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ただの茶道部員が千利休に弟子入りして茶聖と呼ばれるそうです  作者: 橋本洋一


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第七席 紫陽花

 明智光秀と対面したのは六月の終わり頃だった。

 世間でいう裏切り者のイメージを感じられない。それが明智さんを初めて見たときの印象だ。病気を患っているせいか、頬がこけている。顔色も悪い。かなりの高齢でゲームや漫画で描かれている姿とはまるで違う。


「⋯⋯⋯⋯」


 宗匠と僕が明智さんの養生している部屋に入ったとき、彼は布団に寝ていて虚空を見つめていた。視線を向けることなく、何の反応も示さなかった。

 過労で倒れたと聞いている。


「お前さま。千宗易さまがお越しになりましたよ」


 一緒に入ったのは僕たちだけじゃない。

 顔に痣の跡がある妙齢の女性、煕子ひろこさんだ。

 明智さんの奥さまで僕たちの来訪に感謝していた。


「……千宗易殿か」


 煕子さんが枕元に座って、明智さんの左手を握るとようやく言葉を発した。

 しゃがれた声だ。何日も喋れていないと分かる。


「ご無沙汰しております。お身体が相当お悪いと聞きましたが、いかがでしょうか?」

「まあな。こうして療養しているが、一向に良くならぬ……ごほん」


 しとしとと小雨が降っている。

 せめて晴れれば気分も軽やかになると思うのだけれど。


「その方は何者だ?」


 しばらく沈黙が続いた後、僕の存在に気づいたようだ。

 宗匠に促されて「藤田次郎と言います」と頭を下げる。


「藤田さまはわたくしの弟子でございます」

「敬称を付けるとは、どこぞの家中のものか?」

「そうではありませぬ。それよりも明智さま、茶でも飲みませぬか」

「この身で茶席など……」

「いえ、ただ茶を飲むだけです。わたくしが点てましょう」


 宗匠は「お湯をいただければ」と煕子さんに頼む。

 すると、はいこちらへと二人は出て行こうとする。


「宗匠、僕は――」

「明智さまの傍にいてあげてください」


 そんな僕は医者ではないんだからと言おうとするが、さっさと出て行かれてしまった。

 初対面なのに二人っきりにされたら何を話せばいいのか、そもそも話せばいいのか分からなくなる。

 気まずいなあと思っていると「藤田殿。そうかしこまらなくていい」と明智さんが笑ってくれた。


「千宗易殿も酔狂なことをする……」

「酔狂、ですか。僕はたまに宗匠の意図が分からないときがあります」


 僕以上に未来を見据えている気がしてならない。

 松永さんもそうだったけど、底が見えないんだ。


「弟子と言ったが藤田殿も茶の湯をたしなむのか?」

「まだ修行の身ですが、いずれ大成したいと思っております」

「立派なものだな」

「明智……さまも茶の湯を好まれると宗匠が教えてくださりました」

「私の場合はまつりごとに使っているだけだ」


 それを聞いて僕は皆川先生が教えてくれた『御茶湯御政道おちゃゆごせいどう』を思い出した。

 土地の代わりに茶器や茶道具を与えることで恩賞とする政策だ。


「上様のお考えになる政に箔をつけるために、公家衆に慮っている。私も自由に茶の湯を楽しみたいのだが……周りが許してくれぬのだ」

「かなりご苦労なされているのですね」


 明智さんは気遣いの人だから、いらない気苦労も抱えてしまったのだと思う。

 先ほど話しづらそうにしていた僕に、自分から話しかけてくれたこともそうだ。

 昔のサラリーマン以上に激務をしているわけだから、過労で倒れても仕方なのだろう。


「この床の間に花を生けるとすれば何とするか?」


 不意に明智さんが難しい問いを出してきた。

 床の間には花が飾っていない。空のままの籠の花入はないれがあり、薄板が敷かれていた。

 茶道部として花を飾ることはあった。勉強もしたこともある。

 しかし今の明智さんの心情を思って生けるとなると考えなければならない。


 外の庭には美しい花が咲いている。

