第四十八席 算段と簒奪
北条家が降伏し、関東が豊臣家の支配下に置かれた――徳川家が今後差配するらしい。
僕の知っているとおりの歴史だ。
だとすれば宗匠が死ぬのも変わらないということになる。
どうしようと考えたとき、僕が頼るのは――家康だった。
「千利休殿が関白の命により死ぬ……それはまことか?」
「ええ、間違いありません」
秀吉によって国替えを命じられた直後だったので、家康は忙しそうだったけど、話を聞いてもらえた。そばには天海殿もいる。
僕たちは浜松城の一室で話していた。もうすぐこの城は徳川家のものではなくなるが、まだ猶予はあった。
「信じられぬ。彼らは蜜月の関係ではないのか?」
「ありえない話ではありません。千利休殿は豊臣家の事情を知り過ぎた……だからこそ殺されてしまうのかもしれません」
天海殿は腕組みをして自身の考えを述べた。
僕は特に否定せずに「数寄においても強い力を持っていますから」と応じた。
「僕はそれを阻止したい……ご協力お願いできますか」
「それはやぶさかではないが、そなたの立場ならば死んでもらったほうが良いではないか?」
あっさりとした口調で物騒なことを家康は言う。
あっけに取られていると「徳川殿。それはあまりに非道な話です」と天海殿が苦言を呈した。
「何故だ? 千利休を数寄で倒すか、死なない限り――藤田殿は天下を取れぬのではないか?」
「相違ありませぬが、千利休殿は藤田殿の義父でありますゆえ」
「ああ、そうであったな……だが本能寺で織田殿を殺すように唆した男でもある。私としては――何が何でも殺すべきと考える。生かしておいたら危険すぎる」
戦国大名としては当たり前の考え方だ。
だけど認めてしまったら――宗匠は死ぬ。
「唆した者が死ぬべきならば、私は今すぐに自害するべきでしょうな」
「……ふむ。意地悪な言い方をしてしまったようだ。二人とも許してほしい」
「徳川さまは……宗匠を殺すべきとお考えなのですね」
謝ってもらったが、そこははっきりとさせておきたい。
家康は「藤田殿には悪いがそうだな」と頷いた。
「ただの茶人が政に口出しして、日の本を思いのままにする。危険な行ないだ。何故ならば茶の湯という芸術は人それぞれの価値観で如何様にも変わるからだ。さらに言えば千利休殿は己の侘び数寄を至上のものにしようと……努力しているしな」
控えめに努力、という言葉にしたのは僕の手前もあったのだろう。
「それに今の徳川家は関東を我らが領地に変えねばならない。江戸を中心に城下を栄えさせる必要がある。彼に構う時間がないのだ」
「そうですか……では宗匠を匿うこともできませんか?」
「彼が望むのであればいいだろう。しかし本当に京から逃れたいと思うだろうか?」
既に死を覚悟している宗匠を説得するのは難問だ。
加えて侘び数寄を極めようとする行為を諦めさせるのも至難の業だ。
「聞くところによると、千利休殿は覚悟を決めている……弟子として見送るのが正しい在り方ではないか?」
「もう僕は破門された身です。正しいか正しくないか、それ以前の問題です」
「それはそうだが……ともかく、徳川家は千利休殿を救えない。これは当主としての決定だ」
頼れると思ったが、あてが外れたようだ。
どうしようと思っていると「私のように死を偽装できれば良いのですが」と天海殿が言う。
「しかしそれも難しそうですね。あの方は何をしても目立つ」
「……関白殿下の機嫌を取ることしか、僕のできることはないみたいですね」
ゆっくりと立ち上がって「お時間いただきありがとうございました」と頭を下げる。
「千宗易殿のこと、力になれずすまなかったな」
「いえ。徳川さまにご相談できて、改めてやらねばならないことが分かりました」
「ほう。それはなんだ?」
「宗匠が数寄の天下人であることが問題なのです。だから――その座を奪い、取るに足りない人だと関白殿下に分かってもらう。それしか宗匠を救えないのでしょうね」
茶人として価値があるから殺されるのであれば、その価値を無くせばいい。
おそらく塗炭の苦しみを得るんだろうな、僕も宗匠も。
「師を超えるか。まるで上様を殺した私を見ているようですね」
「天海殿……やらねばならないんですよ、宗匠のために」
◆◇◆◇
京の屋敷に戻ると、お吟と小次郎が出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、お前さま」
「父上、お久しゅうございます」
「ああ。ただいま」
すっかり大きくなった小次郎の頭を撫でつつ「留守の間、何かあったかい?」と問う。
「細川さまと蒲生さまが訪ねてまいりました。父上のことでお話があると」
「内容は伺ったのか?」
「いえ……父上に何かございましたか?」
曖昧な訊き方だったけど、勘づいているみたいだった。
僕は小次郎に「少し母上とお話があるんだ」と優しく言う。
「おとみさんのところへ行きなさい」
「はい。終わったら遊んでくれますか?」
「そう遅くないうちに向かうから」
お吟と二人になって、部屋の真ん中に座って対面する。
いつもの柔らかい表情ではなかった。
「宗匠は――」
「病気ですか? それとも命令ですか?」
迂回しない真っすぐな問いに「……命令、かな」と僕は答えた。
目を伏せて涙を流すお吟は「そうですか」とだけ言えた。
「死を賜る理由は、分かりますか?」
「宗匠が数寄の天下を握っているからだ」
「助かる方法はあるんですか?」
「……一つだけ。宗匠から数寄の天下を奪うこと」
僕の覚悟を述べると「それでは、お前さまが危うくなりませんか?」と目を見開く。
心配しているのがひたひたと伝わってくる。
「危ない、かもね。だけどそれ以外の方法では宗匠は救えない」
「はっきり申し上げます。おやめになってくれませんか?」
「僕が数寄の天下を取れないと思うから?」
「違います。私は取れると思っております。だからこそ、父上の二の舞になるのが……恐ろしいのです」
その考えが頭をよぎらなかったと言えば噓になる。
宗匠の代わりに自害させられるかもしれない――
「僕は関白殿下に気に入られている。だから安心してほしい」
「父上も同じでした……危険なことをしないと約束したじゃないですか」
「うん、そうだったね……だけどさ、僕は宗匠を――」
「父上より、お前さまのほうが大切です」
涙を拭って決意を込めた顔で――お吟は言い放った。
覚悟を決めた彼女に僕は何も言えなかった。
「お前さまにとっては、父上は神様のようなものでしょうね」
「…………」
「だけど、私にとっては、お前さまは神様以上に大切な方なのですよ」
すすり泣く彼女に僕はゆっくりと近づいて、背中から抱きしめた。
「ごめんね。苦労をかけることになる」
「もう諦めておりますよ……」
また妻を泣かせてしまった。
心が痛いけど、宗匠を救いたい。
そのためには弟子たちと相談しなければならない。
細川殿や蒲生殿、源五郎さまや山上さんとも。
あとは古田殿にも話しておかねばならない。
お吟を落ち着かせて、小次郎と遊んで、それから一人だけになって。
部屋の中央に正座して考え込む。
まずは弟子たちと結託することが重要だ。
僕自身は武力を持たないのだから。
次に秀吉と直談判する。
宗匠と数寄を比べる場を設けてもらってどちらが上かを決めるのだ。
その結果、僕が宗匠の立場に成り代わったとして、代わりに死を賜ることになったら。
お吟を泣かせるどころじゃないな。
僕だって痛い思いをするだろう。
ふいに窓の外を見上げた。
宗匠と初めて会ったときと同じ形の月が浮かんでいた。
懐かしさに目を細める。




