。

 息を飲むほど、あるいは息ができないほどの傑作。

 これが現実にあるのが不思議でしょうがない。

 初めて平蜘蛛と出会ったときと同じくらいの感動を僕は味わっていた。


「どうだ? 俺と組むか?」

「ああ。ぜひ組ませてほしい」


 気づけば頷いていた。

 長五郎は「あんたとは気が合いそうだ」と笑った。


「今後ともよろしくお願いするぜ――藤田次郎さん」

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