 特に紫陽花あじさいが綺麗だった。

 もっと近くに寄って見てみたい。


「そうですね……実際に庭の花で生けてみてもよろしいでしょうか?」

「……ほう。いいだろう。誰か鋏を持ってまいれ」


 傍に控えていた家臣が命じられて鋏を持ってきた。

 草鞋を履いて雨が降る庭に立つ。

 かなりの時間を費やして周りを見渡す。


 今の明智さんの心、そして思いを汲み取って、やや小さい紫陽花を選んだ。

 濡れたままの紫陽花を花入に置き、微調整する。

 しばらく見た後、薄板が良くないと思って取った。


「……ひかえめな紫陽花だな。とても詫びている」


 明智さんの表情が明るくなった気がする。

 気に入ってくれたんだ。


「小ぶりな紫陽花が籠の花入から覗く様は見事だ」

「ありがとうございます」

「二点ほど気になることがある。何故濡れたまま生けた? 薄板を取ったのは?」


 まるで試されているようだ――僕は深呼吸してから答えた。


「紫陽花は梅雨時の花でございます。雨に濡れたみずみずしさが美しいと思い、敢えてそういたしました。薄板は床の間を濡らしたくないということよりも美しさを選びました。あの薄板は花入には合いません」


 改めて僕も紫陽花を見る。

 ぽたりぽたりと雫を垂らす紫陽花は、疲れている明智さんの代わりに泣いているようだった。

 意図したわけではないけれど、これで心が和んでくれたらいいと思う。


「流石に千宗易殿の弟子である……いや、藤田殿の技量がなせたことだ」


 手放しに褒めてくれて嬉しいと思う。

 明智さんの未来は分かっているけど、今だけは安らぎを得てほしい。

 身体も、心も。


「お待たせいたしました。一服どうぞ」


 宗匠がお茶を持って帰ってきた。煕子さんも一緒だった。


「これは見事な。藤田さまが生けましたか」


 目を細めて宗匠が僕が生けたことを言い当てた。


「どうして分かったんですか?」

「お召し物が濡れていましたので」


 ちょっと考えれば分かることだった。

 僕は感想を聞こうとしたけど「藤田殿、千宗易殿と二人で話がしたい」と明智さんが言い出した。


「礼を言う。素晴らしいものを見せてくれた」

「いえそんな……では外で待っています」


 別室に通された僕に煕子さんが「お前さまが元気を取り戻してくれました」と言う。

 目には涙を浮かべている。


「ありがとうございます……」

「少しでも気が晴れればと。回復なさることを願っています」


 さて。それから長い時間待って、宗匠が戻ってきたのは夕暮れになりかけるときだった。

 その頃には雨も上がっていた。

 宗匠と懇意しているお寺に泊まるので、その場を後にした。

 最後に明智さんと話したかったけど、もう寝ているらしい。


「藤田さま。花入の薄板を取り除いたのは見事でした。それは未来の知識でしょうか」


 お寺への道すがら宗匠が訊ねてきたので「ええ。僕の時代では薄板は敷きません」と言う。


「わたくしも昔から面白くないと思っておりました。参考にさせていただきます」

「ありがとうございます……というのも変な話ですね。僕は未来のことを知っているだけですから」

「そのようなことはございません。知っていることと実際に行なうことは大きく差があります」


 宗匠は穏やかな笑みで「紫陽花の生け方も見事でした」と褒めてくれた。

 心が熱くなる。


「明智さまの心を汲み取ったのも素晴らしい。あの方は織田さまの煌びやかな華の美を好まないのです」


 まだ織田信長には会ったことがないし、これから会うチャンスもなさそうだなあとぼんやり考えていた。


「わたくしもまた、織田さまとは――いえ、これは業が深すぎます」


 何を言いかけたのだろう?

 聞こうとしてくしゃみが出てしまう。


「おや、お風邪を召しましたか?」

「外に出ていましたから身体が冷えました。何か暖かいものが食べたいです」

「煎茶を用意させます。一先ずはゆっくりお休みなってください」

「ありがとうございます……へっくしょん!」

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